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ふたり掛けのソファーは横たわるにも融通が効くと、ただそれだけの理由で買い求めた。けれどいつしか思いもよらず、「ふたり掛け」の用命を果たすようになっていた。
ソファーの前、小さなローテーブルは鍵、リモコン、携帯端末、新聞紙と雑多に乗せて賑わっている。そこへグラスを二つ置けば、もう満ち満ちていた。
左端の肘掛けに凭れ気味だったニールが中央へ傾く頃、グラハムはその首筋へ顔を寄せる。
栗色の髪をくぐると、鼻先を甘やかな香りが掠めた。それが常とは異なる趣だったのに、グラハムは所作を止める。
髪でも、服でもなく、ニールの身体から立ち上るそれは、まさか浮気を示唆するものではなかったが、心を浮わつかせるような芳香だった。
華やかで、甘い。
さっぱりとしたものばかり纏っているニールには、珍しい。グラハムにとって初めてのことだった。しかし複雑な調合はされておらず、香り自体はシンプルなのは、ニールらしいと言うべきか。
それはバラの香だった。

「今日の姫は随分蠱惑的だな」

顔を上げて告げればニールは少し目を細めた。

「よく気付いたな」
「私を見くびらないで欲しい、と言うより、気付かなければ恥に等しい」
「そんなにかよ」

グラハムの言葉にニールはつい、といった風に笑った。グラハムの好きな仕草だった。グラハムも気を良くする。
許されるままにグラハムはニールの香を確かめる。
匂い立つ、という言葉がぴったり似合うその纏いは、香水ではない。練り込まれた匂いが、肌からする。

「気に入ったか?」

口元を綻ばせたまま、ニールは手の甲をグラハムの鼻先へ当てた。弄ばれている、と思いながらグラハムは甘さの中で考える。
私の為に選んで、私の為に纏ったのだろうか。
そんなやや自己中心的な疑問を口に出して訊こうかと、思った。問うても良くはあった。しかし、違うなと、勘ながら確信的に思った。
恋人の好みを探るでもなく、例えグラハムの好かない香りであっても身にまとうのだろうと、ニールについては思う。どういう心境で、どういう顔で、どういう空間で、この甘やかな物体を選び、買い求めたのか、ひとりでいる時の彼女を想うのはまた思慕を強めもしたけれど。
気に入ったか、という言葉には肯定で答える。

「まさしく花を抱えているようだな」

気まぐれにしても、それが官能的であることに変わりはなかった。吸い込むほど、脳を甘く蕩けさせる。
恋人は恋人というだけで甘美な香りがするというのに、これ以上どうしようと言うのか。
ニールはグラハムの鼻先に当てていた手をするりと下ろし、囁いた。

「今日だけさ」

細い腕がグラハムの首へ、荊のように絡まる。その肌からまた香る。
白い、バラだ。
香りだけ、色も何もないのに、グラハムはそう思った。
高芯咲きの、まだ完全に開ききっていない白いバラ。
それがここにある。
慈しみ、愛でたい気持ちと、その花芯を焦燥に暴いてしまいたい気持ちとがグラハムの中で混ざる。例え棘があると知っていても、触れずにはいられなかった。唆されたものだ。
やがて二人は、いくらふたり掛けでも窮屈に思われたソファーからベッドへ移った。どのタイミングだったか、ニールの足が当たって、ローテーブルからグラスがひとつ落ちた、その危険地帯を踏まないよう注意して。
明け方、グラハムはシャワーを浴びる、つもりだったが、香が自分に移っていることに気付いてしばし居た。
ニールが気付けば照れ、いや、逆にからかいそうだと思いながら、丸められた背中を見る。重ねられた足のたおやかさも。
くたりと、しかしまだ瑞々しさを湛えて、美しく、危うい所にいる。
まるで何かに捧げられた切り花のようだった。
頭をよぎった想像に思わずグラハムは手を伸ばし、ニールの肩に触れる。

「ニール」

グラハムはニールを起こした。ニールは浅い眠りから易々と引き上がる。
肘を高く掲げながら右手の甲を額に当て、振り返り見る様は、波上のヴィーナスもかく在らんという姿だった。
やはりまた、ふわりとバラの香りがする。白いバラ。純潔など遠いというのに。
何かと向けられる眼差しに、グラハムは言葉を探した。手の方が先に動いていた。

「そうだ、いつか、君に花を贈っても構わないだろうか」
「……そういうのは、言わないでやるもんじゃないのか」

淡く、眠たげにニールは言う。
確かに、自分でも妙なことを訊いたと、グラハムは思う。しかし、許されておきたかったのだと、少し遅れて自覚した。
ニールの奥、窓の向こう、明けの明星が覗く。
ニールがバラの香を纏っていたのはこれが最初で最後だった。なのに、グラハムはいつまでも覚えていた。






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