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響く(坂田)



大好きな人の声は、耳を伝って身体に響く。

「天気いいな」

公園のベンチで缶の紅茶を両手で包み、夏がすっかり過ぎ去った空気を肌で感じながらぼうっとしていた私の耳に、
突然のんびりとした声が飛び込んできた。
それが誰だか、姿を見なくても声だけでわかってしまい、思わず姿勢を正すように背中を伸ばした私は、
緊張の余りそのまま上半身がコチーンと固まってしまって、笑顔を見せようにもすごくぎこちない動きになってしまう。

「坂田さん、こ、ここ、こんに、ちは、ずいぶんとお久しぶりで……」
「そうか? 二日前にもここで会わなかったっけ」
「ああああ! そうでしたね! すいません記憶力の無い頭で、お恥ずかしい……!」

恥ずかしさと申し訳なさと嬉しさで、自分が何を喋っているかもわからない。
坂田さんの優しい笑顔に、やっと少しだけ緊張がほぐれていく。

「隣、いいか?」
「えっはいもちろん、あっ、そこ少し汚れてるので私の方へどうぞ、あの、ずっと座ってたんでぬくもりが気持ち悪いかもですが」

そう言って汚れてる方へ場所を変わろうと立ち上がった私にプッと笑った坂田さんは、
「いいって。お前さんの綺麗な着物が汚れちまうだろーが」と、薄汚れたベンチにどっかりと腰掛けた。
別に綺麗でもなんでもない、普通の着物なのに。坂田さんは紳士だ。

私達がこうして話せるようになったのは、つい先月のこと。
何にも無い道で転びそうになった私を、偶然通りかかった坂田さんがすれ違い様にひょいっと腰に手を回して助けてくれたのだ。
その腕の太さ、力強さに、息を飲んだ。
しかしそれ以上に、背中に感じた坂田さんの胸の厚さに驚いたことを覚えてる。
こんな私を微動だにせず受け止めただけでなく、包み込むように転倒の衝撃から救ってくれた広い胸。
その一瞬に、とてつもない幸せを感じた。

しどろもどろにお礼を言う私に、気ィつけろよと背を向ける潔さに目を奪われた。
次に偶然再会した時に見せてくれた人懐っこい笑顔。
会話が下手で、どうしてもおろおろしてしまう私に、楽しい話題で笑顔を引き出してくれる気遣い。
心がどんどん坂田さんに傾いていくのを、自分ではもう止められなかった。



「またソレ飲んでんの?」
「はい、秋になると無性に紅茶が飲みたくなるんです」
「俺ァおしるこ」
「最近肌寒くなりましたもんね。おしるこもいいなあ」
「一口やろうか?」
「ええええええっ!?」

あまりにも普通に、ごく自然に、坂田さんはその柔らかそうな優しい形の唇で何度も飲み口に触れた缶を、
ゆっくりとゆるい笑顔つきで私に差し出してくるものだから、
せっかくほぐれていた緊張が、何倍にも、何十倍にもなって戻ってきてしまった。

「なななっ、いけません、恐れ多い!」
「なんで。飲みたくないの? うまいぜコレ」

恥ずかしいからって全力で拒否したら、せっかく坂田さんが好意で言ってくれてるのに悪いかな。
い、嫌な女だと思われたらどうしよう……!
困ってしまって目線をさげる。私の横で男らしく、軽く開いた坂田さんの膝が視界に映った。
坂田さんは上半身だけじゃなく下半身もしっかりしてる。
ベンチに腰掛けた太ももに目を奪われていると「ん?」と坂田さんが私の顔を覗き込んできた。
息が止まる。心臓も、止まりそうになる。
私は、何故か自分が持っていた紅茶の缶を坂田さんに差し出していた。
きょとんとした、子供のような表情で、坂田さんは私と紅茶の缶を交互に見る。

「くれんの?」
「は、は、は、はいっ、私だけいただくのも、何なんで!」
「へえ、じゃ遠慮なく」

目を細め、坂田さんは私の手から紅茶の缶を受け取ると、そこにおしるこの缶を乗せてくれた。
甘い、あずきと甘味料のにおい。唇をおそるおそる飲み口につけ、むせないよう慎重に一口飲んだ。
味は、甘い、としか感じられなかったけれど、坂田さんが唇をつけた部分に私も唇をつけてると思うだけで、
胸がいっぱいになってしまって、一口以上飲めそうにない。
一方坂田さんは、喉仏を動かして紅茶をごくりごくりと飲み
「紅茶なんてハイカラなもん久しぶりに飲んだわ」なんて言って笑う。

「おいしかったです、おしるこ。すごく、あまくて、どうもありがとうございました」
「毎年冬になったらよ、鍋いっぱいに作んだよな」

缶を交換し合う時、坂田さんがぽつりと独り言のように呟いた。
え、と顔を上げると坂田さんと目が合う。
坂田さんは、私が口をつけたばかりの飲み口に、唇を押し当てるようにして「コレ」と茶目っ気たっぷりの顔で言う。

「おしるこですか?」
「そう。白玉入れたり焼いたモチ入れたりな。今度食いにきて」
「は、はいっ、ぜひ!」

坂田さんの唇から目が離せない。ずっとドキドキがおさまらなかった。
その時、坂田さんの片手が私の背中をぽんと叩く。

「力抜けって。何緊張してんのたかが間接キスくらいで」
「!?」

思わず、唇を押さえた。頬が熱い。ぎゅっと缶を握る片手に力をこめる。
何か言おうとするけれど、私の口からは間の抜けた「あ、」とか「その、」とか言葉にならない声しか出すことができなくて。
みっともない。こんなに、取り乱してしまって。
でも、キスって、言った。間接的にだけど、缶にだけど、私と坂田さんは、唇を、触れ合わせたことに、なるの、かな。

坂田さん、ちょっとからかっただけなのにこんな風にうろたえる私を見て、呆れてないだろうか。
そう心配したが、坂田さんはずっと涙目になって唇を結んでる私を見て、なぜか満足げに笑っていた。
私の反応は、坂田さんにとって煩わしい類のものではないらしい。
むしろ、楽しんで……というより嬉しげに見えてしまうのは、私の願望がはいってしまっているからか。
視線を絡ませあう。数秒間、二人の間に言葉はなかった。
しばらくして、坂田さんが照れたように頬を指でかきながらゆっくり唇を開く。

「って、俺も実は緊張しちゃったりしてんだけどね」

その柔らかな声は、また大きく私の心を揺さぶった。


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