寝室からリビングへ向かうと、麻地のソファーにはタオルケットが裏も表もなく丸まっているばかりだった。 ずいぶん早い朝を迎えていることだと思いながら、グラハムはそれを掴み上げる。 今日は洗濯の日だ。昨日の夜、そう決めた。だから家中を探り歩いて、発見次第布類を洗濯機へと連行する。 少しゆとりを持ってドラムに詰め込み、洗剤を規定通り入れると、ちょうど容器が空になった。新品に替えようと所定の戸棚を開ければ、しかし見当たらない。こういう時に限って、こうだ。 勢いよく注ぎ始めた水音を背後に、グラハムは今度、人間を探す。ソファーに脱け殻を残した人間。 すぐに、見慣れたTシャツの見慣れた背中が動くのを、庭先に見付けた。日差しを遮るためだけの、ファッション性をまるで志向していない、麦わら帽子のてっぺんを見せて、いる。 グラハムは開け放してあった窓から顔を出した。 「姫」 通りのいい呼び掛けは一度で事足りて、ニールは風見鶏のように振り返る。土のついた雑草を片手に。 目が合うと挨拶を寄越してきたので、すぐさま用件に入ろうとしていたグラハムはわずかに詰まって、それから返した。 「洗剤の替えはあるだろうか」 「何のだ?」 「洗濯用の」 「いつもの所にねぇか?」 「見当たらないな」 「なら買いに行かねぇとねぇな」 悠長に答えながらニールはむしった草を捨てる。小山ができていた。 「急ぐか?」 「今は間に合っている」 「じゃああとでスーパー行く時買っとくぜ」 一応メモしといてくれ。そう言うとニールは再び背中を向けて作業へ戻った。了解したと返しながらグラハムも引っ込む。 牛乳、炭酸水、オレンジ云々と気取りない字で書き連ねられたメモへ一行加えて、グラハムは朝食を摂る。がつがつともせず、ゆったりともせず、短時間に。それから、食器を食洗機にしまう。 私生活におけるグラハムは、こなす、という表現がしっくりときた。淡々とした動線はどこか機械的ですらある。 しかしそこにイレギュラーを挟んでくるのが、脱線を誘うのが、今、庭にいる人であって。 ずいぶん久しぶりに、グラハムは庭へ出た。 Tシャツの後ろ姿は前進して、緑の小山はすくすく育っていた。 近寄ってみると熱気じみた土のにおいがする。ニールは手を止めてグラハムを仰いだ。その眉間にしわが寄っているのは、日差しのまばゆさ故と、グラハムは思いたい。 「なんだ?」 「特に何も」 ふうん、と相槌を打って、ニールはじろじろとグラハムを見る。なにか訝しんでいるのかとグラハムは思った。違った。 「帽子かぶってこいよ」 「あいにく無い」 「しょうがねぇな」 かぶっていた麦わら帽子をグラハムに差し出す。姫はどうするのだと問えば、ニールは首に掛けていたタオルを被った。それでいいのだろう。やはり世話焼きだ。 「似合う似合う」 「褒めているのか」 「当たり前だろ」 頷くと、ニールは再び手元に視線を落として、ぷちぷちと草を引き始めた。 やわらかい視界を得て、グラハムはまるで物珍しげにその作業を眺めた。それからしゃがみこんで、眼下にあった草を摘まむ。 「……手袋は貸さねぇぞ」 「構わんよ」 指先に力を籠める。引き抜くつもりが、根元で切れて、意外と難しいのだなと思う。 2、3本そうしていると、ふは、とニールが笑った。なんだと訊けばいや、と首を振った。 「似合わねぇなと思ってよ、草取り」 「似合うと言ったり忙しないな」 まったく、どういう見解でいるのだろう。グラハムは問いただしてみたくもなる。が、楽しげなので不問にした。 「姫こそ唐突に、どういう気の回しだね」 「さすがに見苦しい気がしてさ」 季節に任せて放置されていた庭には、膝辺りまで伸びた草もある。改めて見回すと、無法地帯の様を呈していた。 「なるほど、しかし、姫が気にするたちだったとは思わなかった」 「なんだそれ」 「姫は大様な所があるが故に」 「だったらおれはお前が気にしないたちだったとは思わなかったぜ」 「私は庭の存在そのものを忘れていた。庭も姫に認識されて喜んでいるだろう」 「野放図野郎」 横並び、ニールが半歩前進する。集中力のある人間だから、作業は早い。 余興半分のグラハムは葉の大きな一株を抜いて、なんとなく観察する。 「これは何という草だ?」 「知らねぇよ」 一瞥して返すニールには見飽きた草だったらしい。つれないなとグラハムが思う間に、ニールは手元の一本を引き抜くつもりがぶちりと切れて、ひとつ舌打ちした。後方へ投げながら言う。 「そいつがこいつよりいい草なのは分かるけどな」 「良いも悪いもあるのかね」 「根が繋がってるの厄介なんだよ」 千切れたらしい根を、土を掘り返すようにしてニールは引っ張る。その執念深そうな一面を垣間見ながら、グラハムも別種の草を取ると、爪の間に土が入った。 花がついているのもいないのも、無作為にただひとつの山となる。無慈悲な指先で身勝手な淘汰をして。 3歩ほど進んだ所でグラハムは一度顔を上げた。そして断じて飽きた訳ではないが、効率を考えた。果てある荒野はしかし広野で、そしていくら入念に根を除こうと、いつしかまた生えてくるのだと思うと。 「除草剤でも撒いたらどうだね」 「あれはあれで、いやだね」 「何が嫌なのだ」 「においとか、あと見た目綺麗じゃねぇだろ」 「見た目など今更だと思うが」 提案は速やかに却下された。 ニールは険しい顔で、罵詈雑言の類いを溢しながら背の高い一本を抜くと、袖で汗をぬぐった。あっつ、とこぼす。日が高くなってきた。 「昼どうする?」 「買い物にはいつ行くつもりだね」 「いつでもいいけど、今行くか?」 「ここが中途半端になりはしないか」 「いいって、どうせ1日じゃ終わらねぇよ」 決定早く、ニールは手袋の土を払い始める。頭にタオルを被せたまま、器用に立ち上がった。 先に取り掛かっていたのはニールなのに、やはり気紛れの色が強いのではないかと思いつつ、グラハムも続く。 「ついでに帽子もひとつ買おうか」 「ああ、それ被って出掛けたっていいんだぜ」 「姫だけに披露しておこう」 洗面台へ向かい、揃って鏡に映り込みながら、ハンドソープを泡立てる。代えたばかりのタオルを濡らして、ニールは先に車のキーとメモを取りに向かった。 爪に入り込んだ土を流しながら、ああ洗濯物を取り出さねばとグラハムは思った。 「姫、少し待ってくれ」 「おれもちょっとタンマ」 声を張ると同じく大きな声が返ってくる。今度は何事だろうと、グラハムは少し笑った。 [グループ][ナビ] [HPリング] [管理] |