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特別な日の朝というのはいつにもましてどこか清々しい心地がする。

朝5時。
明けきらない朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでニールは1日の始まりを迎えた。
整備員待機室を抜けると仕事場である格納庫へのドアを開ける。飛行形態のフラッグが整然と並ぶ格納庫のややひんやりとした空気に、ニールは仕事モードにスイッチを切り替え気合いを入れた。早速飛んで来た若手達からの挨拶には凛とした自然な笑みで返す。

「おはようございます」
「おはようさん」
「おはようございます」

早朝から元気な挨拶の嵐がニールを取り巻く。中にはわざわざ機体の陰から飛び出して挨拶する者もいて、それら全てに笑顔で返すとニールは担当の機体の元へ向かった。
ニールの所属するこの基地では機体一機一機に担当の整備員が割り振られている。
他の機体を仰ぎつつも間違うことなく担当のフラッグの前に辿り着くと、そこにはいつも通り既に部下が一人いた。欠伸をしかけていたのか、ニールの姿を認めた途端開けた口を慌てて閉じる。

「おはようございます機付長」
「おはよーさん。けど起きてるか?」
「全然起きてるっすよ。欠伸する隙もなく起きてるっす」
「ならいいけどよ」

帽子を前後逆に被っている部下は、誰より早く来ていることから仕事熱心なのは明らかだが、どうもお調子者だ。やれやれといった風にニールが笑うとおどけて笑ってみせる。
この基地に整備員として所属して数年、ニールは一機のフラッグの機付長になっていた。直属の部下を連れ、担当機の垣根を超えて整備員達から仰がれている。
そしてその直属の部下の一人は、どおりで騒がしくなったわけだと依然視線を注がれているニールの背後を見、再びニールを見た。

「機付長、今日は早いんすね」
「ん?そうか?」
「早いっすよ、10分くらい」

言われてみれば周りもまだ来ている人間が少ないし、慌ただしさもない。ニールが来たことで別の意味で慌ただしくはなったのだが。

「……まぁ、偶にはな」

部下の言葉を認めるとつい気持ちが逸ってしまったのだろうかとニールは自省した。我ながら子供みたいだと思い頭を掻く。
その様子をぱちぱちと見つめた部下は、あっとひらめいた顔をするとずいっと身を寄せた。含んだ笑みを浮かべて。

「もしかして、なんかあったんすか?」
「え!?……な、なんだよ、そんなに珍しいか?」
「だって機付長なんか楽しそうな顔してますよ」
「気のせいだろ」
「気のせいじゃないですって。どんだけ機付長の部下やってると思ってるんすか」

半歩引いたニールにじろじろ遠慮なく視線を向けながら、わざとらしく顎に手を当てる。

「機付長にそんな顔させるってことは、あの人絡みっすね」
「なっ!?」
「図星でしょ」

一瞬でかぁっと頬を染めたニールに部下は勝ち誇ったような笑みを浮かべうんうん頷いた。それから興味深そうに更に身を乗り出してくる。

「何があったんすか?もしかしてあの人のモーニングコールで起きたとかすか?」
「違う!あるかそんなこと」
「じゃあ今日はディナーとかすか?」
「っお前そういうネタ禁止って言っただろうが!」
「え?いつ言いました?」
「お前には毎日言ってる!」
「記憶にないっすよ」
「〜〜〜っ」

そう悪びれた風もない部下をぎんと睨むとニールはびっと指を突き出す。親しみやすさと優しさと同時に厳しさを兼ね備えた上官。一応そんな評価で整備小隊の中では通っているのだ。好き勝手言われて無罪放免はしない。

「よし!今日お前運搬食」
「さ、ハンガーオープン行ってきます」

言い切る前に部下はすたこらと扉の方に逃げていく。その背をびしびし睨み続けるニールに、おはようございますともう一人の部下が声を掛けた。

5時半前、ハンガーオープン。
重厚な扉が開くと同時に眩い朝の光が格納庫に入り込み、フラッグが太陽の元にお目見えする。黒い機体は光を反射して何となく嬉しそうに見え、そう感じてしまう自分の思い入れにニールは小さく笑った。乾いた滑走路、そして続く青空を見て目を細める。

「今日もいい天気になりそうですね」
「ああ、晴れて良かったよ」

逆帽子の部下と違い穏やかな気質の部下が声を掛ける。

「最近涼しくなってきて、機付長も嬉しいんじゃないですか」
「そうだな」

どうも整備員達の中にはニールが暑さに弱いという意識が定着してしまっているらしい。苦笑してニールは消火器類を持ち上げた。

「好きだぜ、今の時期」

若手に指示を飛ばしながら、列線準備に入る。

何気ない、繰り返しの日常。
けれど胸に誰かを想っているだけで、今日は少し特別なものになる。
そして同時に、そういう「誰か」がいることがひどく嬉しい。
もう一度空を見上げてニールは微笑んだ。

6時、朝礼。
整備小隊の面々と顔を合わせ、1日の予定、申し送り事項を確認する。
その後はハンガーアウト。
飛行形態のフラッグを牽引して格納庫からエプロンの所定の位置に並べる。
担当のフラッグの元に機付長としてニールが率いるチームが集まると、ニールは親指でフラッグを示して言った。

「今日はおれがブレーキマンやる」

ブレーキマンは機体のコクピットに乗り込み、牽引される機体を緊急時に停止させる役目を持つ。一見何でもないように見えて重要な役目だ。機付長を務めるだけあってニールには何十と経験がある。しかし普段は牽引を行っているニールの突然の申し出に、逆帽子部下は珍しいといった顔で疑問符を飛ばした。

「牽引しないんすか?」
「他のやつにも牽引の経験積ませてやりたいだろ」

牽引車両による牽引は間接的にではあるがフラッグを自分で「動かせる」数少ない機会だ。やりたがる者は少なくない。それを聞いて仕事の一環であると認識しつつも目を輝かせた仲間達に、機付長がブレーキ握ってりゃ安心かということで逆帽子部下も了承した。
部下達が脚立や車輪止めを運び始めるのを確認し、ニールは軽い足取りでコクピットに向かう。
機体の外へ露わになって搭乗者を待つ黒いシート。このフラッグの主、いや、パートナーの専用席。
長時間に及ぶ連続飛行時間のおかげで、そのシートにはパイロットの体に馴染んだ僅かな起伏がある。

「邪魔するぜ」

そっとそれを撫で親しみを込めて挨拶すると、ニールは軽く体を預けた。慣れた手付きで整備用のコードを打ち込み、起動させる。コクピットに収まると数秒の読み込みの後瞬時に視界がオープンになり、ニールはしっかりと操縦桿を握ってペダルに足を添えた。
踏み込みを強くかけることの多いこのパイロットに合わせ、このフラッグはペダルの重さが他のフラッグと若干異なる。パイロットの特性に合わせてカスタムされているのだ。他の機体も同じなようでいて皆違う。
そして一機一機異なるからこそ、この基地にはそれぞれ専門の機付長がいた。唯一の女性機付長となってからニールは調整を一任され、誰よりこのフラッグに関して知り尽くしている。そして、機体だけでなく、パイロットについても。

「いつも世話になってるな」

合図を送られた部下によってフラッグが牽引されていく。ゆっくりと前進する機体の中で、ニールは慈しむような眼差しでフラッグに語り掛けた。

「今日も無茶すると思うがよろしく頼むぜ」

その分、あいつの無茶の分、おれは全力で整備するから。
そう願うと明滅する計器が相槌を打ってくれているようで、思わずニールは微笑む。この後嬉々とここに乗るだろうパイロットの姿も想像して。

「今日は特別な日なんだ。お前も祝ってやってくれ」

ポケットからある物を取り出した。

6時半、飛行前点検。
チームで機体の上回り、下回りを分担して100を超える点検項目を確認していく。
迅速且つ丁寧に、一つの抜かりもなく。
次第に額に滲んだ汗を拭い、ニールは確かにやりがいを感じていた。
自分以外の誰かに尽くせるというのはどうしてこうも幸せな気分にさせてくれるのだろう。
それも、心から想う彼に。
機体を整備しながら彼を思い浮かべるニールの心は明るい。
彼は驚いてくれるだろうか。想像するだけで楽しくなってしまう。もうそんな子供でもないはずなのに、甘酸っぱい期待は抑えられない。

「そろそろっすね」
「そうだな」

丁度区切りがついたのか下回りを受け持つ部下がちらりと時計を確認する。7時過ぎ。予定通りの進行を確認すると、ニールは軽快な足取りで足場から降りた。両足が地上に着くと同時に、来ましたよと別の部下から教えられる。
顔を上げると、完全な朝を迎え眩い光が空から降り注ぐ中、こちらに向かってくる数人の人影が見えた。
真白のパイロットスーツに身を包んだパイロット達。
その姿が見えた瞬間整備員の間には心地よい程度の緊張感が走り、そしてどこか高揚が広がる。
空軍の主役。
その堂々とした姿に、赴任してきて日が浅い若手などは未だに感激している。実際そんな若手を目の端で捉え、おれも昔はそうだったなとニールは心の中で苦笑した。
この基地の特徴はもう一つ、パイロットがユニオンの精鋭の集まりであることだ。他の基地のように新米などおらず、皆が皆機体に携わる者ならば知らない者はいない名だたるパイロット。きらきらしい彼らにやっぱ感激も無理ないよなと思うと、ニールは部下に声を掛けた。帽子ちゃんと被れよと添えて。
パイロットはそれぞれ自分の機体の元へ向かって来る。整備員達は担当の機体の隣に横一列に並んでそれを待った。
やがて先陣を切って歩いていたパイロットが堂々とした立ち姿で足を止め、ニール達に向き合う。踵を揃え、互いにユニオン式の敬礼を交した。

「整備ご苦労、今日も私のフラッグをよろしく願う」
「はい、よろしくお願いします上級大尉」

凛と張った声にはこちらの背筋もぴんと伸びる。脇にヘルメットを抱えたパイロットは全員に視線を滑らせるとお手本のような敬礼を解き、ふっと口角を上げた。
男でも見惚れるような表情でたった一人ーーーニールを見つめて。

「そして」

隣で今はちゃんと帽子を被った部下がにやりと笑う。その含みまくった表情に、やっぱこいつ運搬食係決定だとニールは心の内で裁きを下した。
しかし今意識を向けているべきは部下じゃない。

「おはようという言葉を慎んで送らせて貰おう姫!やはり今日も麗しいな!」
「一瞬で仕事モード崩すなっ」

さあ抱き締めんとばかりに腕を広げて迫って来るパイロット、もといグラハムにニールは腰から取り出したスパナを構えて威嚇した。
ユニオン軍エースパイロット、第八独立航空戦術飛行部隊隊長、グラハム・エーカー。
グラハム・エーカー専用カスタムフラッグ機付長、ニール・ディランディ。
軍の花形とそれを裏から支える女房役が示し合わせたように目下交際中であると、この場にいる誰もが知っていた。

「別れて一夜、ようやく会えたな!君と共寝できない夜はひどく」
「なんつーこと言ってやがる!」

威勢の良い二人のやりとりに、始まったと微笑ましさ半分はやし立て半分で周囲が口にする。最早毎日毎朝の恒例行事だ。突飛な言動をかますエースと顔を真っ赤にして諫める機付長。機付長普段冷静なのに恋愛のことになると熱くなるっすよね、とは件の部下の談で、誰も異論を持たない。

「なに、ただの朝の挨拶だろう」
「んな挨拶があってたまるかっ」
「私と姫の間には成立すると言わせて貰いたい」
「そりゃお前の頭の中だけだ!大体今仕事中だろうが、もっと発言をわきまえろ!」
「どんな時、状況であろうと私の燃え盛る愛は抑えられん」
「じゃあ今消火器吹き付けてやるからそのまま待ってろ」

はい機付長、と先程ニールが運んだ消火器を穏やかな方の部下が差し出してくれる。それをがっしりと手に取るニールに、グラハムは臆せず、どころか感嘆の息を零した。

「ほう、見事な連携だ」
「当たり前だろ、おれの部下だぜ」
「なるほど、姫の統率力には恐れ入る。しかし私も一部隊を率いる身だ。いくら姫相手にも負けていられない。ハワード、私の援」
「余所巻き込むな馬鹿野郎!」

危うく隣のハワード・メイスン少尉、並びにハワード機付整備員達にまで飛び火しかけ、火種を消さんとニールは本格的に消火器を抱える。
整備はまだ続くのだ。こんな茶番で隣の進行まで遅らせるわけにはいかない。
実際隣近所はもっとやれとばかりに見つめているのだが。

「かけられたくなかったら点検入れっ」
「ふむ、どうやら私の姫君はご機嫌までは麗しくなかったようだな」
「お前が第一声発するまでは絶好調だったぜ」

なあと後ろの部下に尋ねるとこっそり楽しんでいる彼らははいっと援護射撃をくれる。強力な絆で睨みをきかせるニール。しかし当のグラハムはやはり動じず、それどころかどこをどう前向きに捉えたのか、良いことを聞いたという顔をした。

「つまりそこまで姫の心をかき乱せるのは私だけということか」
「悪い方にな。ぐちゃぐちゃにな」
「では、私は今から点検を行う。それによってこの私が姫の心を前向きに動かしてみせよう。怒った姫もなかなか美人は怒れば怖いという言葉を実感できて良いが、私はどちらかといえばやはり笑って欲しい」
「始めっからそうしてりゃおれはにこにこしてるっつの!」

地面に思い切りよく着けた消火器がどんと鈍い音を立てる。壮大な遠回りをしてニールの一大仕事は一段落した。

ここからはパイロットも点検に加わる。
恋人とひとしきり言葉のキャッチボールを楽しんだグラハムは(ニールとしては大暴投でキャッチも何もないと思う)、今度は嬉々とした顔でフラッグに歩み寄った。
さっきまでの騒々しさはどこへやったのか、そっとフラッグに左手を当てると静かに語り掛ける。

「ご機嫌はいかがかな私のフラッグ」

そう挨拶を交わすと、額を近付け何事かを囁き始めた。
愛用の消火器を所定の位置に戻して貰いながら、ニールはやっと落ち着いたとグラハムを見つめる。
これも毎日の恒例だ。
機体に話しかけるなど不思議な目で見られかねないが(先程の自分は置いといて)、この男の場合は容姿も相まってとても絵になる。
まるで恋人に愛を囁いているかのような、或いは主に愛を誓っているような。
敬虔な様子はどこか神聖さすらある。
ずっとあの調子なら文句ねぇのになと思っていると、隣であの部下がこっそり囁いた。

「嫉妬しますか機付長」
「……お前ほんとにそういうネタ好きなのな」

もう半分ほど疲れたニールは呆れたように溜め息を零す。どうなんですと急かす部下に頭を振ると、熱心なグラハムを捉えたまま答えた。

「まさか。むしろフラッグに関しちゃ、あいつは恋敵だ」

そう偽りのないニールの言葉にはーっと感心した息を吐いて、部下の瞳には憧憬が籠もる。いいなあいいなあと拳を握ってまくし立てた。

「美男美女に愛されて、俺もフラッグになりたいっすよ!」
「はいはい、仕事するぞ」
「もしかして子供の名前はフラッグちゃんですかっ」
「馬鹿なこと言ってないでやれっ!」

悪戯っぽい笑みを残して部下はやっぱり逃げ足だけは早かった。

気が済んだらしいグラハムは機体をぐるりと一周して脚や主翼、電気系統などをニールと点検していく。

「異常ねぇな」
「ああ、こちらも問題ない」

確認したら即次、とほとんど阿吽の呼吸でさくさく進む。
簡潔なやりとりを繰り返しているとニールは一応優秀なんだよなこいつ、と呆れるやら惚れ直すやら複雑な気持ちになった。その真面目な横顔を見ているとどこにどう仕事モードとプライベートモードのスイッチが付いていて、どんなスピードで切り替わっているのか甚だニールは疑問だ。思考といいその切り替えといい、整備士の知識を持ってしても彼の回路だけは全くわからない。
最後の一点を異常なしと互いに確認すると、パイロットの外部点検は終了だ。

「書け、整備ログ」
「了解した」

手渡した紙にグラハムは几帳面そうな字でサインを刻む。一息吐くと瞬間凪いだ風にひらりと端が捲り上がり、二人の髪がふわふわ揺れた。

「今日も絶好のフライト日和だな」
「ああ、秋晴れってやつ?」
「秋の空は美しい」
「つって、どの空も美しいんだろ」
「無論姫の瞳の青も美しいがね」
「口が飽きねぇなぁお前」

飽きないやりとりを受け流し紙とペンを受け取る。
いつもならさっさと寄せて次に取り掛かるのだが、今日のニールはそのサインをまじまじと見つめた。
毎日毎回書いているサインなのだからそれ自体は全く珍しいものではないのだが、今日はなんとなく違う。
今日は、どうしてもその名前が特別に見えた。理由は簡単だ。グラハム・エーカー。何故なら、その存在が、この世界に、今日。

「……なぁ、グラハム」

字面を読み上げるように呟くと、いつの間にかフラッグを見上げていたグラハムが視線を合わせる。こういうふざけていない(グラハム本人はいつもふざけていない)動作はなまじ見目が良いだけに一々ニールをどきりとさせるが、しかし今は照れている場合じゃない。思い切って口を開く。

「今日何の日かわかるか?」
「今日?」

グラハムは相変わらず歳のわからない大きな瞳を瞬かせた。
そしてやや心臓を高鳴らせるニールの前で、さして深く考えるでもなく口にする。

「今日は対領空侵犯措置訓練だ」
「…………」

まぁ、この状況であんな聞き方をすれば、こうなるのだろうか。なるんだろうな、こいつの場合は。
大真面目に教えて貰った訓練内容に、肩透かしを食らったような、やっぱりといったような。相反する感想がニールの中で広がった。

「……そっか、そうだな」

そしてやっぱり公私の切り替えのタイミングもわからない。今こそ私に切り替わって欲しかったのだが。

「どうかしたのか?」
「いいや、いい訓練にしろよ」

無論だと頷くグラハム。
幾分肩を落としつつ、まぁ寧ろ好都合だとニールは自分を励ました。それにサプライズの方がこういうのは何かと楽しい。

「よし、次行くぞ」

気持ちを切り替え作業を進める。
次はいよいよグラハムがコクピットに乗り込み、作動チェックを行う。派手な金髪をヘルメットに収め、待ちかねていたといった様子で乗り込んだグラハムをふと笑ってニールは見送った。

『起動するぞニール』
「オーライ」

通信で交わした言葉の後、駆動音と共にフラッグは呼吸を始める。生き生きとし始めたフラッグに良かったなとニールは心の中で語り掛けた。グラハムが乗った瞬間がやはり、一番フラッグが喜んでいるように感じるのだ。自分の感性が照れ臭くてグラハムの前では口にしないけれど。
引き続き互いにやり取りしながら各部の動作点検、更にグラハムは自己診断機能を使って電子機器をチェックし、ニール達は外装などのチェックをする。

「どうだ?」
『上々だ。問題ない』
「オーケー」

気の抜けない整備もやっと最後の段階に向かう。
次はランプアウト。
エプロンから滑走路の端のアーミングエリアへとパイロットがフラッグを移動させる。その間整備員達は車で先に移動して待ち受け、そこで最終点検を行う。
ぎゃあぎゃあやりながらもきっちり時間通り、どころか余裕さえあるのは偏にグラハムとニールの力量と部下の全力のおかげだ。
ニールは最後のセーフティーピンを抜き、画面越しにグラハムに見せた。

「整備完了」
『感謝する。皆にも伝えてくれ』
「了解」

8時前。
世間一般がやっと動き始めるだろう頃、いよいよ今日のファーストフライトになる。
小さな達成感を噛み締めつつ見送りの為に整備員達が滑走路に向かって並ぶ。
計器に目を走らせ、グラハムはもう一度機体を整えてくれた彼らの姿を確認しようと地上を映すモニターに視線をやる。すると丁度ニールの声が聞こえた。

『グラハム』

まだ通信を切っていなかったらしい。常ならば既に切っているはずで、グラハムは頭に疑問符を浮かべた。画面越しのニールの顔はほんのり紅潮し、グラハムをどこか睨むように見据えている。正確にはそれは睨んでいるのではなく、照れくささに何とか耐えて視線を合わせているのだが。

「どうかしたかな姫」
「……お前の頭の後ろ、見ろ」
「後ろ?」
「っ、いいフライトを。切るぜ」

そう早口に言ってぷつんと通信は切れてしまった。
不思議に思うまま首を回すと、コクピットの背面、丁度死角になる部分に何か白い物体が張り付いている。機付の整備員故に知る場所だろう。
手を伸ばして取ると、それは2つ折りされた小さなカードだった。
さすがのグラハムも驚き、裏表を見返すとそっとカードを開く。

「……なんと」

そこには記した本人の内面を表すような、柔らかく大らかな文字が並んでいた。
簡潔に、けれどありったけの想いを込めて。


『Happy birthday』

そして

『最高の空を』


グラハムは目を丸くする。
それから、自然に笑い声が零れた。
そうかと笑う。
今日は、9月10日。
本人も忘れていたものをニールは覚えてくれていたらしい。

繰り返しの日常の中の特別な日。

グラハムはグローブ越しに字面を撫でた。
一体どんな顔でこれを書いたのか。今頃赤面のまま見送っているであろう恋人を想像するだけで愛おしさが募る。
祝福されたことも勿論そうだが、毎日の中で自分のことを考えてくれていたことがひどく嬉しかった。
これからの飛行プランを頭に思い浮かべながら、前を見据えしっかりと操縦桿を握る。
一行目の言葉は後でまた、何度でも、その愛らしい唇から直接聞き出そう。早朝から祝福の言葉を貰ったのだ、今日1日掛けて祝って貰う。
今は二行目。
まずはプレゼントの一つを堪能させて貰おうではないか。
愛する恋人の整備してくれた愛機で愛する空を飛ぶ。

「確かに最高だな」

グラハムは笑った。
目の前には青空が待っている。
同じようでいて、毎日違う、美しい空が。

「管制室、グラハム・エーカー上級大尉だ。発進許可を要請する」

オペレーターが了解の言葉と共に指示を飛ばす。それから後方で待機する部下に有視界通信を開くと、溌剌と言った。

「ハワード、ダリル、今日は抑えられそうにない。着いてきてくれるか」
「もちろんですぜ隊長」
「思い切りいきましょう、折角の誕生日です」

にっと口角を上げ軽い敬礼をした彼らにここにもいたかと笑う。
私は幸せ者だなと呟くと、地上のニール達の敬礼に送られグラハムは空へ飛び立った。

最高の空へ。








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