「もう風早を掻き回すのは止めろ」 「聞き捨てならないですね。私は風早を掻き回してなどいませんよ」 「では、風早に逃げ道を作るな。あれでは…」 「私は」 「…」 「私は、本来あの二人を応援している訳でも、貴方の願う形を望んでいる訳ではないのですよ」 「本心を、気付いていながらか、柊」 「ええ、忍人。私は風早の事が好きで堪らないんですからね」 決行日、当日。 那岐は正装に着替えて、空を眺めていた。 周りには不穏分子と謀叛を企てている文官達が並んでいた。 此処数週間は、那岐はこの者達の口車に乗ったふりをしていた。 そうして手に入れた情報は全てアシュヴィン達に流れている。 ちなみに那岐の隠れた腹心として、柊を仲間に入れて、文官達の話に乗ったふりをしていた。 だから並ぶ文官の中には、柊が居た。 彼の考えた作戦により、文官達と幾人の武官は橿原宮へと攻め込み、貴賓席に座る王を捉える。 細かくは那岐には知らされていなかったが、柊のいう事を聞いていれば、恐らく直ぐに決着が着くだろう。 柊の作戦はこの計画に加担した者達が捕まるように仕組んだもの。 決行は目前。 文官達を置き去りにして、逃亡を計る手筈は整っている。 忍人と風早が常世へ行く為の道でそれぞれ待っている。 逃亡だけの割には充分な護衛だ。 全て終われば那岐はこの中つ国に必要ない人間になる。 常世の何処かでひっそり暮らすのも良いだろう。 小さな頃のように戻るだけだ、と那岐は思っている。 ただ心残りは風早だけだった。 結局もう一度ちゃんと話す機会もなく、此処まで来てしまった。 最後の最後で思いを伝えたかったけれど、どうやらそれは叶いそうにはなかった。 意気地が無くなった那岐には、どうしようもなかった。 那岐は毎晩夢を見た。 同じ夢だ。 あの泣き出しそうな風早が、毎回自分を突き放すように拒絶し、離れていく。 何と言う悪夢だろう。 溜息をついてから、立ち上がり、文官達の熱い視線の中を那岐は真っ直ぐ歩いた。 隣にやって来たのは首謀者でもある、文官だ。 「時間のようですな、我等の王」 那岐はこの男が嫌いだった。 別に謀叛を企てているからではない。 単純に合わない性格をしているからだ。 何度術をかけてやろうと思ったか。 だがその男の口車にのったふりをしなくてはならない。 だから無理にでも、相手の喜ぶ顔を作った。 「―――いくぞ、橿原宮を手中に治める!」 「来たか。とりあえずこれを被れ、お前の髪色は目立つからな」 渡された外套を被ると、那岐は走り出す忍人の後に続いた。 彼等の背後に見える橿原宮の方では数本の煙が立ち上っていたが、既に決着は着いている。 全ては作戦通り、今頃アシュヴィンが全て謀叛を働いた者を捉え、彼女は無事だ。 もし何かあっても、布都彦が風早の代わりに王を守り抜いているだろう。 それだけで安心だった。 比良坂まで向かう為に、先に忍人と合流した。 忍人は道に迷う事なく、一番近道を走る。 那岐は中つ国を裏切り、仲間を裏切った首謀者として中つ国側からも追われている。 悠長にしている訳にもいかない、更に云えばのんびりしていたら、恐らく一緒に居る忍人も罪を問われる。 問われるだけなら、随分良い処分だ、と、忍人は苦笑した。 「…待て。…あれは…」 暫く走ってから、忍人は足を止めた。 それに那岐もそれに倣う。 前に見えるのは恐らく残党だ。 聞こえてくる会話で忍人がそう判断した。 どうやら初めから別行動をとっていた者達のようだった。 これは知らなかった。 勿論柊も知らなかっただろう。 文官の腹心なのだろう。 今此処に那岐が居たら、計画が全て失敗した事が判ってしまう。 そうなれば、那岐を血眼になって抹殺しようとするだろう。 更にこのままでは全ての計画が泡となってしまう。 「那岐、恐らく一部隊くらい敵は居るが、やれるか?」 「…やらなきゃ、ならないだろうね」 「……いくぞ」 木陰から姿を現した二人に、直ぐに応戦の態度をとった。 敵は数十人居るだろう、だがこちらは二人。 明らかに不利だ。 しかし負ける訳には行かない。 勾玉を手にして、那岐は呪いを唱えようとした時だった。 「…随分遅いと思ったら、こういう状況でしたか」 「風早!」 「だから初めから三人で行動すべきでした。後でアシュヴィンに文句言わなくてはね」 現れたのは風早。 天色の髪を靡かせ、敵部隊の後方から現れた。 「ほら、二人共。時間は迫ってますよ」 「ふっ…お前が居るなら、数分で片付きそうだがな」 「行きますよ、二人共」 「那岐、援護を頼む。魂を砕き、唸れ漆黒の刃―――」 抜いた刃は、空を裂き、その場を争いの場へと変貌させた。 争う中心の二人は誰にも負けない程の実力で敵をはねのけていく。 これが未来を切り開いていく仲間の力だった。 しかし二人対大多数では、隙が増えるのも確かだった。 那岐は外套を脱ぐと、術を解き放った。 「神の御息は我が息―――」 後はこの洞窟を通れば、常世へと出られる。 そこまで三人は駆けて来た。 息をきらしてはいるものの、三人に殆ど傷は無く、代わりに返り血が所々服を濡らしている。 忍人が頬の血を拭い、風早は刀についた血を裾で拭ってから鞘に収めた。 那岐は呼吸を整えると、二人を見た。 此処までやってきた。 後は那岐が此処を通り抜け、全てが終わる。 全てが終わってしまう。 時間はない。 早く行かなくてはいけない。 なのに、進めない。 決断したのに。 けれどどうだろう。 風早が幸せとなるだろうか。 いいや、きっとこれで良かったのだ。 本当の幸せを考えるなら中つ国に居るのが一番なのだろうから。 ただ幸せを考えられる場所で、その幸せを叶えるのが。 けれど那岐は離れたくはなかったのだ。 「此処まで来たなら、大丈夫だろう。那岐、気をつけて行け」 「ああ、判ってる。…けど」 「那岐?」 那岐は風早を見た。 そうだ、言わなくてはならない。 もう一度、もう一度。 これが最後になるのだ。 「一緒には来てって言っても、来てはくれないだろうね、あんたは」 「那岐」 「…もう僕は行くけど、あんたに一緒に来て欲しいとは言わない」 「…それは、もう愛想が尽きたからですか」 「違う!僕はこれからも風早が好きだ。これは変わらない、絶対だ!…でも」 「…でも?」 「漸く判った。風早が僕にしたように、風早の幸せを望むから、もう行くよ」 我儘を言わなければ。 君を好きだという気持ちを押し付けなければ。 少しは違った未来になるだろうか。 もう何もないけれど。 那岐は中つ国に残れない。 風早にはこの国が大切なのだと、知っている。 それを奪う事は、風早の幸せになりはしない。 (幸せを考えてくれたから、風早は僕を突き放したんだ。) 「最後に言えて良かった。…じゃあ、行くよ」 那岐はそう言うと、洞窟へと向かって行った。 許されない恋だった。 そう思うしかなかった。 そういう運命でなければならなかったのだ。 好きなだけでは、乗り越えられない運命も、あるのだと。 「良い、のか?」 「忍人?」 「行かなくて良いのか、と聞いている」 「…」 「俺達は何年一緒に居たと思ってる?風早の本心など初めから解っている」 「まさか…聞いていたんですか?彼女との話を」 「…どうだかな」 不敵に笑った忍人に、風早は苦笑した。 本当の事を聞いても答えてはくれないのだろう。 風早は視線を那岐に向けた。 もう洞窟に入って行く所で、今行かなくては恐らく追い付かない。 だから、行くなら今だ。 それでもなかなか踏み出さない風早に、忍人はそっと背中を押した。 俺以上に不器用な奴だ、と忍人が呟く。 一歩踏み出した風早は忍人を見た。 変わらず不敵な笑みを浮かべて、忍人は手をひらりと振った。 「風早の本心など、俺が知っている。早く行け、姫には俺が言っておく」 「忍人」 「風早。お前の幸せは中つ国だけではないだろう?姫だけではない」 「俺の幸せ…」 「そうだ。好きなんだろう?それを手放してどうする」 「忍人」 「解ったら行け。まったく、俺に背中を押されなくては歩けない程子供ではないだろう?…俺達はいくらだって、また会えるからな」 だが、幸せは逃したらもうない。 顎で洞窟を示すと、忍人は踵を返した。 振り向かない忍人に戸惑って下を向いたが、忍人の言葉につい笑ってしまった。 それを抑えると、風早も踵を返した。 そして忍人と同じく、振り返る事はなく走り出した。 那岐の居る、洞窟へと。 走って、どうか那岐に追い付く事を考えた。 那岐は明るい髪の色。 黄金色。 だから暗闇でも明るく見えた。 いや、風早だからそう見えたのかもしれない。 ただ、その光に飛び込む覚悟が必要なのだった。 「っ、那岐!」 見つけたその色を呼び止めた。 その声に驚いた顔をして、彼は振り返る。 風早は直ぐに那岐の傍に向かった。 その後どうするか、なんて、考えてはいなかった。 ただ、那岐に伝えたくて。 本心を伝えたくて。 ただ、その一心で。 「……かざ、はや…?」 「俺、那岐と一緒に行きます。那岐っ、俺はっ」 「ちょ、ちょっと待てって!」 「那岐、」 すきです。 そう言おうとした所、風早の言葉は淡く消えた。 那岐に手を引っ張られ、抱き締められたのだ。 その腕は前と同じ感触なのに、久しぶりに抱き締められた感覚が酷く懐かしい。 自分より背の低い、愛しい人に腕を回して。 相手の傍に居られる、その幸せを噛み締める。 どうしてもっと早くこうしなかったのか。 どうして他の未来が上手く行く事しか、考えられなかったのか。 自分の幸せな未来を、望んでも良いのだろうか。 ああ、どうしよう。 もし、良いのなら、叶うのであれば。 (泣きそうだ。) 「本物?夢じゃないよな」 「ええ。…那岐に、こうして触れられる位置に居られる。此処が、俺の幸せです」 もう、許されぬ恋ではない。 許されなくても良い。 幸せは此処にある。 今や那岐はただの那岐になり、生きていける権利を得た。 アシュヴィンはそれを見越していたのだろうか。 …いや、ただの偶然に過ぎないと、言うに違いない。 那岐は顔を上げた。 直ぐそこには風早の顔があった。 最後に彼の顔をちゃんと見たのは何時だったか。 それすら忘れていたみたいだった。 一番覚えていたのは、最後にあの空を眺めながら。 空に溶けてしまいそうな風早の横顔と。 そして泣き出しそうな顔だった。 今はそうではない。 あの頃の風早だった。 優しい笑顔に、柔らかく表情を緩ませて。 那岐、と。 あの声で自分を呼ぶ。 彼は一緒に行くという。 幸せは此処にある。 那岐の隣が自分の幸せで、もう何処にも行く気はないのだと。 「ねえ、風早。僕は伝えなきゃいけない」 「俺も、言わなきゃいけない事があるんです」 額を重ねる。 もう言わなくても伝わるだろうか。 伝わっているだろうか。 この額から伝わる熱で。 この相手に触れられる感触で。 もう伝わっているだろうか。 ねえ、もう幸せの在りかを、迷わない。 「今でも好きなんだ」 「那岐が好きなんです」 許されぬ戀―二人の幸せの在りか― >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 漸く伝えられた本心は、君に伝わっているだろうか。 ねえ、大好きなんだよ。 連載9話。 次回最終回。 忍人さんが最後に背中を押してくれました。 後に色々補足とか入れたいです。 [グループ][ナビ] [HPリング] [管理] |