いつからだろう…俺の周りに誰もいなくなっていたのは。
今も時々、あの雨の日のことを夢に見る。
ノイズのように、途絶えることのない雨音。
手は冷たく、吐く気は白い。
寄り添う人も、差し出される手もない。
俺は―― 独りなんだ。
『僕はそれでも歩いていく。【家族】』
「っ…」
SE:鳥の声
「…またか」
カーテンから零れる朝日と、薄明るい天井。
頬から伝う涙は耳まで流れ、世界の音を遮断するように蓋をしていた。
久し振りに見た。
あの日は、多分俺が物事が分かるようになった一番最初の記憶。
全てが冷たく、そこ一帯に静寂な空間を作り出していた。
俺はいつからあそこにいたのだろう…
俺は冷たい手を擦って、誰かを待っていた。
俺は"誰"を待っているのだろう…?
いつもそこで夢は途切れる。
ボーっとしながら天井を見つめていると、階段を上がるトントン、という軽い音が聞こえ、ガチャリとドアノブが回った。
「七伎(なおき)、そろそろ準備しないと、学校に遅れるよ」
「あっ、すみません幸二さん。今行きます。」
この人は俺をここまで育ててくれた日野塚幸二(こうじ)さん。
昔、孤児院にいた俺を引き取ってくれた人だ。
急いで着替え階段を下りると、一足先に座っている幸二さんが促した。
「早くお食べ。せっかくのご飯が冷めてしまう」
「すみません」
急いで席に着き、少しぬるくなった味噌汁を飲む。
お袋の味…ならぬ、幸二さんの味、だ。
これを飲むと、いつも心がほっとする。
「ところで七伎、この間のコンクール、また入賞したらしいじゃないか」
「いえ、大したものではなかったのですが…」
「ほらまた。謙遜しない。そういう時は何て言うんだったかな?」
少し強く、忘れないように、幸二さんはいつもそういう。
「…あ、ありがとうございます」
「そ。そうだよ。感謝の気持ちを忘れずに、いいね?」
「はい…」
「僕は慣れてるから平気だけど、他の人と話す時は気をつけるんだよ?」
「はい」
「おっと、早くしないと遅れちゃうね。急ごう」
そして俺たちは、急いでご飯をかきこんだ。
***
「たーいちょ!おはよーっす!」
後ろから猛ダッシュで走ってきた鳥夜にぶつかられ、俺は眉根を寄せた。
「鳥夜!朝からタックルしてくんなって言ってんだろ!?」
「やーだって、一日の始まりっつー感じでテンション上がるじゃないですかっv」
「こっちは低血圧で、イライラしてんだよっ」
そんな会話をしつつ教室へと向かう。
するとまた後ろから声がする。
「日野塚せんぱーい!鳥夜せんぱーい!」
軽やかにかけてくる初野に俺は返事をした。
「おう、おはよう初野」
「はよっす!」
「おはようございます!よかった〜間に合って…俺、遅刻したらどうしようかと…」
「初野はフェンシングの朝練がない日はいつもギリギリだな(苦笑)」
「えへへ…ついつい二度寝しちゃうんですよね〜」
「こいつ、俺が電話しても起きないんすよ?(笑)」
「それはよっぽどだな…(苦笑)」
いつもの何気ない会話、何気ないひと時、素直に楽しいと思える時間。
「俺は弟に起こされたらちゃんと起きるぜ?」
「鳥夜先輩…それってあまり威張って言えることじゃないですよ…(汗)」
「なんだよ、初野だって母ちゃんに起こされて起きるんだろ?」
「そうですけど〜(汗)」
「あっ、隊長は朝一人で起きれます?」
「えっ」
「日野塚先輩はしっかりしてるイメージがあるんで俺は起きれると思います」
「えっと…いや、目は覚めてたんだけど、ぼーっとしてて…よく起こされるよ(苦笑)」
「へー!そうなんですか!先輩でもそういうことあるんですね!」
――会話の中に出てくる、弟や母という言葉。
どれも俺にはなく、"幸二さんに起こされた"とは言えなかった。
幸二さんは俺にとってなんなのだろう…
俺を引き取ってくれて、ここまで育ててくれて…
――でも、
間違っても…家族では、ない。
「あ、そういえば日野塚先輩、この間の写真コンクールで入賞してましたよね!おめでとうございます!」
「えっ!?隊長いつの間に!?すごいじゃないすか!」
「鳥夜先輩〜(汗)仮にも同じ部活なんですから、それぐらい知っておかないとダメですよー(汗)」
「あはは…いや、いいよ。大した賞じゃ……、」
―そういう時は何て言うの?―
「……あぁ、いやでも…ありがとう」
「いえっ、どういたしまして!あとでお祝いしましょうね!」
「お祝いかー!じゃあ俺、コーディーコーナーのシュークリームがいい!」
「鳥夜先輩〜?日野塚先輩のお祝いなんですから日野塚先輩が食べたいものにしなくちゃ意味ないじゃないですか!」
「えー、いーじゃんかよー」
――そうか…ありがとうと言うと、みんな笑顔になる。
***
「今日はどうだった?」
いつものように、幸二さんのこの一言から食事は始まる。
噛んでいたご飯を飲み込み、俺は今日のことを話した。
「友達にもコンクールのことを言われました。おめでとうって」
「よかったじゃないか、ちゃんとお礼は言ったかい?」
「はい」
「それは良かった。」
「…あの」
「なんだい?」
箸を持っている手に力が入る。
「俺の両親について…教えてもらえませんか…」
この質問、実はもう3回目になる。
それは約束事のように、決まってあの夢を見た日に問うのだ。
「しばらくぶりの質問だね。さぁ、君はどう思う?」
いつもこうだ。俺を茶化すように言い返す。
「分からないから訊いてるんです!俺、どんなこと聞いても驚きません。覚悟はあります!だから…」
「…強くなったね」
「へ?」
「目が強くなった。良い目になったね」
「何わけ分からないことを言ってるんですか!話を逸らさないでください!」
「わかったわかった。ちょっと落ち着きなさい。今まで黙っていたけど、もう大きくなったし、大丈夫だね…」
幸二さんは一つ息をつくと、いつもの変わらぬ落ち着いた声音で話し始めた。
「僕はね、君のお父さんの…まぁ、友達なんだよ」
「…父?」
「そう。僕はほら、その頃は行ったり来たりだったから、なかなか日本にいる君たち家族のことが分からなくてね…大分後になってから知ったんだ。君の両親が事故に遭って、君は孤児院に行ったって」
「そう、なんですか…」
――なんとなくそんな気はしていた。そうでなければ、俺は幸二さんには引き取られていなかっただろう。
でも…
「僕は慌てて君を引き取りに行ったんだ。会いに行ったら君は随分痩せていてね。眼は全てを拒絶するように濁っていたよ。…なんて、まだ幼い時のことだから覚えていないかもしれないけどね」
「あの…事故って…」
「……あぁ。」
そこで幸二さんは目を曇らせた。
何かある。直感でそう感じた。
「…正しく言うと事故ということになっている。分かるね?事故として処理されているんだよ。僕はね、今でもひっかかっているんだ。事故にしては少々不自然すぎると…まず幼い君をあそこに置いて出かけることがおかしいんだ。そこで二人がある場所に誘導されるように進んでいてね…七伎(なおき)くん?」
――事故…じゃない?
夢で見るあの場面。
俺は両親を待っていた。他の誰でもない、僕の両親を。
何かが思い出させまいと動き出す。
瞬間、俺の頭は殴られたように痛くなった。
「…っ、くっ…」
「七伎!大丈夫かい?!」
幸二さんは驚いたように立ち上がった。
持っていた箸は落ち、あまりの痛みに俺は頭を抱えた。苦しさに息は荒くなり、頭はズキズキと刺すように痛む。
ノイズがかった頭の中で小さく声が聞こえる。
――き、―おき―
フラッシュバックが起こり、あの夢の断片が目まぐるしく流れ出す。
俺が待ってる間に両親は…誰かに…
全てを奪った奴がいる。俺から、幸せを、かけがえのないものを。
「…俺…っ…ぐ…うっ…」
ポタリ――と涙が一つ零れ落ちた。
何を聞いても動じないと決めていたのに…
「七伎、大丈夫かい?…すまなかった…職業柄、つい言わなくてもいいことまで言ってしまった……ほんとに謝罪のしようがないよ…すまない、七伎」
最悪だ。心には黒い感情が渦巻き、覚悟を決めていても泣いてしまう自分の弱さを思い知る。
「違う…っ、俺が弱いから…」
俯き、痛いぐらい噛みしめないと涙が止まらなくなる。
縛りだすように紡いだ声に、幸二さんは優しく、力強く言い返す。
「そんなことはない。君は強いよ…涙を流すことは弱いことじゃない。優しいことだ。君は優しくて強い子だ。だから間違ってもその苦しさを誰かに向けてはいけないよ。いいね?」
今まで知らなかった。家族のこと。
知らないフリをして、考えないようにしていた。
でも心のどこかでずっと燻りがあって。
幸二さんは椅子を引くと、俺の側へ来ると優しく抱きしめてくれた。
そして、ポンポンと背中を叩いてくれた。
これじゃあまるで昔と変わらない。まだまだ子どもなんだと実感した。
そうしてしばらくするうち、幸二さんはふと呟いた。
「七伎くん、君の名前の由来を教えようか」
「えっ…」
「君のお父さんがね、君が生まれた時にエアメールをくれたんだよ。君たち家族の写真と一緒に、名前の由来について書いてあったんだ」
俺はごくりと唾を飲んだ。自分の知らない自分のことを、また一つ知ることになる。
由来なんて考えたこともなかった。変わった漢字だと友達から言われるぐらいしか、思うことはない。
泣いているにもかかわらず、俺の心は少しワクワクして、そして少し緊張した。
「「七つの才能を持ち、大切な人を支える人になってほしい」…って。僕はとても感動したのを覚えているよ。君は両親にとても愛されているんだと、つくづく感じたね」
「そんな素敵な名前をもらって、才能も発揮してるのに、君は謙遜してしまう。もったいないよ
。もっと自信を持ちなさい」
もう言葉は出なかった。
一度にたくさんのことを聞いたせいで、頭が働かない。
ただ事実に翻弄され、崩れていく。
「僕は事実を伝えることしか出来ない。こうやって抱きしめたって、やっぱり君の両親にはかなわないんだ。それでも僕は君を大切に思っているんだ。血は繋がっていなくても、家族だと思っている」
そう言った幸二さんの目はうっすらと赤く、眦には小さく光るものが見えた。
――幸二さんが…泣いてる…?
びっくりして凝視していると幸二さんは俺の後頭部を抑え、胸にぎゅっと押し付けた。
「あまり見るんじゃないよ…」
と、少し拗ねたように呟いた。
息苦しく感じながら、俺は今一度、言われた言葉を繰り返した。
(か…ぞく、…)
――俺のために泣いてくれて、俺のために抱きしめてくれて、俺のことを大切だと言ってくれる人。
血の繋がった両親がいて、円満で。
確かにそれ以上の幸せはないのかもしれない。
けれど、足りないことが不幸かと言われれば、それもまた違うのかもしれない。
自分を認め、支えてくれ、一緒に笑ってくれる人。
そんな人がいるだけで俺は幸せだ。
それだけで、もう充分だ。
fin.
****
あとがき:リクエストの隊長のお話でした。
なんと日野塚の名前が出ています!七伎(なおき)くんです。
とあるHPからいただきました。由来の部分は少し変えています。
そして、いきなり幸二さんとか出てきて、「誰!?」という感じですが、頑張って認知してください(笑)
ちょっと掛け合いするには難しいですね;まず幸二さん役がいないという…
小説にしてたものを慌てて台本っぽくしたので、チグハグになっている部分はあしからず。
学校ではツッコミ役に回っていますが、日野塚は家では大人しいんですよ?
初期塚(笑)の言動は全て幸二さんの影響だと思ってください(^^)