531100hitキリバン 樹様リクエスト。
【魔王の花嫁】の続き。
【魔王の初恋】
《異界》とは全てが異なる世界。
この場所がそう呼ばれる様になったのは、もう随分と昔のこと。
誰が口にしたかは分からないが、確かにこの場所は異なる世界だった。
時間も時空も超越する。
ありとあらゆる場所から、たくさんのものが降ってくる地であった。
天より落ちてくる数多のガラクタ。
いや…もとよりその場所に上や下の概念がないから、もしかしたらソレは下から浮き上がって来たものかもしれない。
異界の真ん中、中心の地は東西南北の魔王も不可侵の地。
人間が《地獄》や《魔界》と呼ぶものとは少し違う、最果ての地。
異なる世界からガラクタが集まる地。
そうしてこの場所は《異界》と呼ばれるに至った。
そんな不可思議の異界、東に位置する土地を治める宵闇の魔王と呼ばれる彼は、酷く怠惰な男であった。
生まれた時より内包される強大な力を一度も使おうとせず、ただひたすらに玉座に腰かけ動かない魔王として名をはせている。
酷く惰性な男は返事一つ返すことすら億劫そうで、かの人の声を聞いた事のあるモノは皆無であった。
そんな男でも暇をもて余す。
玉座に腰を掛けているとはいえ、何もしないままひたすらに時を費やすのは、暇以外の何物でもない。
しかしそこで動こうとしないのが、この男の腐った根性を物語っている。
座ったまま暇潰しの様に、各地の…又は各世界の様子を水鏡に照らして見るのが、この男のただ一つの日課だった。
***
「かみさま、かみさまお願いです。いもうとを助けて下さい」
それは偶然の出会い。
いつもの様にさらりと水鏡を撫でていた時の事だった。
飛び込んできた幼い声。
子供特有の甘く柔らかい声。
小さな今にも潰れてしまいそうな朽果てた教会に、毎日毎日一心不乱に願いを伝えに来る子供がいた。
けして裕福ではないのだろう。
煤けた肌にボロボロの服、穴の空いた靴は使い古されぺたんこだった。
それでも片手に野で摘んだであろう花を持ち、雨の日も雪の日も毎日毎日…季節が変わっても、少年は教会に通い続けた。
「愉快なことだ。その地の神はとうに人間を見限り、別の場所へと移ってしまったというのにな…」
久しぶりに紡いだ声に、側を通り掛かった配下の魔のモノは目をむいて振り返った。
あの惰性な魔王が何かに興味を惹かれている…!?
過ぎ去った神に気付かず、ひたすら献身的に祈りを捧げる子供に興味をひかれた。
その真実に気づいた時、その子供はどれだけ悲しみ絶望するだろう。
その瞬間はとても甘美に違いない。
何よりも悲しみと苦しみを愛する歪んだ魔王は、来る日も来る日も飽きることなくその少年の姿を追い続けた。
その少年が絶望の淵に落ちるまで。
じつに十年近く毎日、少年を見ていた。
彼が絶望の淵に落ちた日。
唯一の肉親である妹が死んだ。
体が弱く病気がちだった少年の妹はその年、春を待たずに帰らぬ人となった。
貧しい家庭だったにも関わらず、少年の介護は献身的だった。
自分の全てを削って妹のために尽くしていた。
それをあっさりと病魔は連れ去ってしまった。
「あ…あぁ…、どうして、どうしてなんだよ…!」
朽果てた教会で少年は居もしない神に嘆いている。
もうあの頃とは違い少年と呼べる年ではなくなってしまった彼は、それでもあの時と同じように神の前に頭を垂れ、止まらない涙を流しながらつらつらと恨み言を並べた。
「何で俺から一番大切なものを取っていくんだよ…。妹さえ居ればそれでよかったのに…」
あれほど慎ましく生活していたのに。
それ以外は何も求めてはいなかったのに。
「お前なんかッ…神様じゃない!誰か…誰かお願いだ!!誰でもいいから、俺を助けてくれよ…」
『ならば私が救ってやろう』
「ッ…!?だ、誰だ…!」
声をかけたのは必然だった。
はらはらと流れる涙が綺麗で、美しくて…もっと泣かせてみたいと思ってしまった。
そして流すのならば、他の誰でもない自分の為に流せばいい…と。
『お前を悲しませる全てのものから守ってやろう』
だからお前は、私だけの為に泣き絶望すればいい。
私以外の全てに煩わされる事なく、私の事だけを考えていればいい。
「助けて、くれるの…?もう嫌なんだ、何も考えたくない…。楽になりたいんだ…」
子供の頃から病気がちの妹の事だけを考えて生きてきた彼には、それ以外の生き方を想像できなかった。
正直に言えば疲れていたのだろう。
何もかもから解放されたかった。
そんなときに優しげな声を掛けられ手を伸ばされたら、ついすがり付きたくなるのは人間の性だ。
ただ彼は運が悪かった。
伸ばされた手は物語ような救いではなく、てぐすね引いて待つ悪魔の誘いであったのだから。
『さぁ…来い。手を伸ばし、私の名前を呼ぶがいい。共に行こう』
――絶望の先へ。
かつて幼かった少年が伸ばした手は、力強く引き寄せられ…、時間も時空も越えてかの魔王の元へとやって来た。
引き寄せられた玉座の上、魔王の姿を見た彼が恐れおののき悲鳴をあげるまであと数秒…。