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ユニオン領内には他国に比べ多くのカジノが存在する。古くから人々に親しまれたその場所は連日盛況を欠くことなく、様々な人間で賑わっていた。
落ち着いた内装の場内で繰り広げられる勝負。計算でもあれば運試しでもあり、また度胸試しでもある様々なゲーム。自由であり、しかし一瞬にして先の変わる世界。一夜にして儲けを出す者もいれば堕落する者も当然いる。その先の見えないスリル。人間というのは元来そういった争い事やら運試しやらが好きな性分らしい。
カジノはひどく人間らしい娯楽だ。
時折歓声やら舌打ちやらが響く場内を、グラハムは壁に背を預け腕を組みながら眺めていた。
真っ白なシャツにスーツ姿の彼は、高級感のあるこの場所にも恐ろしいほどよく映える。
大企業の御曹司兼自身の会社をも所有する彼は息抜きがてら度々カジノを訪れていた。
賭け事というより、勝負が好きな性格である。
今日も秘書のカタギリを連れ、グラハムは気楽にたしなんでいた。戦績は今のところ負けがない。来た時より幾分膨れた鞄が足元にはある。正直な話元々金には困らない立場であるため、グラハム自身それほど損得に執着はないのだが。

「本当、君の運の良さには毎回驚かされるよ」

二人分のグラスを手に、カタギリが歩み寄って来る。

「運を味方につけるのも至難の技さカタギリ」
「でも運も実力の内と言うか何と言うか」

苦笑混じりの笑みを浮かべるカタギリ。差し出されたグラスをグラハムは受け取った。
冷えた感触が心地よい。
グラハムは一口含むとグラスを揺らし、たゆたう水面を眺めた。

「まだ続けるのかい?」
「ああ。今日は特についているようだ。調子がいい」
「何事も調子に乗りすぎるのは駄目だけどね」
「熟知している」
「で、今度は?」
「バカラでもしようか」

壁から背を離す。カタギリが鞄を持ったのを見るとグラハムは歩き出した。

「君のバカラは見ていてハラハラするんだよね」
「そうか」
「一気に大金賭けちゃうんだから」
「勝負は度胸だろうカタギリ」
「大した度胸だよ」
「大金を賭ける度胸がなければ社の経営もできないさ」
「はいはい。君のおかげで……、」

ふとカタギリが口を紡ぐ。
その間を埋め合わせるようにグラハムの耳に届いたのは、カツカツとした音だった。
カツカツ、喧騒の中やたら浮き立った足音が聞こえる。
ヒールの音だ。
近付いて来る。
すると。

「そこのブロンドさん、ちょっとごめん」
「む、」

声をかけられた、と知覚するより早く左肩を突然押され、思わずグラハムはよろめいた。グラスの中の液体が微かに音をたてる。

「おっと、」

跳ねた液体がシャツに染み、視線を下げた直後。
視界にちらついたワインレッド。
ギリギリまでスリットが入ったドレス。
そこから覗く艶かしい足。
つられるように見れば、あるのは大胆に白い背中を露出した後ろ姿だった。

「君、」
「ごめん、急いでるから」

振り向かないまま言い捨てて、女は行ってしまう。
遠ざかる足音を聞きながら、グラハムは呆然と見送った。

「何だあれは、」

緩く眉間を寄せ、小さく漏らす。
驚いたのはもちろん、いささか不躾ではないか、と。
カタギリもハンカチを差し出しながら視線で女の背を追っていた。

「あれは確か、」
「知っているのか」

視線をグラハムに戻すと、ふと意味有り気な笑みを浮かべる。

「『眠り姫』だよ」
「……眠り姫?」

聞いたことがない。

「誰だ」
「三ヶ月くらい前からいたらしいけど。そういえば丁度擦れ違ってたのかな」
「眠り姫とはなんだ」
「待ってよ。染みになっちゃうよそれ」
「構わん」
「またそんなこと言って」

はぁ、と些か大仰にため息をついてカタギリは無理矢理グラハムにハンカチを握らせた。もう片手のグラスを受け取りつつカタギリは続ける。君は好奇心が強いからなぁと言いながら。

「まぁ聞いた話なんだけど」
「ああ」
「何でも、借金背負ってるらしくてね。ここで毎晩、稼ごうとしてるんだって」
「……カジノでか」

これまた随分不安定な収入だ。
訝しげに眉をひそめるグラハムの心情を察したのか、カタギリは笑った。

「それが結構運が強いらしいよ。最早有名人みたいな」

ほら、とカタギリは視線を周りにやった。つられて見ると確かに周囲にいた人間が姫だと口々に騒ぎ、『姫』の去った方へ向かっていく。

「……何故『眠り姫』と呼ぶ」
「そこまで気になる?」
「好奇心が強いと言ったのは君だ」
「……それがね」

僅かにカタギリの声のトーンが落ちる。ハンカチを握ったままグラハムは真摯に見つめていた。

「お金に困ってるわけだから、もし負けた時明日の掛け金まで取られちゃ困る、ってことで」
「ああ」
「負けたら夜を共にする」

つまり。
一緒に「寝てくれる」。
グラハムはぱちりと瞬いた。

「勝者だけが見れる、眠り込む姿があまりに美しいから。だから、『眠り姫』」

眠り姫、と心の内で反芻する。お伽噺とは全く逆の、清純でない話だ。

「……賭け事として成り立つのかそれは」
「それが彼女を抱きたがる人は多くて、寧ろみんな大金持って勝負しにくるんだってさ」
「それほどなのか」
「しかもそれでそのお金持ち達に勝てば彼女も一気に稼げる、ってわけ。なかなか上手くできてると思うけど」

もう彼女自体がゲームだね。

そう言ってカタギリは話を切り上げた。何やら思案気なグラハムに、行くんでしょ、バカラ、と微笑みかける。しかし、グラハムは爪先を女の去った方へ向けた。

「見てみようじゃないか」
「……君、こういう俗なことはあまり好きじゃないと思ってたけど」
「無論、あまり好ましいとは思わない。だが」
「だが?」
「私とぶつかったのはただの偶然ではないと思わないか」
「え、」
「言っただろう、今日の私はついていると」
「だから?」
「何かあると思わずにはいられない」

勝手に断定するや否や、グラハムは颯爽と歩き出す。
相変わらずだとカタギリは肩を竦めた。











「サンキュ」

白い手が卓上の金を遠慮なく集めていく。そのコインがたてる金属質の音と共に、忍びやかな拍手と敗者の舌打ちが響いた。
勝ったのは「眠り姫」だった。

「また勝負してやるからな」
「期待してる」

男の明らかに悔しさの滲んだ声に女はあっさりと返し、金をまとめ席を立つ。カツリと踏み出すと見物していた男達が一斉に取り巻いた。上等なスーツを着た男もいれば、厳めしい顔の男もいる。

「姫、次は私と」
「俺とどうだい」
「こないだのリベンジだ姫」

行く手を阻むように声がかかる中、女は凛と立っていた。グラハムは彼女の後ろ姿を見つめる。
彼女の賭ける様子を、グラハムとカタギリは終始後ろから見ていた。女の声は聞こえれど顔はまだ見ていない。ただグラハムがわかったのは、彼女が今まで会ったことのないタイプの女性だということだ。

「今の奴より羽振りがいいんだったら」

女が口を開くなり周囲は一転、静まりかえる。高圧的な言い方に、あまり女らしいとは言えない口調。しかし男達は構わず、聞き漏らすまいと視線を注いでいた。

「ポーカーで勝負」

おお、とどよめく男達。次の瞬間には我先にと移動を始める。姫というより女王ではないかと思わずにはいられないその振る舞いと周囲の従い方。
正直、グラハムにとってあまり好ましいタイプではない。
言ってしまえば、嫌な女。
時間の浪費だっただろうか。何となく腕時計を見る。

「次も見るかい?」

カタギリが控え目な声で横から訪ねた。男達やギャラリーは皆去ってしまっている。

「そうだな、」

少しのため息と共にグラハムは呟いた。
……あまり期待通りではなかった。自分の勘に自信はあるが、今回は外してしまっただろうか。
やめておこうと言おうと顔を上げて、しかしグラハムは動きを止めた。
女は、その場から動いていなかった。
一人佇んでいる。
さっさと移動するものだとばかり思っていたグラハムは、思わずじっと見つめた。
女は、ふとバックから小さなメモ帳を取り出す。
それを台に置くとパタパタとペンを滑らせた。10秒足らずでそれを終えるとメモ帳をしまい、代わりに今度はハンカチを取り出す。
グラハムは黙ったまま見入っていた。
グラハムには背中を見せたまま、女は指を拭う。長く細い作り物のような指を根元から拭い、爪は擦るように拭く。濃い赤でフレンチネイルが施された爪は、白い指にいっそう映えていた。
やがて両手を拭い終えて、無造作にハンカチをしまう。
そして。
女が動いた拍子に、顔が見えた。
―――端正な顔だ。
男達が群がるのもわかるかもしれない。
細い眉、カールした長い睫毛。淡くアイシャドウが引かれた瞼。グロスが塗られ艶めいた唇。化粧がしっかりされている。
しかし、何よりグラハムを惹いたのはその瞳だった。
空と海を混ぜ込んだような瞳。宝石のようなそれは照明や積まれた金の、きらびやかでどこか現実離れな周囲とはまるで対照的な光を宿していた。
女は。
いっそぞくりとする程の――――冷めた目をしていた。
さながら言動や振る舞いとは裏腹。
―――ただの嫌な女ではないらしい。
グラハムはひどく興味を引かれる自分を自覚した。
グラハムの視線には気付かず、カツカツとヒールを鳴らして女はざわめきのある方へ向かって行く。

「やはり今日はついているようだ」
「え?」
「面白いものを見た」

カタギリに構わず、グラハムは女が去った台に向けて歩み出した。ついさっきまで女がいた場所に立つと、失礼、とディーラーに声を掛ける。

「彼女は何を書いていた」

憚らない物言いにちらりとディーラーはグラハムを一瞥した。そして、大していぶかしむでもなくむしろ興味がないとでもいうように、ぼそりと呟く。

「儲けです」

なるほど、とグラハムはひとりごちた。ありがとうと言ってカタギリのところへ戻る。

「どうかしたのかい?」
「カタギリ、カジノで返そうとするぐらいの借金を作る人間が、儲けなどいちいち数えていくか?」
「……さぁ、人によるんじゃないかな?」

まくし立てるグラハムに、カタギリは戸惑いつつ返す。唐突なのはいつものことだが、どこかグラハムは楽しげだ。
少し考えるような素振りをして、女の去った方を見ながらきっぱりと言った。

「何かあるな」

思わずぱちぱちとカタギリは瞬く。

「何か、って何が?」
「さぁ。それはまだわからん」
「……何を根拠に、」
「勘だ」
「勘て、」

困惑するカタギリを置いて、グラハムの目は好奇心に満ちていた。

「彼女はいつも来ているのか」
「それは、そうだと思うけど……」
「わかった」
「……まさか君、」

身を乗り出すカタギリにグラハムはふっと笑み、それからシャツの染みた箇所を握った。






to be continue...





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