(アリニル♀)
(やや黒め)
高い嬌声をあげながら、うなされたように女は首を左右に振る。シーツに広がる柔らかな茶髪はその度に波打ち、汗ばむ女の顔に張り付けばいっそう女を妖艶なものにさせた。
腰を強く打ち付けると同時に豊かな胸が淫らに揺れる。
全身を溶けるような熱に浮かされ、乱れ貪り合う。上り詰めた女がびくりと大きく跳ねたその刹那。
「、グラハム、」
女の唇が紡いだ名は欠片も知らぬものだった。
「―――誰だ」
隣の女が目を開けるなり、アリーは問う。
「……なにが?」
呆けた口調の返答は説明の抜けた問い掛けに至極当然のものだったが、その疑問符に尚更アリーは苛立った。きょとんとする女と対照的に、眉間に強くしわを寄せる。一つ、舌打ちをした。
「お前が言った名前だ」
「……名前?」
まるで不可解と言うような顔をする女。
―――――無自覚だ。
ああ、なんて苛立つ。
バン、とアリーは女の顔の両脇に手を着いた。ベッドを叩いた。
上から見下ろすようになると、微かに女は肩を揺らす。
いっそ感情を滲ませない無表情な顔で、アリーは低く声で言った。
「『グラハム』って誰だ」
たったそれだけの単語に。
ひどく女は青い目を見開いた。
それからすぐにその表情を消しはしたが、一度崩れた無表情は裏付けにしかならない。
アリーは碧の瞳で女を睨むようにじっと見つめた。
逃がさないように、互いの瞳を寄せ。
女の澄んだ青には、対照的なほど暗い顔をした己が映る。
さらに覗き込もうとすると、背中に流れていた赤毛がぱさりと肩から落ちた。
燃えるようなその赤が視界の端に広がる。
同時に何か轟としたものが心の深層から沸き起こった。
「………前の、男」
唇が無表情に上下左右に動く。
予想した通りの、それでいて最悪の答えにぎり、と牙を噛んだ。
「…………へぇ」
アリーの唸るような声に女は薄く唇を開いたが、言葉を考えあぐねたのか再び閉じる。
重い沈黙をしばらく聞きながら、女は掠れた声でやっと一言を絞り出した。
「………………ごめん」
謝罪に意味のあるはずがない。
いっそすべてをはね除ける強さでアリーは睨む。
睨みながら、まるで情事の時のように身体の内側から抑えがたい炎が轟轟と膨れ上がっていくのを感じていた。
今にも火柱を上げ、勢い激しく喉を焼き、口腔から溢れてゆくような烈火。
その正体は知れている。
それは、ひどく単純でシンプルで幼稚な感情。
そして、醜くねじ曲がり歪んだ残酷な感情。
こうして欲しい、ああして欲しいとひたすら求める自己中心的な「欲望」という薪を燃料に、その炎はない交ぜとなって燃え上がる。
それは、嫉妬という感情。
ぎしりとスプリングの軋む音をたて、アリーは女の上に跨がる。ぱさりとまた背中から赤が広がった。
女の瞳が揺れる。
「おいニール」
水を湛えたような青の瞳に聞きたい。
自分の碧の瞳は身の内の炎が延焼して燃え、灼眼となってはいないか。
そんなふざけたことを。
「んなに好きだったのかよ」
今己を映している女の瞳を覗き込む。
女に世界を見せている瞳。
思えばこの女は。
何人の男をその瞳で見つめたのか。どれくらい見つめたのか。
その唇は何人の男と重ねたのか。何度重ねたのか。
その体で何人の男と寝たのか。何度寝たのか。
その純潔を奪ったのはどんな男だったのか。
何も、知らない。
寧ろ知らなくていい。
知る必要はない。
知りたくない。
知りたくはない。
けれど―――知りたい。
他の男が知り自分が知らない彼女があるなど。
気に食わない。
顔も知らない男に炎は限度を知らず燃え上がる。
「『グラハム』、」
その呼び掛けにその男はどう応えた。
優しく呼び返したのか。
キスでも贈ったのか。
いっそう強く腰を打ち据えでもしたのか。
気に食わない。
気に食わない。
轟轟轟轟、身の内から炎の唸りが聞こえる。
うるさい五月蝿い煩い。
煩い。
「ア、」
バンと両手で女の顔の両脇を叩いた。やっと絞り出された女の声はあえなく途切れる。
アリーは口角を上げ、ひどく歪んだ笑みを浮かべた。
「忘れさせてやる」
喉から出るのは獣の声だ。
荒々しく、噛み付くように唇を押し付けそれ以上の言葉を奪う。舌をきつく絡める。
毛布を無理矢理剥ぎ取って腕を縫い付ければ、白い肢体に散る真っ赤な痕が目についた。
昨夜付けたその上をもう一度きつく吸う。
途端火の粉のように赤が女の体に散る。
ただ炎の化身と化して女を抱く。
(グラニル♀)
(貴族設定)
(※ニールはドロ様の妻)
(→人妻ニールに惚れたハムが口説き落として不倫状態)
脱ぎ捨てられたドレスは吸収していた温もりをとうに放出した。散った一片の花弁のようにくたりと床に広がり、再び腕を通されるのをただ待ち続ける。
その所有者である女は柔らかなベッドの上に白い肢体を曝し、ただ与えられる熱を享受していた。
「ぁ、っ、ふ、」
波のように押し寄せる快楽に細い眉を切な気にきゅっと寄せ、目を閉じ震える。ずくりと奥を穿たれると、男の背に回した手が堪らず甘く爪を立てた。
体を繋ぐ男は不敵に笑う。
「、んぅっ、は、ぁ、」
高く、くぐもった声はひっきりなしに止むことを知らない。
清楚なハンカチを唇にくわえ、彼女は喘ぐ。
行為に及んでいながら恥態を曝すまいとするその振舞いは、名家に生きる彼女らしかった。
否、或いは、不義の男へは聞かせまいという自らの夫へのせめてもの罪滅ぼしか。
いずれにせよ健気な女に愛しさが募った。
「ニール」
呼び掛けるとうっすらと開けた瞼の間から水を湛えた青の瞳が覗く。
その匂い立つような色香に息を飲み、引き込まれるような錯覚を覚えた。
どこまでも彼女は自分を誘惑する。無意識に、残酷に。罪を犯してでも手に入れたいと思わせる程に鮮烈に。
罪の香りが常に漂う中にも彼女は純然と美しい。
今その眼差しを自分が独占しているということに恍惚とした。
「好きだ」
「っぁ!、ふぁっ、」
律動を早める。彼女は細腕でしがみつく。
唾液の染みたハンカチをきつく噛み締めた。
仰け反った首の白さに当てられる。汗ばんだ肌が密着するのに、感じるのは熱情だけだ。
優美な気品を称えながら、妖艶にひどく淫らに彼女は乱れる。
生涯唯一たった一人に抱かれるはずだったであろう彼女のその艶姿は、夫に教えられたものかそれとも。
(罪深いのは君もだ)
彼女は自分を虜にしてしまった。
故意に罪に誘導した方が悪いのか無意識に罪を誘惑した方が悪いのか。
何にせよ共有するこの罪はひどく甘美だ。
「ふ、ぅん、っ!、んんっ!、」
愛していると囁いてきつく彼女を抱き締めた。
(ハンカチくわえて喘ぐのに萌えます)
(アロウズグラニル♀)
(ニール→隻眼、左足不自由、杖使用)
(ハムの秘書的存在)
室内に射し込む斜の日差しは何もかも橙色に染める。
「ニール」
彼が囀ずるようにそう呼べば、彼女はゆっくりと彼へ顔を向けた。すっと彼を捉える青の瞳は隻眼で、まるで地球のようなそれに、彼はいとおしさと寂寥を抱きながら唇を寄せる。
ふわりと彼は彼女の瞼に口付けた。茶の長い睫毛はふるりと震え、白い肌に影を落とす。
彼はそのままするりと黒の眼帯を奪い、生々しく残る傷痕にも唇を這わせた。傷痕の部分だけ肌が赤みを帯びているのは彼も揃いで、しかし女の顔に残ったそれには彼は自分のそれに触れるよりずっと密やかに触れる。
彼女のモスグリーンの軍服の、整えられた襟に彼は手を伸ばした。指先を入れ襟を広げる。
瞬間、彼女にその手首を掴まれた。
「駄目」
「……心外だ」
「今日は、気分じゃない」
おあいにく様、と彼女は小さく笑う。口元だけで笑う。
ぱっと彼の手首を解放すると彼女はさっさと襟元を正した。そうしてソファーにもたれさせていた杖を掴む。不自由な左足に代わるそれを垂直に床に押し、彼女は慣れた様子で立ち上がった。長い裾がふわりと翻る。
「今度な」
そう言ってデスクに向かおうとする彼女の、華奢な手首を彼は掴んだ。
「待て」
強い語調にも彼女は臆することなく淡々と返す。
「……わがままだなミスター」
「そのことではない」
黙って、彼女は彼を見返す。彼は掴んだ手首の、袖を思い切り捲り上げた。
「これは何だ」
さらけ出された白い腕。
その細腕には、赤い輪の様な跡がくっきりと浮かんでいた。
鬱血している。
歪な形に。
―――誰かに強く掴まれたように。
彼は立ち上がり彼女の正面に立つと躊躇いもなく襟を広げた。
透けるように白い肌。そこには、ぽつぽつと侵食するように鬱血痕が散らばっている。
強打した鬱血とそうではない鬱血とが入り交じり、彼女の肌を貶めていた。
全て、彼が為したものではない。
「誰だ」
力加減も忘れて彼は彼女の肩を掴んだ。それでも、一向に彼と彼女の視線は合わない。
「誰にやられた」
「……知るかよ。お前以外と話もしないのに、誰も何も」
小さくぼそりと彼女は溢し、ぎゅうっと杖を掴む手に力を込める。視線を下に向けると、彼女の左足は震えていた。抱き寄せればがくりとその足が力を失う。
ずるりと彼女は彼にもたれ掛かり、同時にカンと高い音を立て杖が転がった。
彼女の足は悲鳴を上げている。無理矢理に扱われ押さえ込まれ、開かされ。
彼は彼女を支える手にぐっと力を込める。
「……怒ってんの?」
小さく笑ったのがわかった。彼女が悲哀に包まれている時の笑い方だった。
「案外部下思いなんだな、ワンマンアーミーは」
「何も言うな」
淡々と滑らかに動く彼女の唇を唇で塞いだ。口内を探れば彼女が息苦しそうな吐息を溢す。
「っ、は、」
解放すると同時に、足には細心の注意を払って彼は彼女を抱き上げた。驚いた彼女は咄嗟に彼の胸元にしがみつく。そのまま彼はしっかりとした足取りで歩み出すと、寝室に入った。
それぞれ壁に寄せるように置かれたシングルベッドの、彼女のベッドへ彼女をそっとおろす。横たえられた彼女は黙って彼を見上げた。
「動くな。医者を呼んでくる」
いっそ冷静にそう言い残して彼は踵を返す。彼女は彼の命令を無視し、ぎゅっと彼の軍服の裾を掴んだ。
「待てよ」
さっきと逆の構図になっていた。
「いらない、医者」
「悪化したらどうするつもりだ」
「どうでもいい」
「、君は、」
ありったけの力で彼女は彼を引き寄せた。男に比べれば全く力のないと言っていい腕だが、滅茶苦茶に引くと油断していた彼は傾く。反射的に彼女のベッドに手を着いて転倒は免れたが、大きくバランスを崩した彼に彼女はベッドの上から手を伸ばした。
「医者はいらない」
彼の頬を両側から両手で包み込む。彼は僅かに眉を動かした。
「医者呼ぶくらいなら、抱いて」
橙色の日を横から受けた端正な顔は一種の絵画のようだ。見つめていると時が止まってしまったかのような錯覚を覚える。
はっきりと今ここに存在しながら、次の瞬間には一瞬にして崩れ散ってしまいそうな儚さを湛え。
彼女は彼の頬を包む。傷痕を撫でる。
「グラハム」
若草色の瞳は揺らぐことなく彼女を見つめ返した。その柔らかな緑に、彼女は広く安らかな草原を無機質な部屋の中で思う。
窓の向こうで日が沈んでいく。
「忘れさせて」
そう言うと彼はもう一度、静かに傷痕に口付けた。