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(グラニル♀ 和風物 ※敬語ニールです)













ひとつ巡ってまたひとつ。
季節は鮮やかに美しく、時に厳しく移り変わっていく。
自然の常。世の理。それに逆らえる者などいない。どんなに名残惜しくとも、憎々しくとも。
何の縛りも受けずに、そしてまたひとつ季節は巡る。






城下町の外れには、桜が並んで生えている小さな丘があった。
誰が植えたでもなく、いつからか競うように成長しそこに存在している桜の木々。春には豪華絢爛という言葉がぴったり当てはまるほど一斉に花が咲き誇る。
だが、まだ温かくなって間もない雪解けの今。
その光景は残念ながら遠く、固い蕾が枝の隅でじっと時が来るのを待っているだけだった。
茶色だけが色を占める丘。
無造作に伸びた枝が頭上を覆う道を、一人の男が歩く。
人混みにいても目立つ金色の髪は、その木々の中では尚更浮いていると言っていい。元々この丘は桜の時期以外は誰も立ち入らない場所であるため、男はまるで異色な存在だった。

男はただ先へ先へと歩んで行く。

立ち並ぶ木々の奥、町から最も離れた場所には特別大きな桜の木があった。ここにある桜すべての親であると言われる古い大木。その下がいつも待ち合わせた場所だった。
まるで少年のように高鳴る胸を押さえつつもうとうに慣れた道を登りきると、老木の太い幹に手を添えて求めた人は立っていた。
慈しむように目を細めて、立派な木を見上げている。

「ニール、」

男が呼び掛けると、パッと彼女は顔を輝かせて男を見た。

「ケビンさん、」

端正な顔を綻ばせて、彼女は自ら小走るように近寄る。
ケビン―――もといグラハム・エーカーも、愛しいニールの元へ歩み寄った。







ケビン、と呼ぶニールはそれが偽名であることに気付いていない。もし彼女が気付けば、今までの関係は一気に崩壊してしまう。
グラハムはこの城下町をゆくゆくは治める人物だった。住まうは町のどこからでも見える高い城。そこで彼は若殿と呼ばれている。
身分故顔は知られていなくても、名前を知らない者はいない。無論本来ならここにいられるはずのない人間だ。
彼は城下を見ると書き置き、脇差しだけを持って窮屈な城を抜け出していた。
名を隠し、身分を名もない武士の息子と偽り、ただの青年としてニールに会う。
対してニールは、一介の町民。しかも早くに両親を亡くしたせいで貧窮し、町民の中でも下の扱いを受けていた。町の大きな仕立て屋で、不当に給料の低い下働きながらも懸命に働いている。
着物だけでも少し着飾れば他に引けを取らない美しい女だというのに、貧窮のせいで彼女は今日も継ぎはぎの多い垢じみた着物を見にまとっていた。
生い立ちのせいで不憫な娘。
グラハムとはまるで正反対。
その二人が恋仲であるとは誰も知らない。







あかぎれ、痩せたニールの手をグラハムはそっと握った。冷えた指先を温めようとぎゅっと包み込む。

「桜、まだまだですね」
「ああ」

肩を並べ、二人は春を迎えたばかりの木々を見上げた。春風が優しく頬撫で、髪をさらう。

「早いものだな。君と会ってもう一年だ」
「……はい、」
「また君と見られることは僥倖としか言いようがない」
「私も、」

伏し目がちにニールは紡ぐ。

「こんなに嬉しい春はありません」

伝わる体温に、ほんのり頬を桜色にしてニールが微笑んだ。




二人が出会ったのは、一年前、この桜の下だった。
例のごとく城を抜け出し町を散策していたグラハムが、噂を聞きつけ満開の桜の木々を見に来ていた時。
満開の桜の中、一人花を見上げ微笑むニールにグラハムは心を奪われた。
その時グラハムの目に映ったニールの姿は、今まで見てきたどんなものより美しかった。

『花の精でも舞い降りたのかと思った』

それが実際ニールにかけた言葉である。
それから度々その木の下で会うようになり、いつしか約束をして待ち合わせるようになり。二人はどんどん距離を縮めていくと、自然と恋仲になっていた。
二人で桜吹雪を手にすくい、青葉を仰いで木漏れ日を受け、色付く葉を愛でては、銀世界で手を暖め合い、そして再び訪れた春。
毎年同じ様に花たちは咲こうとも、二人にとっては去年とまた違った景色が広がろうとしている。



「いつ頃咲くだろうか」
「今年は遅咲きかもしれません」
「待ち遠しいな」

温かな日差しの中、くすくすとニールが隣で笑う。
生まれてこの方、こんなに幸せなことはなかった。

「ケビンさん、」

ふいにニールは左手で地面を指差した。細い指先の示す先にグラハムは視線を向ける。
向けた瞬間、目に飛び込むのはまぶしい黄色。

「タンポポなら、」
「ほう、」

一輪、儚げに、けれど凛としてタンポポが風に揺れていた。
くい、と遠慮がちに手を引くニールに従って、ゆっくりとその花の元へ歩み寄る。
木の根元に咲く花は、ともすれば気付かず踏んでしまいそうなほど小さな花だった。
そっと、ニールが膝を折る。手を繋いだままのため、自然グラハムは腰を折る格好になった。
指先で優しく、ニールが花を撫でる。

「可愛い、」
「こんな所にも咲くのか」
「風に乗って来たのでしょう」
「なるほど」

面白いものだ、とグラハムがひとりごちる。
城の中で大事に育てられてきたグラハムにとって、こういった小さな花やその知識はとても興味深く新鮮なものだった。

「ニールは博識だな」
「そんなこと、」

ふるふると首を振って答える彼女。身分故学はなくとも、礼儀のわきまえた落ち着いた女だった。
グラハムが微笑み返すと、さっと頬を染める。





ニールとは体を合わせたこともなければ、唇を重ねたこともない。
ただ大事にしたかった。





橙色が空を染め、遠くの山々の間から夜の姿が見え出す頃、町では重い鐘の音が鳴る。日が沈む時刻の合図。それが、二人の別れの合図でもあった。

丘の麓まで、手を繋ぎ歩く。

「ニール」

立ち並ぶ木々の途切れる手前で、グラハムはニールを引き寄せた。
細い体は容易く腕の中に収まる。
ほんの少しみじろいで、ニールはためらいがちにもきゅっとグラハムの着物を握った。

「……今度は、」

いつ会えますか。

遠慮がちに聞く彼女が堪らなく愛しいと思った。

「月が満ちたら」
「はい、」

その頃ならもう桜も咲いているだろう。
そう囁くとニールは頬を染めてはにかみ、頷いた。







こっそりと城の自室に帰り着くと、室内は出ていった時と何ら変わらずひっそりとしていた。机上の書き置きもそのままだ。
ふぅ、と息を吐く。
脇差しを置くと桐の箪笥を引き出した。箪笥の中には上等な着物ばかりある。ニールと会うため身分を隠すには、着物も着替えねばならなかった。ニールがしがみついてくれたそれを着替えるのは些か惜しかったが、このままでいてもいけない。着物を一枚出して着替え始める。
ニールは今何をしているだろうか。頭を占めるのはニールのことばかりだ。別れたばかりとはいえ、今すぐ会いたくて堪らない。明日にでも桜が咲いて月が満ちてはくれないかと無茶なことを思う。
桜の中に立つニールはさぞ綺麗だろう。運命的な出会いを果たした一年前の光景を思い返す。あの美しい彼女が今年は初めから自分のものなのだと思うと、ひどく幸せだ。
すっと着物に袖を通し、帯を締めたその瞬間。

「若殿様!」

突然襖が開いた。
蹴破らんばかりの勢いで入って来たのは家臣だ。不躾ならしくない行動にグラハムは驚きつついぶかしむ。

「何だ」

家臣は肩で大きく息をして、次の瞬間どさりと膝を着いた。
跪いたのではない。脱力した、と言うのが相応しかった。

「殿様が、」

震えた声がシンとした空気にはよく響く。

「お殿様が、お父上が亡くなられました……」

開け放された襖から入り込む夜風が、冷たく頬を撫でた。








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