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NKNSM(中野島)の由来について



中野島の由来並びに中野島村(なかのしまむら)とは
現在の神奈川県川崎市多摩区中野島(神奈川県橘樹郡中野島村→稲田村→稲田町)にあるひとつの町である。

現在地:川崎市多摩区中野島1丁目〜6丁目

位置・地形:多摩区の西北方に位置する場所で東側は登戸に南側には生田で生田1丁目と2丁目には広域の中野島に入って西側には菅地区である。北は多摩川にに面しており菅と生田の境に二ヶ領用水が流れており、対岸の東京都には狛江市には和泉、調布市には染地と国領の飛び地である。ちなみに島ではないのに中野島なのは多摩川が作った中州のようなものでありそこの地区を中の島であるので生田と違い全体が坂道が少なく平坦のため自転車に好都合な条件であります。
なお中野島は元々東京都の一部といわれておりその名残として対岸として狛江市和泉と調布市布田という地名が存在します。
※中野島と登戸の間に和泉という地名がある。布田は中野島駅近くに下布田小学校という場所が布田という地名である。

二ヶ領用水の西から南方面の部分は多摩川の旧流路であったと言われております。

村名の由来:前述してある通り多摩川の中洲のような部分の町が”中の島”に形成されていた村の意味であり中野島の”野”の部分は当て字である。戦国時代の大氾濫によって多摩川の流路が大きく変わり、南側にある旧流路と北側にある現流路に挟まれていて江戸時代に開発した村といわれている。
万蔵院という修験者が開発者であるということが言い伝えられており、そのために万蔵島とも呼ばれていた。村名も公式はいずれも中野島村であるが、江戸時代中期までは万蔵島の呼称も併せ持っていたと言われている。


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