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星に願いを:前編 本文サンプル







 通いなれたスーパーのレジで会計を済ませて、買ったものが入ったカゴを手にサッカー台へ移動する。
 仕事帰りに家から徒歩十分のスーパーに寄るのはもうずいぶんと前から日常になって、カバンには紺色に星の模様がプリントされたエコバックが常備されているくらいだ。取り出したそれに重たいものから順に詰めて、何気なく腕時計で時間を確認してちょっと驚いた。
(おお、まだ、四時、か)
 歴戦の勇者みたいな、これから夕飯を作るんだろう主婦の人に混ざって買い物とか久々だ。土曜日で休みなのに珍しく休日出勤したからだけど、そういえばこの時間のスーパーは久しぶりに来た。土日に買い物に来るときは大体昼過ぎとか、あんまり混んでないだろう時間を狙って行くようにしてたし。
 前は阿部くんも一緒にスーパーに買い物とか来たけど、今じゃひとりで来るのが当たり前になった。
 投手じゃなくなったのに「右肩に買い物袋下げるな」って叱る声はないし、重いものだって全部、俺ひとりしかいないから全部持って移動するようになった。
 最後に一緒に買い物に来たのいつだったっけ?って思ったけど、思い出せないくらい前だったから諦めた。
 スーパーを後にしながら、なんだかポテトサラダが食べたい気分だなとかふと浮かぶ。ちょうどキュウリも買ったし、じゃがいもとニンジンは家にあるから、今夜はポテトサラダを作ろう。
 家に帰ったら一週間のお弁当のおかずと夕飯考えて、下準備できるものは今日と明日でやっておかなきゃ。高校時代、毎日お弁当作ってくれてたお母さんには本当に感謝だ。自分で作るようになって毎朝作るのは結構大変だってはじめて知った。
(今日は、生姜焼き用のお肉、安かった、から、生姜焼き、弁当、どっかでやろう。あ、味噌焼き、も、捨てがたい、な)
 お弁当のおかずには、夕飯の残りは使わない。だって、お弁当の蓋を開けた時に見えるおかずは、前日の夜食べたものよりも違うものの方が嬉しいだろ?
 俺のは適当でいい。でも、阿部くんのはちゃんと作る。
 そんなに上手くもない料理だけど、せっかく食べてもらえるのなら少しでも飽きないように、そして少しでもおいしいって、思ってもらえるように。
 野球以外の趣味らしい趣味も増えなかったから、手際が悪くても料理に使える時間が多いのは助かってる。キッチンにいる時間が長いし、ここ数年の趣味は完全に下手の横好きだけど、料理だといってもいいのかもしれない。
(おかず、の、レパートリー、増やしたい、から、またレシピ、探してみよう)
 外は薄い青の空が広がっていて、春になったばかりだと思ってたのに、もう夏が近づいてきてるんだなぁ。昼過ぎに雨が降ってたせいか空気がむわっとしていて、なんだか景色もぼんやりしてるみたいだ。
 ついこの間までこの時間にはもう外は薄暗かったのに、本当にあっという間だ。あと二時間は外は明るいなんて不思議だけど、そうか、もう夏になるのか。
(今年は西浦、どこまで、勝ち進む、かな)
 野球をやってた高校時代がすごく遠い。キャッチボール、やりたいなぁ。いつから投げてないのかも、覚えてないや。
 連絡はないけど、阿部くんは今日も帰りが遅いんだろう。いつも通りなら土曜の出勤で帰ってくるのは早くて九時を過ぎた頃だ。まだ四時過ぎならご飯作る時間はいっぱいあるし、今日の買物はそんなに重いものも買ってない。冷蔵庫に早めに入れないとまずいものもない。
 せっかくだし、少し遠回りをして帰ろうかな。
(よし、こっち行って、みよう)
 寄り道は本当に、なんとなくの気分だった。
 迷子になったら携帯のナビアプリを使えば帰れるだろう。なんだかんだで住んで三年になる街なのに、家と駅、あと今日も行ったスーパーくらいしか歩いたことがないからちょっと散策してみよう。
 帰ってもひとりだって、それもなんだか気が重かったのかもしれない。
 おかえりって最後に言われたの、いつだったっけ。俺が阿部くんにおかえりって言えたのは先週土曜だ。
 ただいまって、挨拶したの、最後はいつだったっけ。おやすみは、おはようは、最後に口にしたのはいつだったか。
 仕事が忙しいのは仕方がない。俺だって仕事があるし、ベタな「俺と仕事どっちが大事なんだ」なんてこと言う気はない。
 それでも、寂しいものは寂しいし、言えるものなら言ってみたいけど、それを口にしたことでどう思われるのかが怖くて言えない。
(……一緒、住んでるのに、挨拶もできない、のは、寂しい)
 おかえりくらいはせめて言いたいと、帰ってくるのを待って起きていたら「なんで起きてんだよ」と言われたのはいつだったっけ。それからは、日付が変わる前には自分の部屋に行くようにしてるけど。
(なんか、いろいろ、思い出せない、なぁ)
 元々は一緒に住めば家賃が浮く、とか、そういう理由で一緒に住み始めたから俺がこだわってるだけだけど、今じゃ朝の短い時間に顔を合わせられたらいい方だ。
 ただのルームシェア。阿部くんとは同居人なんだけど、一緒に住んでいるなら挨拶くらいはしたいって、そう思うのは俺だけなのかな。
 阿部くんは仕事が忙しいみたいで、ずいぶんと前から土曜も仕事に行くことが多い。日曜はほとんど寝てるか、起きても持ち帰ってきた仕事を部屋にこもってやっている。仕事の邪魔をしないようにと思ったら、話しかけることも出来なくなった。
 最初のうちはきちんと家事も分担してたし、ご飯の準備の当番とかも決めてたんだ。でも、俺の仕事の方が阿部くんの仕事よりも忙しくはないし、阿部くん残業続きでご飯作るのできなくなって俺がやるようになって、そんで、忙しくて疲れているならと家事は一手に引き受けるようになったのっていつだったっけ。
 でもそれも、せめて家ではゆっくりしてもらえたらって思ったからなんだけど、失敗ばかりだ。
(ああ、イヤだ)
 一緒に住み始めた時は、本当に、馬鹿みたいになんでも一緒にやってたのに。最初に家事は当番制にって決めたのに、ご飯作るのも、洗濯も掃除も、遊ぶのも昼寝も、本当になんでも一緒にやってた。楽しかった。
 夜寝る時だって、寒い時期は一緒に寝てたりもしたのに、いつからこんな風になったんだっけ。
 ああ、でも、それも普通じゃないのはわかってるし、俺が勝手に嬉しかったり楽しかっただけだ。
(……もう、考えたく、ない、なぁ)
 今はただできることをやろう。考えたところでしょうがない。こればっかは俺がぐるぐる考えたところでどうにかできるもんじゃない。一方的じゃ意味がない。
(阿部くんに、時間出来たら、きっと大丈夫、だ)
 ネガティブな方向に囚われてた思考を追い出すみたいに頭を少し左右に振って、歩きながらここはうちからどのくらい離れたところだろうとか考えてみる。
 周辺は住宅街だし特に面白いものがあるわけじゃないだろうと思ってたら、なんだか個性的なデザインの一軒家があったり、曲がり角のところにお地蔵さまがいたから小さな声でこんにちはと挨拶してみたり、公園があるのを知ったりと結構楽しい。
 世界は自分の考え方次第でいい方向にも悪い方向にも転がっていく。だったら、できるだけ、いい方向に転がるように。楽しいことを探して、散歩をして帰ろう。
 そして、阿部くんの仕事がひと段落ついて、ゆっくりできるようになったら一緒に散歩でもしに行こう。きっと、阿部くんも知らないものがいっぱいなはずだ。
 そんな風に気持ちを切り替えてしばらく歩いたら河原にたどり着いた。結構大きな河川敷に、夏に花火をあげてる河原がここだとしたらそこまで遠くはないんだなと驚いた。
(ああ、一昨年の夏、は、一緒に、花火、見たな)
 近くで花火大会があるっていうのは駅が混雑するからと事前に貼られた案内やポスターで知ってたけど、家のベランダから見れるとは思ってなくて。ドォンって響いた音に何気なくベランダの外を見たら、そこまで大きくはないけどしっかりと花火が見えて「花火だ!」ってふたりでびっくりしたのを覚えてる。
 花火だ花火だって、わけわかんないけどテンション上がって騒ぎながらベランダに出て、ビール片手に花火を見たの楽しかった。
 でも花火が終わって部屋に戻ったらふたりそろって蚊にすごい食われてて、来年は蚊取り線香用意して見ようって約束して。でも結局、阿部くんは仕事でだったかな。
 あれから花火は一緒に見れてないままだ。準備した蚊取り線香は未開封のままで放置されてるけど、今年は一緒に見れるかな。
 去年の花火は、ベランダの網戸越しにひとりで見た。部屋の電気決して、ビールも用意してみたけど、ひとりで飲むビールはおいしくなくてなかなか減らなかった。
 せっかくだからと花火の写真を撮って阿部くんにメールで送ったけど、忙しかったのか返事もなく、それきり。
 だから、今年の花火は一緒に見れたらいい。楽しく過ごせたらいい。
 そんなこと考えながら土手の上をぼんやりとしばらく進んでいたら、なんだか急に眠気が襲ってきた。小さく口を開いてあくびをかみ殺すけど、なんだろ、すごく眠い。
 こんなに眠いなら帰って昼寝でもしようかと考えていたら「危ない!」って大声がいきなり響いて、びっくりして反射で足が止まったところで視界を白いものが上から下に落ちて行くのが見えた。
(……び、っくり、した)
 落ちてきたのは野球ボールで、タイミングがいいのか悪いのか、俺があと一歩踏み出してたら頭に直撃コースだった。
 真っ白なボールに赤いステッチのそれを視線で追いかけてたら「すんません!」「すみません!」って土手の下の方から謝罪の声がふたつ聞こえてくる。
(ああ、キャッチボール、かな?)
 人に当たりそうになって焦ったんだろう。ケガはないかとの必死な謝罪の声に「だいじょー、ぶ!」って答えながらころころと転がっていくボールを追って拾い上げて、土手の上まで駆け上がってこようとした少年にいいよと手で制する。
「投げる、よー!」
 足元に買い物袋とカバンを置いて軽く投げ返すと今度は「ありがとうございます!」って声が聞こえたから、野球がんばれって心の中で応援しながら手を振って見せた。
(ボール、投げたの、久しぶりだ)
 もっと投げたいけど、準備運動もしてないし、キャッチボールをする相手もいない。明日にでも実家に顔を出しながら庭で投げようか、なんて考えながら足元に置いた買い物袋とカバンを持ち上げて、俺はまた土手の上をのんびり歩いた。
 会社と家の往復ばっかりで全然気が付いていなかったけど、土手にはいろいろな花が咲いていた。名前はわからないけどいろんな花と植物があって、あと、蚊柱とかも久々に見た。
 蚊柱と言えば、あれ、頭の上でまとまってくるのやめてほしい。逃げても追いかけてくるのは習性なのかなんなのか。蚊柱っていうくせに蚊の集まりじゃないらしくて、刺されたりの害はないけど気分的に嫌だ。そしてそんな蚊柱で土手の道がふさがってたので、そこで引き返すことにした。
 腕時計を見たら五時ちょっと前で、それなりに歩いたみたいだ。帰りは来た道を辿っていって、迷子になったらナビアプリのお世話になろう。
 のんびり歩いて来た道を辿っていたら、さっきの野球少年ふたりがまた見えた。まだ外はそれなりの明るさだけど、もうそろそろ、河原には明かりもないし彼らも帰るんだろうけど。
(……キャッチボール、いい、な。ちょっと、見たい)
 少し見学させてもらおうと緩やかな坂になってる土手を少し降りたんだけど、ビジネスシューズで芝生の坂は動きにくい。というか、滑って怖いな。
 ほんの少し降りたそこで適当に腰を下ろして、買い物袋とかは転がり落ちていかないように手掴んだままで勝手に見学させてもらった。
 ジャージ姿のふたりの少年はキャッチボールをしていたんだけど、背の低い方の子が座って構えると背の高い方の子が距離を取って投げ始めた。
(いいなー。俺も、投げたい)
 投手の方の子はコントロールはいまいちだけど、投げる速さはいい感じだ。まだこれから、練習を重ねて成長していくんだろうなと思うと少し眩しい。
 薄暗くなってきたせいなのか、なんだか妙に眠いせいなのか。視力は悪い方じゃないんだけど、少年たちの顔が判別できない。体つきから中学校終わりか、高校生くらいかな?俺にとっては、一日中野球ばっかで一番楽しかった時代だ。
 ああ、いいなぁ。野球、楽しそう。
 野球の事だけ考えていられた高校時代はよかった。なにかひとつだけ、夢中で追いかけていられるのはうらやましい。
「兄ちゃんのノーコン!」
「うっせぇ!ノーコン相手でもきっちり捕球できるようになっとけ!」
 コントロールがいまいちな投手に捕手の子が怒ったらそれ以上の勢いで投手の子が怒ってて、なんだかちょっと笑ってしまった。
 ノーコンの自覚あるのか。そんで、お兄ちゃんが投手で弟くんが捕手なのか。兄弟でバッテリーとか、楽しそうだ。
 練習相手がいるのっていいな。的を相手に俺はコントロールを手に入れたけど、やっぱり、誰かとやりたいって気持ちもあったし、捕ってもらえると楽しさも違う。
 さわさわと風で揺れる草木の出す音に、ミットがボールを捕球する音。時々すごくいい音をさせて捕球できてるんだけど、もっと、がんばれ。投手って、ボールが届いた時にイイ音すると嬉しくなっちゃうから。
 眠気と戦いながらだったけど、時間を忘れて見学をしてたらあっという間に日は落ちていて、少年たちも片づけを始めた。
 見学させてくれてありがとう、楽しかったって心の中でふたりにお礼を言って、土手に上がろうとしたところで投手のお兄ちゃんから声をかけられた。
「あの!」
 こっちを見てるけど、本当に俺にかけられた声なのかどうかと周囲を見渡しても俺しかいない。
「えっと、俺?」
 薄暗いし見えてるかどうかわからないけど自分を指差しながら聞き返したら、そうだというように大きく頷かれて、そんでひょいひょいと俺のそばまで芝生のすべりやすい土手を上がってきた。
「さっきはすんませんでした」
「へ?」
「ボール、気を付けてやってたつもりだったんですけど飛んで行っちゃって。すんません」
 どうやらただ見学させてもらってたつもりだったんだけど、変な方向にとられてしまってたらしい。慌ててその言葉に首を横に振って「俺も、野球やってたから!」と返す。
「懐かしくって、見学させてもらっただけ、だよ。ごめんね、あの、声かければよかった、ね」
 そんな誤解をされるとは思ってなかったからびっくりだ。弁解をしたら、お兄ちゃんは少しほっとしたように大きな息をひとつ吐いた。
 なんだか申し訳ない気分になって、そうだとエコバックの中からスポドリのペットボトルを取り出す。
「あの、ごめんね。これ、一本しかないけど、分けて飲んで」
「へ?え、いや」
「運動したら、水分補給、大事だ。あと、汗はちゃんと拭いて、風邪ひかないように、気を付けて、ね。野球、いっぱい楽しんでくれ」
 いきなりスポドリを差し出されて戸惑うお兄ちゃんに半ば押し付ける形でそれを渡して、元野球少年から後輩への差し入れだ、と言ったらお兄ちゃんは少し笑ってくれた。
「……えっと、あざまっす。ありがたくいただきます」
「うん。それじゃあ、気を付けて、帰ってね」
 カバンとエコバックを手に立ち上がって、ばいばいって手を振って土手に上がる。歩き出して少しして「ありがとうございます!」って弟くんの声が聞こえてきたから振り返って手を振って、ちょっとしたことだったけどなんだか嬉しい気分になった。
 中学高校なんて結構昔で、そのくらい年が離れた子と話した経験もあまりなかったけど、いい子だったなぁとか、あと、なんだか懐かしい感じがする子だったとか。
 そんなこと思いながら歩いていたんだけど、さっきまで薄まってた睡魔がまた強くなってきて、まぶたが勝手に落ちてくる。
 睡魔と闘いつつ、よろよろしながらも歩いていたら意外と迷子にならずに家までというか、知ってる道に出ることができた。
「おお、ここに、出るの、か……」
 結構適当に歩いてたけど無事に帰れて、野球少年とのコミュニケーションも楽しかったしで、すごく眠いけどここしばらくの中で久しぶりに少し気分がよかった。
 帰宅してから睡魔が酷すぎると目覚ましをセットして少し寝て、起きてから夕飯の準備とお弁当の下ごしらえとかをやっていたら阿部くんが帰ってきた。何時だろうと時計を見たら九時過ぎてて、ああ、いつも通りだなって思う。
「阿部くん、おかえ、り、なさい。ご飯、すぐできる、よ」
「いまいい」
「そ、そっか……。えっと、お風呂、準備する?」
「あとで入る」
 疲れた顔をして帰ってきた阿部くんは、こっちを見ないまま部屋に行ってしまった。
(いつも通りの、土曜日、だ)
 土曜日だけはとりあえずおかえりなさいは言える。ただいまの返事はないけど、おかえりと出迎えることはできる。
(……俺、の、意味は、あるの、かな)
 別に、元々ただのルームシェアだし、ここまで気にしなくてもいいんだとは思うんだけど、うまくいかないな。
 阿部くんの仕事が忙しくなって、毎日帰ってくるのも遅くて、顔を見ることも減って、一緒にご飯を食べることもなくなった。今日こんなことがあったんだって、他愛無い話をすることもなくなった。
 ならばせめてと、挨拶だけはと声をかけても、それに返ってくる言葉もなくなった。
 俺はなんでここにいるんだろうとか、考えたくないのに頭に浮かんでくるのが嫌だ。
 俺は阿部くんが好きだから、一緒にいたいから、だから同じ家に住んでるはずだ。ルームシェアって形に違う意味を持たせてるのは俺だけだ。俺の勝手な希望で願望だ。ワガママだ。
 現状、そのワガママは叶っていて、同じ家に一緒にいられるだろう?
(会話もなくて、挨拶もなくて、作ったご飯、出来立ては、食べて、もらえなくて)
 それでも、一緒にいられる。ご飯だって出来立てじゃないけど、食べてくれてる。それだけで十分なはずだろ。
 実家よりもなによりも、ここが好きだったはずなのに、今は酷く息苦しい。
 それが悲しいとか寂しいとか、そう思うのも嫌だった。





 翌日の日曜は、いつものように下手くそながら掃除と洗濯を済ませて、昨日の夜の続きでお弁当のおかずの下準備とか、俺ができることを終わらせたのが昼すぎ。
 阿部くんは部屋から出てこなくて、物音もなにもしない。多分、一週間の疲れを癒すために眠ってるんだと思う。玄関に靴はあったし、下駄箱の中の靴も減ったりしてなかったから部屋にいるはずだ。
 寝てるところを邪魔したら悪いだろうと、阿部くんの部屋に入ることもしない。前に、いないときに掃除をしに部屋に入ったら社外秘の資料が置いてあったらしくて(俺にはどれが社外秘のものだったのかもわからないままだけど)酷く怒らせてしまったことがあるから、それ以降部屋に入ることはしてない。
 それに、阿部くんのことだから俺なんかが掃除しなくても綺麗に使ってるんだろうと思うし。
「……やること、なくなっちゃった、な」
 掃除もした。洗濯物も干してあるから乾くまで放置。お弁当のおかずも、小分けにして冷凍庫に入れた。お昼ご飯は食べちゃった。
 なにかやることはないかと考えてみたけど、なにも浮かばない。なんとなく、テレビをつけてボリュームを小さくしてからザッピングしてみるけど、日曜の昼間の番組はどれも興味をそそられない。
 なにか映画でも駅前のレンタルショップに借りに行こうか。いやでも、特に見たい映画もないというか、どんなものがやってたのかすらわからない。なによりテレビもデッキもリビングにしかないし、音はあんまり立てたくない。パソコンで見てもいいけど、画面小さいし面倒だからいいや。
 こういう時に自分の無趣味が恨めしくなるけど、趣味って無理やりやる物でもないだろう。好きなことに熱中するのが趣味だと思うから、近いうちになにかそういうものができると一番助かるんだけど。
 やることがない。どうしようかと少し悩んで、テーブルの上にご飯は冷蔵庫に入れてあるからおなかがすいたら温めて食べてくれとメモを残して、自分の部屋に戻ってベッドに転がった。
 やることがないのなら昼寝でもしてしまえ。眠ればあっという間に時間は過ぎる。でも、あんまり長時間寝ると夜に寝むれなくなって明日の朝に影響が出るから、二時間後に起きれるようにと携帯のアラームをセットする。
 起きる時間を確認して、いつものようにそれを枕の下に突っ込んでから目を閉じた。




 枕の下からなにかが震える鈍い音が響いてくる。
(……目覚まし、鳴ってる。起きな、きゃ)
 いつからかはもう覚えてないけど、阿部くんがいる時は極力物音をたてないようにするようになった。起きてる時は仕事をしてることが多いし、寝てる時はやっぱり、うるさくされると嫌なのは誰だって一緒だと思うから。
 学生時代の俺を思い返せば考えられないが、目覚ましも携帯のマナーモードのままで起きられるようになったんだから、人間変わるもんだなとは思う。
 重いまぶたを何度か開けては閉じてを繰り返して、枕の下から震える携帯を引っ張り出してアラームを止める。
「……ん?いちじ、かん、しか、たって、ない……?」
 アラームは二時間後にかけたつもりだったけど、間違えたんだろうか。まぁ、あんまり寝るのもよくないだろうと大きく伸びをして上半身を起こす。
 喉が渇いたからキッチンに行って、冷蔵庫を開けたら阿部くんの分のお昼ご飯がそのままあるのに気が付いた。
「まだ、寝てる、のか」
 トイレくらいは行ってるんだろうけど、おなか、大丈夫なのかな。すかないのかな。ご飯は食べないと、体持たなくなるのに。
 平日の夕飯は帰ってきてから食べてるみたいだけど、朝はギリギリまで寝てて食べないことが多いし、休日までこれじゃ体を壊してしまう。
 心配は膨らんでいくけど、寝ているだろうところに声をかける勇気もない。
 ひとつ溜息を吐いて麦茶を取り出して飲んで、どうしようかと考える。夕飯を作るにはまだ少し早い。でも、特にやることもない。
「……さんぽ、いこう」
 家にいてもなにもすることはないなら、外に行こう。昨日スーパーの帰りにふらついたの、結構楽しかったし。
 決めたら行動に移すだけだ。財布をボトムのバックポケットに入れて、パーカーを羽織り携帯をポケットに突っこんで家を出た。
 昨日とは少し違う道を行ってみよう。ある程度家の方向が分かっていれば適当に動いても知ってる道に出るだろう。もし迷子になったらナビアプリという強い味方がいるから大丈夫だ。
 ふらふらと当てもなく歩けば、塀の上で日向ぼっこする野良猫に出会ったり、敷地の大きな一軒家の中にお稲荷さんが見えたり(なにか商売をやってるお宅なんだろう。外からだけどお稲荷さんにこんにちはと挨拶だけしてみた)家の中にいた間に渦巻いてた嫌な気持ちが消えてくみたいだった。
 歩きながらふと、あの兄弟はいるかなってちょっと期待して河原まで行ってみたんだけど、時間がアレだったのか、場所を変えたのか、そもそも兄弟は来なかったのか。わからないけど、会うというか、見ることができなかったのは残念だった。
 土手を昨日みたいにしばらく歩いてから家はこっちの方向だった気がするって、そんなノリで河原から離れて住宅街を進む。自分がどこにいるのかもよくわからないけど、家にいるよりはずっと気分がいい。
 勝手に決めたルールで息苦しくなってるなんて滑稽な話だけど、居心地が悪いのは確かだ。
(余計な詮索、は、しない。足音とか、音は、あんまり立てないように、する)
 顔色を伺い続けること、気を使い続けること、自分という存在を殺すこと。
 それらが阿部くんのためになるのなら別にそれでも構わないんだ、なんて、ただの言い訳にしかならないだろう。
 相手のせいにした建前並べたところで、俺は今の状態に不満を持ってるし、現に家にいるのが嫌でこうやって外に逃げ出してる。この状態を打開しないと、俺か阿部くんか、どちらかが潰れるのはそう遠くないだろう。
(先に潰れる、のは、俺か、阿部くん、か。潰れるのなら、俺がいい、なぁ)
 本当に潰れることを望んでるわけじゃないけど、潰れるのだとしたら俺でいい。
 それでも、この状況を続けることは望んでいないのは確かだ。
 話しかける勇気はない。煩いって言われるのが怖い。嫌われるのが、怖い。
 誰だって余裕がなくなれば人に当たることもあるだろうし、気を回すことも難しくなる。それはしょうがない。
 頭ではわかってるつもり、でも、納得しきれない部分があるのも確かだ。
 だから向き合ってちゃんと話をしなきゃと思うのに、実行できなくて堂々巡り。
 ここのところずっと、時間さえあればそんなことばっかり考えてて疲れる。
(昨日の野球少年、いなかったの、残念だ)
 見てるだけでも楽しかったし、いい子だったし、元気貰ったんだけどなぁ。
 つらつらとそんな風に考えながら歩いていたら公園を見つけて、せっかくだしと入ってみることにした。
 その公園は結構広くて、ブランコや滑り台といった遊具にベンチもある。土曜日なのに子供も誰もいないのはちょっと不思議だけど、家でゲームをやったりしてるのかな。
 公園内を見渡したら自販機が設置されてるのが目に入る。ちょうどいいし水分を買って休憩でもしようとそっちへ向かいながら、くぁ、とひとつあくびをかみ殺す。
(……んー…昼寝、したのに、なぁ)
 なんだか眠くなってきた。そういや、社会人になってからこんな日光が当たる時間に歩くことも減ってたし、太陽の光って体力持っていかれるから疲れたのかもしれない。
 眠いって思った途端にまぶたが重くなってきたから、自販機の商品ラインナップを見て少し悩んで、ブラックのコーヒーを買うことにした。
 財布から小銭を取り出して自販機に入れて、目当ての商品のボタンを押すとほどなくしてガコンという音をさせながら缶コーヒーが落ちてくる。
(ブラック、苦手、なんだけど)
 眠い時はベタにカフェイン摂取が手っ取り早いだろう。あんまり、缶コーヒーって得意じゃないけど。
 こみあげてくるあくびをかみ殺しながらコーヒーを取り出したら、ピピピピピとなんか自販機が賑やかなことに気が付いた。なんだろうと自販機をよく見たら、商品ボタンが光っていて、コイン投入口付近の液晶に7がよっつ並んで表示されている。
(……おお。あたり、だ)
 学生時代に田島くんや泉くんと当たりつきの自販機って当たったことがないとかそんな話もしたけど、本当に当たるのか。っていうかこの自販機、当たりつきのだったのか。
 全く意識しないでコーヒー買うしか頭になかったけど、当たったのならせっかくだし貰って帰りたい。でも頭が働かない。なにがいいんだ?これって時間制限あるとかなんか聞いたような気がするぞ。
「……えぇー…」
 自販機を見たまま思わずそんな声を出してしまったら、噴き出すような笑い声が聞こえた。見られてたうえに笑われたと、ちょっと恥ずかしく思いながら適当にボタンを押すとガコンとなにかが出てきた音がする。
 取り出したらカフェオレで、飲めないわけじゃないし、これは持って帰って冷蔵庫に入れておこう、とか頭に浮かぶ。
 でも冷蔵庫に缶コーヒーとかこういうの、入れといてもなかなか消費しないんだよなぁ。昨日野球少年にあげたスポドリだって、本当にたまたま買ってただけだったんだ。飲みたいと思って買ったんだけど、帰宅してから飲んだかどうかは微妙だったし。
 当たったのは嬉しいけど、どうせなら一緒に盛り上がれる誰がいる時が良かった。
 そういえば、笑われたっていうか、見てた人がいるってことは自販機に用がある人なんだろう。早くどいて譲らなきゃと左手に二本の缶を持って、笑い声がした方を向いてすみませんと会釈しようとして驚いた。
(……あ、べ、くん)
 いや、違う、そっくりだけど阿部くんじゃない。
 そこにいたのは高校生くらいの子で、でもすごく阿部くんに似ている顔をしてた。親戚の子ってよりも、歳の離れた弟だとか言われたら信じてしまいそうなくらい、そのくらい似てる。似てるっていうかもう、俺の記憶の中の阿部くんそのものだ。
「あ」
「うおっ?」
 思わず凝視してしまった俺の顔を見て、その阿部くん似の子が声をあげるのにびくっとしてしまう。なんだろ、俺なんかしたかな。
「昨日、河原で会いましたよね」
「……へ?きの、う?」
 河原で?って考えて、河原で喋ったのは野球少年だけだと思い出す。この公園も河原からそんな離れた場所ではないはずだけど、すごい偶然だ。
「ノーコン投手、の、お兄ちゃん?」
「いや、俺投手じゃないっす。捕手です」
「え、そうなの?」
「弟も捕手で捕球練習に付き合って投げてただけなんで。あとノーコンは地味にくるんでやめてください」
「ご、ごめん、ね……」
 意外な新事実発覚だ。お兄ちゃん、投手じゃなかったのか。兄弟で捕手っていうのもなんだかすごい。
「そ、うだ」
 ちょうどいいやと左手に持っている缶コーヒーふたつをお兄ちゃんの方に差し出して、よかったら好きな方どうぞと勧める。持って帰ったところで飲むかどうかも微妙だし、元手もかかってないし、消費してもらえるならありがたい。
「さっきの、ノーコンのお詫び、だ。ヘボピーだった、元野球少年に言われたら、嫌だよねぇ」
 苦笑しながらそう言ったけど、お兄ちゃんはもらえないと首を横に振る。
「あれ、さっき、笑ったの、君だよ、ね?」
「あ、すんません」
「ううん、あの、当たったけど、二本も飲めないし。どっちが、いい?」
 お兄ちゃんは少し迷った後、じゃあってカフェオレの方を受け取ってくれた。






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