[携帯モード] [URL送信]








星に願いを:後編

本文サンプル(後編は阿部視点になります)






 三橋は努力家だ。これと決めたことは意地でもやり通すし、その努力も水面下でやる。しかもその血が滲むような努力を『これだけやった』と誰かにひけらかしたりない。
 誰だって努力を認められたら嬉しいもんだし、自己顕示欲があるのは普通のことだと思う。俺だってそうだし、表に出さない三橋だってそうだった。だから、そういう努力に気が付いた時にすごいなと褒めると、本当に、嬉しそうにはにかむのを見るのが好きだったんだ。
 高校を卒業して、それぞれ違う大学に進学して就職してってなると、結構こまめに連絡取り合ってないと縁は切れると思う。携帯があるから電話番号は登録されてるし連絡はつくだろうけど、相手が番号変えたりアドレスを変えたりしたのを知らせてくれてなければそこまでだろ。
 三橋とは、俺にしては本当に、かなりこまめに連絡を取ったんだ。縁が切れないようにってスゲー必死だった。メールはちまちま文字打つのが面倒でなにかっていうと電話してたけど、都合がつくなら会って遊んで、ちゃんと友達をやれてたと思う。
 これも全部、後になってから思ったことだけど、人との縁っていきなり途切れることもあるんだと高校時代に知ったからこそ余計に三橋のことは必至だったんだと思う。
 好きな相手のそばにいたい。声が聞きたい。顔が見たい。できれば自分といて楽しいとかそういうプラスの感情を持ってほしいって思うのは普通だと思う。そのために努力するのだって普通のはずだ。
 そうやっていたはずなのに、仕事と疲れを言い訳にして三橋をないがしろにしたのは他でもない俺だ。自業自得だ。そこはわかってるし、自分でも反省してる。反省だけなら猿でもできるっていうのが耳に痛いけど。
 なに言ったって言い訳にしかなんねぇのは自覚してるし、あんま男がグチグチいうのもどうなんだって思うから口には出さなかったし三橋にも聞かせなかった。けど、仕事がアホみたいに忙しかったのは確かだ。
 入社して一年で会社がビルごと引っ越しして、家から電車で四駅の近所になったのに喜んだのは引っ越し前までだった。勤務先の引っ越しが終わってすぐ、他社との共同プロジェクトのメンバーに選ばれて、長期間のプロジェクトだし仕事は忙しくなるだろうけど、入社一年で参加できるのは評価されてるってことだから頑張れ、と当時の上司に言われて頑張った。
 そりゃ社会的地位はそれなりに欲しいし、給料だってそれなりに欲しい。金がなきゃ生きていけないし、なによりちょっと目的があった。
(三橋と旅行に行こうと思ってたんだよ……)
 一緒に住み始めて一年目までは俺も家のことはやってたんだ。飯は三橋が作った方が確実にうまかったけど、俺が作ってくれるの嬉しいとか三橋が言うから頑張ったつもりだし、掃除に関しては三橋よりはちゃんとやってたつもりだ。でも三橋の会社の方が仕事が終わるのが早くて、俺の当番の家事も帰ったら三橋が終わらせてくれてることが多かったから、そのお礼と感謝のつもりで三橋の好きなとこに旅行に連れて行こうと思ってたんだ。
 その予定がプロジェクトに参加してから一気に崩れたのは誤算だった。
 開始半年くらいはまだよかったんだ。残業増えたし帰りは終電とか多かったけど、まだ家に帰れた。ちゃんと完全週休二日だったし。
 計画書に記されていたのはきちんと休みが取れるようなスケジュールだった。そりゃノルマが増えたとか、進めていく上での仕様変更でとか、自分の作業スピードが遅いせいとかで残業はしょうがないと納得できるけどさ、上司のおかげで仕事が増えるってどういうことだよ。
 プロジェクトも終盤に差し掛かった半年前から完全に、家には月に何度帰れたか数えられるくらいだった。予定は未定とはよく言ったもんだとしみじみするくらい帰れない、笑えない事態だった。
 確かに残業代は全部支給されてるしピンハネとかないから、同年代に比べりゃそこそこの給料にはなってるはずだよ。ボーナスも夏冬ちゃんと二か月分づつ支給された。入社二年目にはありがたいことだ。そんなわけで旅行に行く金はできた。それどころか使う時間もねーから貯まる一方。
 終電なくなったって、家まで電車で四駅の距離は徒歩で大体一時間だ。タクシーでなら二十分かからない。無理すれば帰れなくもなかったけど、夜中二時まで作業してそこから家に帰る気力なんかねーよ。
 毎日毎日、会社のデスクに噛り付いて仕事こなして、風呂は会社に設置されてるシャワー室で、寝るのはデスクの脚元にブン投げてある寝袋でオフィスの床に転がってだ。社畜どころの騒ぎじゃないだろ、これ。
 改善を求めたところで仕事を増やす上司が誤魔化しやがって上にまで伝わらない、とぼやいていたのは先輩だ。無能な世渡り上手とか害悪でしかねぇ。プロジェクト自体は二社間の各部署から選ばれた人間だけが参加してて、営業もいりゃ開発に企画にいろんな部署がそれぞれチーム組んでてそれぞれのチームのリーダーもいる。その俺の所属してるチームリーダー、要は上司だ。
 こいつが無能な世渡り上手とかなんの冗談だよ。
 言っとくけど、このプロジェクトが始まってから上司が嫁に逃げられたらしいとかどうでもいいんだよ。特にそれに関してはコメントもしてないし俺にはなんも関係ないだろ。
 なのになんで俺の弁当をわざわざリフレッシュルームの冷蔵庫から出して中身ごとゴミ箱にひっくり返して捨てる必要があんだよ。それただのイジメだろ。悪質な嫌がらせだろ。三橋がどんだけ朝早くから弁当作ってくれてたと思ってんだよ。俺が愛妻弁当(三橋は妻じゃねぇけど)見せびらかすのがウザいとか知らねぇよ上司になんか見せてねぇよ自慢だってしたことねぇよ。
 っていうか俺も先輩に言われるまで気が付かなかったけどさ、弁当のおかずが夕飯の残りだったことが一回もねーんだ。弁当のためだけにきちんとおかず作ってくれてたんだよ。どんだけ手間かけてくれてんだ感謝してもしたりねぇレベルなのになにしてくれたんだあのハゲ。
 俺の仕事の中での唯一の楽しみの三橋の手作り弁当なんだよ。それを捨てるとかなにしてくれてんだって思わねぇ?
 ふざけんなよハゲ。頭頂部薄いんだよそのまま薄らってろ。出社してくんな。人がやった仕事をさも自分がやりましたってドヤ顔で会議で発表してんじゃねーよ。それやったの俺らだ。そんでそれに勝手に手を加えてこれでもっと素晴らしい出来になったとか喜んでんじゃねーよ。不具合発生しまくって各部署から文句めっちゃ言われるんだよ確認ちゃんとやれっていわれんだよ怒られんの俺らなのになんで余計なことした上司が「僕がもっとちゃんと彼らを指導しますから。本当に優秀なんですよ」なんてフォローしてんのどういうことだ。
 こっちは寝る時間削って確認何回もしてエラーもない状態で提出してんのにそれ改竄されて苦情言われて改竄した張本人にフォローされるってなに?マジでもう本当になにをどうしたいんだ。
 確かに仕事のことばっかで三橋に連絡ほとんどできなかったけど、大体手が空いたり余裕ができんのが深夜一時過ぎだったんだよ。電話はアレだしメール送ってとか考えたけど、メールの受信で寝てるとこ起こしたら可愛いそうだよなとか考えたらなんもできなかったし、そもそも三橋相手にメールとか電話とか怖いんだよ。学生時代に電話で会話してた時に行き違いがあって顔見て話さないとあれだって思い込んでたんだよ。でも失敗したこれもうメールしとけばなんか変わったよな変な気ぃ使うんじゃなかった帰りたい家に帰りたいマジ帰りたいつーかいま何時だよくっそねみぃ三橋の飯食いたい。
『んー、夜の二時過ぎだな。なんつーかさ、お前のとこブラック企業ってやつ?』
「いまいるプロジェクトチームに参加するまでブラックじゃなかったし他の部署はここまで酷くはないみてぇだからブラックと断言できないけど無能な世渡り上手の上司は器が小さいうえにびっくりするほど使えないからある意味ブラックだ」
『有給とかとれねーの?』
「買い取られた」
『は?そんなんできんの?』
「原則として労基法違反になるらしいけどな。なんかうまいこと事務処理させたらしくて、去年の分は一日一万五千円で買い取られたから年間で十五万になったよアリガトウゴザイマシタ」
『あー、まあ、取れない会社もあるみたいだから買い取ってもらえただけマシ?なのか?』
「俺は休みが欲しい」
『お疲れー。っつーかそんな阿部が愚痴言うの初めて聞いたんだけど、マシンガントークっつの?なんかもうスゲーな』
「俺もこんな愚痴吐いたの初めてだ……。つか、いま話したの忘れろ。なんか言っちゃまずいことまで言った気がする。なに言ったか覚えてねーけど……」
『阿部も頑張ってたんだなー。でもそれとこれとは話が別だな!』
 受話器の向こうで田島がこれは別問題だ、と繰り返すのに眉間に皺が寄る。
「あぁ?」
『みんなそれぞれ大変なのは一緒じゃん?まあ、いまの聞いてたら阿部だけが悪いわけじゃないのはわかったし、詳しくは俺も知らないけどさ。三橋も結構思い込み激しいからあれだし、いっこだけな。三橋は別に犯罪に巻き込まれたとかじゃねーから。阿部に愛想つかしたかどうかは謎だけどさ、お前以外は行き先知ってるから安心しとけよ』
 転勤で遠くに行った。
 受話器の向こうから聞こえた言葉に心底ほっとした。
 三橋自身になんかあったとかじゃないんならいいんだ。犯罪巻き込まれたとか、病気とか、そういうのじゃないなら、まだ。
(元気なら、事件とかじゃないなら、よかった)
 三橋がいきなりいなくなって、しばらく法然とした後に湧きあがったのは焦りだった。焦ってかけた電話は繋がらなくて、そのあとも、何回かけても圏外か電源が切れていてってアナウンスで連絡がつかず、いきなり消えたから心配で仕方がなかったんだ。
 部屋の荷物が全部ないってことは、三橋が自分の意志で出て行ったんだろうとは思った。
 でももしかしたらそうじゃないのかもしれない。世の中のニュースは毎日のように殺人事件とか誘拐とかを報道してるし、もしかしてって考えたらもうだめだった。スッゲー死にたくなった。
 三橋の安否がとにかく心配で、でも勤務先に電話をしようにもこんな私事で電話したら迷惑かけるよなとかしばらく悩んで、ダメ元で結局電話した。けど、とてもオブラートに包まれた言い方で『関係者以外に社員の情報は開示しない』と言われた。
 そりゃそうだ。いまはそういう情報の扱いにもうるさく言われる世の中だ。一応、三橋の部署名も告げたし一緒に住んでるってことも伝えたけど、俺だってそんな不審な電話受けても情報は開示しない。
 それなら三橋の実家に電話すればいい、あいつも流石に親とは連絡とってんだろと思ったけど、実家の番号も知らなかったから母親に電話して高校時代の部活の名簿見てもらった。本当は親に電話すんのもめんどくさいし自分で実家戻って調べりゃよかったんだけど、そんな時間の余裕もないし、なにより早く知りたかった。
 普段全く連絡よこさないくせにいきなりなんだと文句を言われつつ教えてもらったはいいものの、いざ三橋の実家に電話しようとしてからなんて言って聞けばいいのかと考えたらなにも浮かばなくてかけるまでに時間がかかった。
 実家に電話して『三橋がいきなり引っ越したんですがどこに行ったか知りませんか?』とでも聞けばいいんだろうか。向こうの両親がこのこと知らなかったら下手すりゃ警察沙汰だろ。いきなり失踪だぞ。失踪って、あれ、思ってた以上にやばくないかとやっぱり焦った勢いで電話したけど、三橋の実家の家電は結局留守電だった。これにはなにも伝言もいれずに通話を切った。
 他に誰に連絡を取ればいいのかとかなんにも浮かばないし、頭が全然働かなくなってどうしようもなかった。
 警察も浮かんだけど、事件に巻き込まれたかもとかは俺の思い込みの可能性が高い。
 三橋の意思で出て行ったんだとしたら警察沙汰にした場合あっちこっちに迷惑かかるよなとか、もう本当にぐるっぐる考えた。結局警察にはなにも言ってない。言わないでいてよかった。
 ちなみにここまで行動を起こせたのは三橋がいなくなったって現実を見てから二日後だ。
 つまり今日はすでにあれから二日経ってる。二日経って昼休みにあっちこっちに電話して、それからようやく思い出したのが泉と田島って、高校時代からの腐れ縁たちだった。
 同い年なのに三橋の兄貴分で、親友だって言い合ってるような奴らだったら知ってるだろうとようやく思い至って、今現在の時間なんか確認せずに電話して、ようやく三橋の安否がわかったところだ。
「……転勤って、どこ」
 問いかける声は自分でも驚くくらい掠れてた。三橋が大事な話があるっつってたの、これか。一か月……いや、二か月くらい前に話があるって言われてたのになんだかんだ理由付けて帰らなかったけど、あの時にはもう辞令が出てたんだろうか。大体転勤の辞令って一か月以上前には出るよな。
 勝手に別れ話かと思い込んで逃げてたけど、どうだったんだろう。転勤だから別れようだったのかもしれないし、女が出来たから別れようだったのかもしれないし、どっちもだったのかもしれないし、転勤のことだけだったのかもしれない。
 俺は三橋からなにも聞いてない……聞こうとしなかったからなにもわからないままだ。
『そこは自分で聞いたほうがいいんじゃね?』
「メールは送ってみたけど返事がない。電話も全然繋がんねーんだよ。いつかけても圏外か電源はいってない」
『んー?俺ら連絡取れてるけど?っていうかさっきまで泉と浜田と三橋と四人で今日の夕飯自慢してたぜ?』
「はぁ?」
『あ、そっか、阿部あれやってないんだっけ』
 メールアプリの名前を出されて、やってないと答える。使う相手いなかったし、職場とかで聞かれたけど面倒そうだからやってない。
「……っていうか、三橋はやってんのか」
『おう。九組でグループ作って毎日チャットしてる』
「あ?メールアプリなんじゃねぇの?」
『よくわかんねぇけど、チャットみたいに言ったこと全部記録で残って見れるぞー。人数多いときは便利だけど阿部やんねーの?お前以外西浦初代メンバーみんなやってるけど』
「あー、まあ、それはいい、考えとく。三橋、お前らとは連絡とってんだな」
『とってるぞー。毎日!』
「うるせぇ、繰り返すな」
 他の奴らと連絡切ってんじゃなきゃいい。全部捨てたんじゃないんだな。
(捨てたのは、俺だけか)
 自業自得だ。わかってる。謝りたいけどいまは無理だ。
 相変わらず仕事はあるし休みはねぇし、今だって会社の喫煙室だ。チームメンバーの先輩四人と俺とで休日出勤して、上司の尻拭いもいつものことになってるのが恐ろしい。当の上司はきっちり休み取って「計画的に仕事が進められないのは無能の証明になるんだからね、ちゃんとやってよ?」なんて言いやがったもんだからさっきまで先輩たちは延々呪詛を唱えながら作業していて煩かったくらいだ。
「連絡とってんならさ」
 携帯を右肩と頭で挟んで両手を空にして、三橋は元気なのかと聞きながらワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出し口にくわえる。
『風邪とかはひいてないみてーだけど』
「そうか」
 ライターで火をつけて、携帯を左手に持ち直して右手を煙草に添えて煙を吐き出す。あー……転職してぇ。家帰れないのはいやだ。たしかに三橋のことは正直には言えないし、恋人と同棲中とは言ってあるけど単身者扱いだから残業も問題ないと思われてる。だけど、そうじゃねぇだろ。
『いまパソコン立ち上げたから三橋に聞いてやるよ。まだ多分起きてるし』
「はぁ?なにが?つかなにを?」
『パソコンからでもアクセスできんだよ』
 田島と話すのは三橋と話す時と同じくらい頭を使う。接続回路が別なのか会話が成り立たないことが多いのはどうにかならないんだろうか。
 さっきまで頭フル回転させてて疲れてるし、俺だってできたらもっと話が通じるやつに聞きたかった。
 つーかさっきな、田島に電話する前に泉に電話して、三橋がどこにいるか知らないかと聞いたんだよ。そしたらあの野郎『ははっ、捨てられてやんの。ザマァ』って言いやがって、むかついて通話終了させちまったんだよな……。すぐに我に返ってかけなおしたらすでに着拒されてて、じゃあ田島かとかけたんだけど、こいつもどうなんだろう。
『なに、阿部、泉にも電話したんだ』
「あ?なんで知ってんだよ」
『ケータイお前と通話すんので使ってっからパソコンでアクセスしてんだよ。会話遡ったら泉が阿部から電話来たけどザマァっつったら切られたから着拒したって言ってる』
 もう嫌だ。俺が悪いのわかってっけど嫌だ。なにが嫌って、こいつら敵に回すとマジでめんどいから嫌だ。
『三橋が阿部になんも言わないで行ったってことはよっぽどなんかあったんだろ?俺はお前らがなにでケンカしたのかは知らねーから、あんまどっちの味方もできねーや』
「そりゃ、そうだな」
 俺もこいつらに事情を詳細に話す気もないし、三橋も話してないってことは同じなんだろう。それよりもあいつ、俺よりも泉とか田島の方を頼ってることが多いのに言わなかったんだな。
 溜息と一緒に煙草の煙も吐き出して、どうすりゃいいんだともう睡魔と疲れでろくに動かない頭を動かす。
 謝りたい。感謝してるんだってきちんと言いたい。ないがしろにしてた三橋の優しさとか気づかいとか、いろんなもんに俺は支えられてたんだ。謝って許されるんなら許してほしいし、許されないとしてもしょうがないとはわかってるつもりだ。とにかく会って話がしたい。謝りたいってのも俺のエゴだってわかってっけど。
『そういや阿部、今日は帰れたのか』
「あ?」
『三橋が阿部くん仕事が忙しいから家に帰ってこないって言ってたから、こんな電話してくんなら家帰れたのかって思ったんだけど。しかも今日土曜……もう日曜だな。休みじゃねぇの?』
「会社の喫煙室。誰もいねーから言ったんだよ。今日も休日出勤だよ帰れてねーよ帰りてぇよ転職しようと思っても次の職場探す時間で寝たいくらい寝れてねぇよ。おめーにっつか、泉に電話するまで仕事してた」
『あ、そーなの?喫煙室って、タバコ休憩?』
「休憩っつか、仕事は終わらせたからこのあと寝袋で雑魚寝して、起きたら今日仕上げたの確認してミスなかったら帰る」
『ふーん、なんかスゲーな』
 田島の声と一緒にキーボードと叩く音がするから、さっき言ってたメールアプリでなんかやってるんだろうか。後でアプリは調べてみよう。っていうかいま何時だよ。さっき田島に聞いたけど忘れた。終電終わってて深夜なのは確かだけど、何時だ。こいつらなに夜更かししてんだ。寝れるときには寝とけよ。俺は寝たい。寝ようとしたとこで寝れないけど。
「お前ら休みだろうけど、夜更かしはほどほどにしておけ」
『りょーかいっと!ぶっは!阿部が夜更かしほどほどにしておけって言ってるって書いたら泉から返事来たぞ!メンソールタバコ吸ってインポになればいいのに、だってさ』
「……そいつは都市伝説ですググりやがってください。むしろお前がインポになればいいじゃないって送っとけ」
 確かにメンソール吸ってるけどうるせぇよ。なんでメンソールだってバレてんだよ。夜中だっつのに田島がゲラゲラ笑ってっけど、近所から苦情が来ても俺は知らねぇからな。
「つか、いちいち俺との会話を実況してんじゃねぇよ」
『あ、バレた?』
「キーボードの音聞こえてんだよ。……まあ、とりあえず三橋が無事ならなんでもいい」
『いま三橋も見てるけど、連絡先とかきかねぇの?つか三橋になんかねぇの?』
「見てるって、ああ、チャットのか」
 三橋になんか、って言われて少し考えたけど、田島経由で言うもんじゃねぇだろ。ちゃんと俺が言いたい。会ってもらえるならそうしたい。現状連絡すら取れないけどさ。
「……いい。三橋には会って直接言うからいい。どうせお前らに三橋の連絡先聞いたってまともに答えねぇんだろ」
『まあ、どっちが原因かは知らねぇけど、なんもない状態なら三橋が優先だな』
「だからいい。三橋の無事がわかっただけでとりあえずいいわ。夜中に悪かったな」
『……阿部もさぁ、あんま溜め込むなよー?』
「なにが」
『いや、仕事の愚痴とか、いろんなこと。俺、お前との付き合い結構長いし、それなりにどういうやつかわかってるつもりだけど、あの愚痴はびっくりした』
「……あー、まあ、気を付ける。どうも」
『おう。あ、そうだ、気になったんだけどさ、阿部って三橋が好きなの?』
「はぁ?ふつう嫌いなやつと一緒になんか住まないだろ」
『そりゃそっか。明日は帰れるといいな!じゃあなー』
 通話を終了させて、画面に表示された通話時間三十七分ってのにげんなりとする。そんな喋ってたのか。ろくに情報得られてないんだけど、これ俺が延々愚痴言ってたってことか。
 こんな愚痴吐いたの初めてだぞ。どんだけ追いつめられてんだ、俺。
 っていうか、本当に田島に余計なことまで言ったっぽいな。三橋が好きかって聞かれてとっさに嫌いなやつとは住まないだろって返したけど、どこまで誤魔化せてるんだ?
 いやもう最悪バレてもいいけどバレたらどうなるんだろう。三橋がそばいてくれるんならそれでいいんだけど、それも望めなくなりそうだな。ぶっちゃけすでにそれすら絶望的だけど。
(……ダメだ、もう一本吸ったら寝よう)
 ほとんど吸わないまま短くなった煙草を灰皿に入れて、新しいのを取り出し火をつける。
「……あれ?」
 三橋、俺が田島と通話する前までメールアプリでやり取りしてたっつってたよな。つまり電話が通じる?
 手の中の携帯を操作して三橋の番号にかけてみるけど、聞こえてきたのは圏外通知の機械音声。……パソコンでもアクセスできるんだって田島言ってたし、三橋もそっち利用してんのか?
 確か着拒って応答音声違うんだよな?泉にかけた時なんて言ってたっけって思い出そうとしてみたけど、ダメだ、思い出せない。
 田島と喋ってというか、一方的にだけど溜め込んでたもん吐き出して少しすっきりはした。三橋にはどう謝ったって足りないことをしたけど、謝りたいってのは俺の自己満足でしかない。感謝の言葉もそれと同じかもしれない。
 三橋のために、俺はもうなんもしない方がいいんだろうか。
 とか、ここ二日間ほとんど寝ないで延々考えた中で何回思ったかもわかんねーけど、終わるにしろ終らないしろこんなのは嫌だ。逃げ回っといてなんなんだって話だけど、ちゃんと向き合って話して決着付けないとダメだ。これでいいわけがねぇ。
(ダメだ、三橋と連絡つかない限り同じとこぐるぐる回って考えてるだけだな)
 そりゃそうだ。現状打破できなきゃ足踏みしてんのと変わりゃしねぇんだ。
 三橋と連絡を取る方法なんて本当はそれこそいくらでもあるんだ。田島や泉に頭下げるでもいい、三橋の実家に頼むのでもいい。本当はあるしわかってるけど、それを拒否してんのは俺のくだらないプライドなのか。
 三橋がどう思うかはわかんねぇけど、俺が三橋の立場だったら友人伝手とか親とかを介して連絡とりたいって言われても拒否する。
 だって面倒くさいだろ。関わりたくない。話がしたいって何度も訴えたのに無視されて、後から都合よく話がしたいとかそんなん知らねぇよって、俺ならなる。
 自分で蒔いた種だけど八方塞がりだ。どうすればいいのかって考えてたら夜は明けてたから、とりあえず作ったデータ確認してエラーがなかったから家に帰った。









 誰もいないってわかってる家に帰るのは嫌だ。お帰りって言ってくれる声もないし、静かだし、夏だから部屋の中は暑いのになんだか寒々しい感じがする。
 でも三橋はそれがずっとだったんだよなって今さらになって思う。俺も三橋も大学までずっと実家で、社会人になってからは一緒に住むようになってたから一人暮らしの経験はない。最初からずーっと、誰かがいる家に帰るのが当たり前だった。
 俺はすごい三橋に甘えっぱなしだったんだと思う。
 大学時代だったか、西浦のメンツで飲んでる時に彼女がどーだのって話で盛り上がってた水谷に、阿部は釣った魚にエサをやらない系だから彼女ができてもすぐフラれそう、って言われた。そん時は三橋に対してスゲェこまめに連絡とってたし、あいつがなにしたら喜ぶかとかリサーチしていろいろやってて、そういうの水谷が知るわけねぇからなに言ってんだコイツって内心思いながらスルーしてた。
 でも結局、俺は水谷が言ったとおりだったってわけだ。釣った魚にエサをやらない系。間違ってない。
 だってそうだろ。今年の三橋の誕生日は気が付いたら終わってた。五月になってからちゃんとあと何日で三橋の誕生日だってカウントダウンして、十七日には早く家に帰るんだそんでケーキ買ってプレゼントもなにか用意しておめでとうって祝うんだって考えてたのに、現実ではクソ上司がデータ吹っ飛ばしやがってそれの復旧作業で終わってた。気が付いた時には十七日どころか十八日深夜だった。
 それ以外にも、去年なんかクリスマスも一緒にいられなかった。俺の誕生日には三橋だって年末進行で忙しいのにいろいろ料理作ってくれてたのに、俺は終電でしか帰れなかった。
 これは最低だ。本当に最低だ。
「あちぃ……」
 家の中は夏なだけあって昼間の熱さを抱え込んだままで蒸し暑い。リビングに入ってすぐにベランダへのガラス戸を開けたら風があって、少しほっとした。風があるだけまだ涼しいのかもしれないけど、それでも暑さで汗がダラダラ流れてきてどうしようもない。
「……そういや、花火、あれから見れてねぇな」
 引っ越して来た年の夏にベランダから花火が見れるのがわかって、ラッキーだって言い合いながらビール片手にベランダで花火を見た。その時に来年も見ようっつってたのに、結局俺は仕事でいなかった。反故にした約束が何個あるのかもわかんねぇ。
 今年の花火大会はいつだったんだろう。これからなのか、もう終わったのか、それすら知らない。
 しばらく網戸越しに外を見てたけど花火があがるわけでもないしと、部屋に荷物を置きに行ってシャワーを浴びにいったら脱衣所の洗面台から三橋のカミソリとかハブラシとかそういうのが消えてるのに気が付いた。
 それをできるだけ視界に入れないようにしてさっさとシャワーを浴びてからキッチンに行って冷蔵庫を開けたけど、中に入っていたのは炭酸水のペットボトルが五本、調味料、あとは、冬場に俺が好んで買ってきてたチョコレートがひと箱。
 今までいろんな食材が詰まっていた冷蔵庫は見事にからっぽで、ああ、本当に三橋はいないんだなって、ぼんやりと見ていたらピーピー電子音が響いてくる。冷蔵庫のドア開けっぱなしだと知らせるそれに、炭酸水だけ取り出してようやくドアを閉めた。
 冷たいのが飲みたいし、氷いれて飲もう。だからなにかコップを、と、食器棚を開けてみたら手近にあったのは三橋とのお揃いのマグカップ。それを避けてガラスのコップに手を伸ばしたんだけど、そのコップも同じデザインのがふたつあったはずなのにひとつしかない。マグカップ以外はお揃いとかを意識したわけじゃないけど、食器は大体俺と三橋のふたり分でふたつづつ同じものを買った。
 棚にしまうときにその方が楽だろうってふたりで選んだそれが、どれもこれもひとつしかない。
 三橋はもういないんだってのをこんなところでも叩きつけられると思わなかった。家のあちこちから三橋がいた痕跡が消えてて、なんも残ってない。リビングにあったはずの三橋のお気に入りのクッションがないのだって本当は気が付いてたけど、知らないふりしてた。
 悲しい、寂しい、しんどい。そういうのを誤魔化すみたいに溜息ひとつ吐きながらひとつだけになったコップに手を伸ばす。取り出したコップを調理台の上にペットボトルと一緒に置いて、氷をと冷凍庫を開けて驚いた。
 からっぽだった冷蔵庫とは反対に、冷凍庫の中はタッパーとかフリーザーバッグがみっちり入ってた。それらひとつひとつにメモが張り付けてあって、中に入ってるもがなんなのかわかりやすく書いてある。
 ふと視線をあげたら冷蔵庫の扉部分にはコピー用紙にそれぞれの温め方が三橋の字で書いてあって、その紙に気が付いた時に視界が滲んだ。
「……牛丼、温める時は、蓋を外してラップ、レンジのあたため5のボタン」
 冷凍庫の中を改めて見たら小分けにした白米。カレーにチンジャオロース、グラタン、ハンバーグに、きんぴらごぼうとかほうれん草のおひたしまで、どのおかずもそれぞれ三食分以上はあった。
 全部、俺が三橋にうまいっつってリクエストしたことあるメニューで、そこでもうだめだった。














第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!