[携帯モード] [URL送信]
À mon seul désir

・貴族パロ
・グラハム(17)×ニール♀(14)



可愛いと見なされるらしい靴。
霧の漂う早朝、衣装部屋に突然置かれていたそれは、魔法使いや妖精が一夜の内に作ったと、囁かれたならほんの少し夢のあったものを。これはことごとく現実。
用意したのは後見人で、ニールを驚かせようなんて趣向もまさかなく、靴屋に言って用意させたのだと淡々と。
つくづく反りが合わないのと同様に、爪先を入れた瞬間から馴染まないと分かった。
大方、手持ちの靴から一足「拝借」して型取らせたのだろう。ニールが成長途上の、形の定まらない年頃であることなど、後見人は微塵も考えていない。もっとも、さあ作りましょうと声を掛けられても、足を差し出すのは拒んでいただろうけれど。
小さいと不備を訴えれば、履けないことはないでしょう、数時間の我慢だと判決した。いつもそうだ。
結局履かざるを得なくて、歩く度、擦れる痛みを引きずっている。一度部屋を出てしまえばどんな状態か見ることも出来ず、感覚だけが明確だ。これは脱ぐ時が楽しみだなんて自棄になって思う。ひりひり、誰も気付かない、至極プライベートな痛み。
靴の上ではドレスが揺れる。今日は全身「可愛い」「綺麗」「美しい」に型どられていた。ぜんぶ、自分のためなのに自分のものでない。頭上の花冠に至っては、被っているのはニールなのにニールにだけ見えない代物だった。悲惨な足下とはまるで対照的。
花冠。ニールの髪の、肩に届かないほど短いことを紛らわそうとでも思ったのか、大ぶりの花のふんだんに。開ききった花弁から香りが辺りに漂い、一番近い所でニールは嗅ぐ。甘く青臭く気だるく清く。あるいはこの香りこそ花々の正体、言葉で、ひそかにニールにだけ打ち明けているのかもしれなかった。私達もう死んでいるの、だとか。一緒に池に飛び込んでみない、だとか。これからは喪服を着ていられないだろうから、代わりにドレスの意匠を、漂う千々の花にしてみようかと思う。
身体の奥を揺すられるような感覚に顔を上げる。向かう先から、荘厳なオルガンの音が流れてくる。
きっと何度も何度もこの場、この時に使われてきた音楽だった。ひとりひとりの初めて、最初で最後を、同じ形で彩っていく。当たり前の顔をして。まるで、いいや、音楽の方がずっと綺麗。
ドアの手前、身支度を整えるようにと時を与えられた。後に付いていた侍女達が寄り添う。
身を全て任せ、黙って音楽を聞きながら、やはり姿の見えない奏者が、今何を考えているのだろうと思った。美しい旋律を奏でながら、思っていることがたとえ不満でも悪口でもいいと思う。もはや勝手に手が動いても足が動いても呼吸が自動でも、心は自由だと信じたかった。
こまごまと位置に着く、繊細なレースや計算づくの裾。
ふと、ひとりが腕に通しているかごへ目が止まった。たくさんのドラジェが入っていた。楕円形、繭のような砂糖菓子。ピンクやライトブルー、ふわふわと淡い色。食べたい、というよりは、齧りたい、と思う。
ひとつ、いいか。発した声は少し掠れていた。
予期せぬ求めに侍女は戸惑いを見せたが、隠す真似はせず、ニールは手を伸ばす。やはり後見人は制止したが、無視して口に入れた。
整えられた砂糖の、さらさらした感触。舌で転がし、歯を立てれば、包まれていたアーモンドが弾けるように砕けた。存外脆くて、拍子抜けと言うよりは寂しい。最後は砂糖の甘さだけが残る。コア、主体はアーモンドのはずだけれど、実は違ったのかもしれないし、或いは結局、それしか顧みられないのかもしれない。わからない。考えたくない。
そっと手鏡が差し出された。見なかった。ひとりきりの時でさえ、近頃は見たくない。
最後にベールが下ろされる。ありがとう、と唇に乗せれば、侍女が瞳を濡らして頷く。本来は母のするはずの儀式だった。父と妹が見守るはずだった。いいや、三人がいたなら、こうなることもなかった、のに。
先日、そうつい先日、喪服で立った時から、何もかも変わった。
瞬く間に、弔意など建前だったとでも言うように、ニールには求婚が押し寄せた。慈善的な様相すら呈して大人達は、結婚相手を決めろと言った。そうでなくては生きられないと、言ってニールを殺めにきた。「ディランディ家の娘」を皆欲しがった。地位、財産、血、「娘」そのもの。「価値がある」と見なされた、見なされた形でだけ認識される。
向けられる言葉やふるまいは欲に作られ、結婚どころか人間不信へ叩き込んだこと、皆きっと今でも気付いていない。
それでも、結婚しろと言うの、なら。
木製の扉が開く。石造りの建物特有の、冷えた空気が身を包む。目の前に広がる、柔らかな布の引かれた道。悪いものから守るため、なんて名目とっくに遅い。守ると言って悪いものは近付いた。覆っているだけ、「本当の話」はみんなしない。
熱を持ったように痛む足で、踏みながら歩く。
花冠が香る。選び摘まれた時点で死んでいた花。直に降るオルガンの音。誰も知らなかった調べを、誰かが作った音符と鍵盤で。舌の上、砂糖はまだ残っている。ざらざらしていた。
しまわれた手鏡は今こそ自由の中だろう。誰にも見られないことは、金属に還れることだった。進むほど見られる自分は。
目の前に手が現れた。
差し出す決まりだから差し出した、それでしかなかった。応じる決まりだから、決めたから、ニールも応じる。手を重ねる。初めて触れた。平たく張った、固い感触。
自分に何も見いださないで、何も想像しないで、何も望まないで。そう願う。
透明になりたい。
叶えてくれるのは、きっと、この人だけ。


肯定の、たった一言の繰り返しを求められて、単純な世界、裏切ろう。
自分は誰のものでもないということ、知っているのはふたりだけだった。
たちまち祝福、或いは呪詛を寄せる大人達に、おめでたいねと言ってあげたい。




「話に違わず可愛らしいお嬢さんだ」

家督を譲ったばかりの先代が、まるで夢見心地のように目を細めて言う。自身が斡旋したディランディ家との結婚。無事に式を見届け、宴も終えた今、誰より美酒に酔い、誰より浮かれていた。花婿、当事者たるグラハムよりずっと自身のことのように。

「入って来た時は天からの使いに見えた」

陽気な声を、グラハムは聞くほど冷めた心地でいた。使用人の手を借り、無言で身仕度を整える。本当は何も聞きたくないのだが、仕度が終わらぬ内は部屋を出られない。

「お前はどう思った、お前の妻だぞ」
「……どうと言われても」

グラハムは平坦に返し、故意に言葉を切る。続ける気も、思考を巡らせる気もなかった。しかし先代は勝手に補って掬う。

「ああ、なに、今は子供に見えても、あと数年すればきっと美人になるぞ」

そんなことにばかり関心が行くのか、まだそう年端もいかないと分かっていたのではないかと、グラハムは内心切り捨てた。もはや憤りもしない。先代はいつもそうした調子で、失望するにも既に元の望み自体持てなかった。

「ご両親、先代の夫妻も評判だったものだ」

結婚を勝手に進め、グラハムには事後承諾の形を取ったくせに、気分を害することばかり言う。それも無自覚なのがたちが悪かった。
親を挙げて子供を誉めるなど。「親子」と言うわりに容姿がかけ離れている、と自分達が取り立てられていることを、まさか先代は知らないのだろうか。
出自と容貌のことばかりが、話題に上がる。

「家督を譲る息子に最後の『親心』か」

そう、列席していた貴族が囁き合っていたのを思い出す。

「この結婚こそ噂を裏付けするようなものだな」

グラハムは先代の実子ではないと、いつからか貴族達の間で噂が立てられていた。エーカー家が新興貴族であることも反感を買い、拡散を手伝ったのかもしれない。
その疑惑の嫡子がいよいよ家督を継ぐに当たって、敵は多かった。
そこで歴とした名門であるディランディ家と婚姻すれば。婚姻の事実によって、グラハムの出自の疑惑は覆える。ディランディ家の令嬢、妻が、グラハムの貴族身分の保証になる。そうすれば出自を取り沙汰して失脚を企てる者を封じられ、グラハムの地位は磐石になる。皆、グラハム自身さえも、推察していた。
婚姻の話を打ち明けられた時、グラハムは自分ひとりの力では家を負うのに頼りないと言うのかと憤慨した。先代を詰問すれば、断じて違うが、得て損はない、得られるものは持て、と。既に決定されてしまっていた。

「娘の方は気付いているのかね」

また誰かが囁いた。

「いいや、気付いていないだろう」
「単に『好み』で選んだのさ、でなければエーカー家などと」

力強く肩を叩かれ、グラハムは意識を引き戻した。振り返ればやはり上機嫌な先代の顔がある。

「ともかく、肝心なのはこれからだ」

身仕度を手伝っていた使用人が離れ、代わりに手燭を持った使用人が一歩寄る。旦那様、と呼び掛けられたのに、ひどく違和感を覚えた。

「うまくやれ、まぁ、最初は慎重にな」

豪快な笑い声を立てて先代は送り出す。
グラハムは何も返さなかった。
冷たい夜だった。
寝室は寝台も天蓋もカーテンまでも新調されていた。花嫁の為、だったが、かえって気持ちの悪さがありはしないかと思う。とにかく元々住んでいるグラハムからしても雰囲気がよそよそしい。
壁際に置かれた椅子へグラハムは腰掛けた。
また、待てと言う。今日の内二度目だ。
待つのはあまり好きではないなと思う。自ら望んだ対象ならまだしも。
時の流れを遅く感じながら、一度目の時、グラハムは立っていた。無数の視線があった。やはり囁きがあった。
「意地の張るがもう少し懸命な娘だと思ったのに」
「なるほど、貴族よりも貴族らしい嫡子」
「結局夢見る乙女だ」
「身分も名家の妻も手に入るとは、容姿の良いとは得なことだ」
「まだ子供だから分別がない」
「血が惜しい」
それがグラハムへの、彼女への讃美歌だった。オルガンが鳴るなり潜んでしまったが、今もどこかで渦巻いているだろう。
二度目の今は、無数の目も声も直接ここにない。しかし注目されているのに違いはなかった。どころか、ますます下世話な意識を、想像を、向けられている。あのふたりはどう交わるのかと。
静かなノックの音が響き、侍女に伴われ、彼女は入室してきた。
もうベールはまとっていない。代わりに、ベールに劣らず薄いネグリジェを身に付けていた。傍目に上質なものだと分かる。
侍女は一礼してすぐ出ていった。
薄暗い部屋の中ふたりになる。生活の場に来ると尚更、現状が掴み所なく不思議に思えた。
つい昨日まで他人、いや、今も他人なのに、同意の返事、たった一言を口にしただけで、グラハムはこの目の前の人間と公に関係を結ばれた。夫となり、妻となった。そう見られ呼ばれ、時には何かを求められることになった。思うと今更、奇妙なことだ。グラハムはグラハムで、目の前の人間は目の前の人間で、存在として何も変わってはいないのに。
同じ言葉を口にした人間が、一歩も動かぬまま顔を上げる。眦の上がり気味の目が、すっとグラハムを捉える。
まともに視線を合わせたのは初めてだった。日中は隣にいて、それがふたりの人間が立つ時の基本ででもあるかのように、設定されていたから。
青い目だった。森の奥、誰も知らない湖畔の。
指折りの名家の求婚すら断ってグラハムを選んだのは結局容姿だ、など。それこそ発想者の「見る目のない」言い分だった。
一方的に慕う瞳をこれまで見てきた為に、それを厭ってきただけに、グラハムには分かる。その目はどこまでも「ここ」に根差していて、何の幻想も抱いていない。
距離を図る会話はどうでもよかった。
はじめまして、会えて良かった、の定型もまるで実態に伴わない。きっと出会わないで済む人生の方が、お互い良かった。
今日は何もかも反転している。
待ちながら、待っていない。愛を、誓わない。愛し合っていない。むしろそうした概念にうんざりする。幸せに、なろうと思っていない。なれと思われていない。
形ばかりが進行し、そしてそれが承認された。まるで二重世界だ。今いるのは。
無言の内に結婚相手は歩き出した。身体の線より余分な衣服の袖や裾が、ひらひらと泳ぐ。
イエスと言いさえすれば良い結婚だった。先代も他の求婚者も、その一言だけに躍起になっていた。そんな単純なことだけを求められていた。
直線に歩く姿を、天からの使いのようだった、と先代は形容していたが。それは目に映った「花嫁」が実は死んでいると、無意識に言い当てていたのではないか。
結婚相手は再びグラハムのそばへ来た。わずかに花のにおいがする。
まだ儀式は続いていた。言葉の次、今度は肉体を交わせと言う。なれの果て、目にさえ分かる形でと。或いは性欲が原始に近いものの為に、共感し易いものだから。
共通で理解できる形式でしか皆安心しない。認めない。今、グラハムが考えていることも、きっとありえないと言い、異質と見なすだろう。
それでも、いや、反逆の気負いも何も無く、淡々と、グラハムは口を開いた。どう見なされようとどうでもいい。

「相手が君でなくとも言ったことだが」

君が誰だろうと誰が君だろうと、自分は自分だった。

「私は君と、今も今後も、交合する気はない」

この身体も思考も感覚も意識も自分のものだと思っていた。だからここからは自分の意思に沿う。反発や反抗といった単純に纏められる動機によってではなく。当然と自然の希求として。
目の前の人間についてもそのはずで、結婚したからといってそれらを侵食する権限がグラハムにあるなど、奇妙なことだった。

「……ほんとうに」
「本当だ、これは」

誓いでも約束でもないただの伝達。
グラハムは立ち上がった。ベッドへ歩き出し、すれ違う。

「疲れたからもう休む。君は好きにすればいい」

後ろから、うん、と返す小さな声が聞こえた。
それきり、今日ようやくの静寂が訪れた。或いはひとりでいるよりも静かな。
最初の夜だった。






第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[グループ][ナビ]
[HPリング]
[管理]

無料HPエムペ!