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武将ハム×正室ニール♀
どんな話でも良い方向けです



十六夜の月が寂々とした光を放つ。
日輪の元では鮮やかな色彩を見せる花木も月影には幽玄に照らされ、繊細な輪郭を仄かに光らせていた。
脇息に凭れひとり、ニールは夜の庭を眺める。秋冷えを案じる侍女を宥めて下がらせてしまえば辺りには虫の音しか聞こえない。
さやけき夜だった。
唐紅に染まった艶やかな紅葉も、今は清楚な宵闇の中。
秋を心づくしと歌った人はこうした月影の景色を取り立てていたが、なるほどその気持ちがニールにはわかる気がした。
秋風に頬を撫でられながらニールは目を細める。
月に雲が懸かった刹那、布擦れの音と共に侍女が現れる。お方様、と侍女は慎ましく声を掛け、殿がいらっしゃいましたと続けた。ニールは頷き、羽織っていた蘇芳色の打掛を寄せ直す。
来ると思っていた。
一つ深く息をすると、玉響の後、美丈夫が現れる。花鳥や月に向けるよりいっそう深い眼差しでニールは見上げ、優美に微笑んだ。

「いい夜だな」

ああそうだな、と、常の彼ならば応えてくれただろう。
しかし今、彼はたちまち秀麗な顔をしかめ、何かを言い掛け、唇を噛んだ。そして堪えかねたように大股で寄り、思いきりニールの腕を引く。我武者羅にニールは抱き込まれる。

「……グラハム」

息苦しいくらい腕の力は強く、ニールは困った笑みを浮かべた。しかし緩める気も余裕も今のグラハムにはない。男の抱擁と言うより、さながらそれは子供が抱き付くようだった。
顔を埋めたままグラハムは声を振り絞る。

「……そんな振る舞いばかりされていると」
「なんだよ」
「君を憎んでしまいそうだ」
「憎めばいいさ」
「ニール」

グラハムの声は普段の明朗としたものとはかけ離れ、厳しく、苦渋が滲んでいた。
加えてその鍛え上げた体躯は傍目に見てわかる程震えている。武家の当主である男が、それは情けない姿ですらあった。もしこの場に家人がいたならば主を窘めるか、ともすれば辟易、失望さえしただろう。しかし女のニールにはただ哀れでいたわしく、愛おしい。
心を直接撫でられたなら良いのにと思いながら、ニールはそっと男の背を撫でる。

「お前のしたことは正しい」

この言葉もまた癪に障るのだろうが、ニールは静かに言った。
グラハムは応答の代わりに嗚呼、と嘆きとも唸りとも取れる声を上げた。
そして今度こそ咎めるようにニールを押し倒した。ニールは勢いのまま身を打つが、しかしグラハムの心痛に比べれば些細なものなのだろうと、顔を歪めも呻きもしない。
ただぼうと男を仰げば、月光に縁取られたその顔がひどく繊細に見えた。

「姫はもう私に情がないのか」
「……ないように見えるのか」
「そうだ冷酷にすら見える」

跨がり、両肩を押さえつけグラハムは叱責する。だがその声色に反して、顔に滲むのは怒りより悲しみの色の方が濃い。

「私は姫を愛しているのに、」

ニールは目を細めて言葉を受け止める。
グラハムはその先を口にすることができず、ぎりぎりと歯を食いしばった。
重い沈黙が流れる。
齢十七、十四でふたりが夫婦となってから、もう十年経つ。
今日、グラハムは側室を設けることを決めた。
重ねた月日の間一度もニールは身籠らず、家の跡継ぎが生まれていなかった為だ。
跡継ぎの不在は武家の大事だ。
懸念した臣下の説得を長らくグラハムは頑なに拒んだが、いつまでもそうしている訳には行かなかった。武家の当主として務めは果たさなくてはならない。ニール以外の誰も抱きたくないと叫ぶ心との葛藤に揺れた末、ニールからの進言を決定打に、とうとう折れた。

「愛している、だけじゃ、どうにもならねぇよ」

ニールは静かにそう諭す。そして慈しみの滲む、あえかな微笑を浮かべる。
息が詰まり落涙しそうになるのをグラハムは堪えた。
いつからかニールはグラハムが選択を間違えないよう、自分から心が離れるようにばかり振る舞っている。そしてそうされる度、却ってグラハムはニールの心を留めたくて、ニールに縋り付きたくて堪らなくなる。こんな八つ当たりまでして。

「わかるだろ、な」

グラハムの頬にニールが手を伸べる。冷たく、しかし芯は誰より温かい手を。
グラハムは咄嗟にその手を強く握る。
わからない、と言っていた。

「私は姫の子を諦めた訳ではない。姫とてそうだろう」

ニールはひくりと指先を動かす。
グラハムの揺れる瞳からはそう言ってくれという希求が切実に伝わってくる。ニールが頷かなければ二人の愛が疑われる心地ですらいるのだろう。
だが、ニールは目を細めるだけで何も応えない。
グラハムは言葉を重ねた。

「これは策、一つ手を打っただけに過ぎない」

そんな言い方、やってくる側室が不憫だと思ったが、己が言うと却って傲慢な気がして、いや、或いはそう口にせざるを得ないグラハムの方が不憫で、ニールは心を軋ませる。

「私の心は絶えず姫にある」
「……もったいない」

哀愁を帯びた秋風が二人の間を吹き過ぎる。
グラハムはそれを塞ぎ止めるように上体を倒した。ただ己だけを見て何の憂苦にも沈まずいて欲しいと、昔のままでありたいと希い、独占欲と焦燥感に押され、唇を落とす。
幾度も幾度も降ってくる口付けはニールに秋雨を思わせた。夏の熱気を幽かに残しながらもの悲しさを含む雨。それは肌から唇から、ニールの心に染み込む。そしてそれは降り打つ度冬を連れてくるものだと、ニールは気付いて欲しかった。
握ったニールの手をグラハムは己の首元に導き、しがみつくよう促す。ニールが弱々しくも従えば、細身をしかと抱き立ち上がった。羽織っていた蘇芳色の打掛が落ち、落葉した紅葉のようにその場に残る。



月影の届かぬ閨でニールは茫洋と天井を仰ぐ。月も無ければ燭台の灯りも届かぬそこはただ暗い闇だ。ニールは真っ直ぐに見つめ続ける。上にのし掛かるグラハムはそれを背負えども、背を向けているが為にその濃さまでは知らない。ぬばたまの闇の深さを。
胸の蕾を吸い食む仕草は練熟した男のもので、ニールは瞳に涙を溜める。
昔の閨はもっと青く硬かった。互いに成熟しきっていない体で快楽を追うよりまず懸命だった記憶がある。それが時を経ると共にただ甘美で甘くとろけるものになり、飽きることなく貪り合った。
そして今、匂い立つように成熟した体で、また懸命になっている。
行為が単に快楽を追うものではなくなってしまったと、ニールは思う。男はまだ違うのかもしれないけれど。
男の手が胸から下肢へ滑ってゆく。いつまでも乳に張らぬ胸から平らかなままの腹の上を。
子を産むのが武家の妻の務めだと十四の少女だったニールは心に刻んで輿入れした。それが十年経て果たすどころか。
自問も自責も幾度も重ねた。とうにいくらも己を憎んだ。
けれど願っても望んでも愛し合っていても、どうにもならないものはどうにもならない。
もう道は側室に託すことしかなくなった。
ニールとて勿論、心底側室に好意的ではない。きっといつまでも嫉妬の焔と悲哀の雨が同時に起こり、胸の内は燻り続ける。それでも家の存続こそが何より第一で、正室であるがこそ、ニールは己の心の叫びを押し込めた。
そしてグラハムも早くそうして欲しいと思う。
熱情と切迫が一緒になった声でグラハムはニールを呼ぶ。ニールはわざとグラハムを引き寄せ、その首元に顔を埋めた。
最早今自分達がいるのは、愛情と執着の境だろう。
ここに至って尚己を離そうとしないグラハムをニールは詰りたくて、悲しく思う。
いっそ愛さないで欲しかった。
いっそ愛し合わねばよかった。
体を重ねるだけニールは辛い。与えられても全て無下にし、求められても何も産み出せないと分かっているのだから。
闇に響くのは男の呻きと悲鳴に似た男の声だ。
せめて男の放つものが始めから夜露のように冷たかったなら、こんなに苦しくはなかったのに。
愛していると囁くグラハムにニールはもう行き止まりなんだと言いたくて咽ぶ。
仄かな甘い香と共に恋の花芽吹いた青き春は、今や一昔前。汗ばむ程熱く愛の成熟してゆく夏も過ぎた。愛の深まるまま何も実らず円熟し、次に迫るのは何だ。
外では慰めのように虫が鳴く。
鈴を思わせる優しいその音も、いずれは木枯らしにかき消される。









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