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この地元に帰ってきて、昔と大きく違う事が二つある。

一つは父親がいない事。これは別に特に問題がある訳でもなんでもない。むしろ、父には悪いがこの方が良いと思っている。
元々存在しないも同然だったし、何より母が父の事業を継いでから生き生きとしているからだ。人間何かやるべき事が在る方が、生き甲斐もあるんだろう。最近の母を見ていて、本当にそう感じる。
その分僕と顔を合わせる時間も減ってきたが、僕自身もう母親が恋しい年齢でも無い。寂しいと思う気持ちはあるものの、仕方が無いのだと理解しないといけない部分でもある。その辺りの良識は弁えているつもりだ。
もう一つは、周囲の人間の僕に対する視線が変わっていた事。
近所の方々は相変わらず親切とは言えないが、昔ほど冷たいとも思わない。それは、僕が成長して感じ方が変わっただけかもしれない。
何より対応が変わったと感じるのは、学校の同級生だ。
遠巻きに僕を観察するように眺めてきていた癖に、今はもう普通のクラスメイトとして接してくる。いや、むしろ好意的な方なのではないだろうか。これは素直に嬉しいと感じた。
しかし、そう喜んでいる反面、何故突然こんなにも周囲の対応が変わったのか、何か、下心でもあるんじゃないかと危惧してしまう部分もある。
特に利用価値も無い僕に、下心を持って近づいてくる人間なんていないのだろうけど。

「古泉くん」
休憩時間、いつものように彼とどうでもいいような会話をしていたら、同じクラスの女生徒が少し節目がちに僕に話しかけてきた。
この子は誰だっただろうか。たしか、教室の前の方の席に座っていた気がする。頭の中からこの女性の情報を引きずり出しながら、なんとか聞いたことはあるだろう彼女の名前を思い出そうとする。しかし、苗字の一文字目すら出てこない。
僕は人の名前を覚えるのが苦手だ。よく話す相手ならばすぐに記憶できるのだが、あまり接点の無い人間だとどうにも頭に入りづらい。
「なんでしょう?」
しかし、名前なんて分からなくても会話は出来る。
僕は彼女に向き直り、笑いかける。すると、緊張しているのか小さな肩が微かに震えていた。
大きな目で僕を見上げる。まつげが長い。彼女はこんな田舎町にはもったいないような、整った容姿をしていた。
でも、その細い肩にも、うっすらと赤く染まった頬にも、可愛らしいとは感じる気持ちはあるけれど触れたいとは思わない。
それって、若い高校生男子としてこれはどうなのでしょうね、なんて嘲笑気味に自身に問いかけてみる。その原因は、今も僕の後ろに座って退屈そうに僕らのやり取りを眺めているに違いない。
「今日の数学の授業がよく分からなくて……古泉くんさえよければ、き、今日の放課後……一緒にどこか喫茶店でも入って、数学を教えてくれたら嬉しいな、と思って……お、お金は私が奢るからさ」
「放課後、ですか」
部活にも入っていないしアルバイトもしていないので、予定は無いし断る理由も特に見当たらない。
僕より、頭ひとつと少しだけ背が小さい女生徒を見下ろす。顔を伏せてしまっているため、僕からは丁度頭のてっぺんしか見えない。
何でその教師役に僕を選んだのだろう。仲の良い友人にでも頼めばいいのに。
そう思ったのだが、いまだ身体を強張らせている彼女を見ていたら、そんな小さな疑問はどうでもよくなってくる。
僕なんかにお願いするのに、こんなにも緊張している。そんなに小さくなって謙る必要は無いだろう。余程人見知りの激しい女性なんだな。
……まぁ、予定も無いことだし。暇だから、いいか。
「いいですよ」
そんな軽い気持ちで、僕は了解の返事を返した。
目の前の女生徒が勢い良く顔を上げる。嬉しそうに笑った。
そんなに喜ぶ事でもないのに。なんて考えていたら、後ろから強く腕を引かれる。
「何言ってんだよ」
自分の席から立ち上がり、僕の手首を強く握ったまま女生徒との間に割り込んでくる。
そして、僕を見上げながら言った。
「お前、今日は俺と川に釣りに行く約束してただろ」
は? と、思わず聞き返しそうになった。
僕にはそんな約束、全く覚えが無い。だいたい彼とどこかに行く予定なんてあろうものなら、一秒でも忘れる訳が無い。
とすると、彼が言っているのは一体何の事なんだろう。嘘をついている? 何故?
「そういう訳で、こいつ今日空いてないから。その勉強会とやらは無理だ。悪いな」
あっさりとそう言い切られ、名前も分からないクラスメイトは特に反論をするのでも無く、肩を落として去っていってしまう。
「あ」
呼び止めるべきかと一瞬思ってしまった。でも、何故あんな事を言い出したのか、理由が分からなければ彼女にまた声をかけるわけにもいかない。
その理由を聞こうとしたのだが、言いたいことを言って満足したのか、彼は自分の席に戻ってしまっている。そして少し機嫌が悪そうに僕を見上げる。何か文句あるのか、とでも言いたそうに。
「い、いえ……」
何も聞かれていないのに、否定の言葉を口にしながら僕も席に座る。そんな風に眉間に皴を寄せて見つめられると、何も聞けなくなってしまうじゃないか。

どうして突然あんな嘘をついたんだろう。僕とあの子が放課後一緒に過ごすのが嫌だったから? 彼も誘ったほうが、良かったのだろうか。でも、自分も誘って欲しいとか、そんな様子では無かった気がする。

……もしかして、やきもち? 

思いがけない単語が頭に浮かび、どきんと胸が高鳴る。
「だから何なんだよ!」
ばしりと机を叩かれて、驚いて身体が跳ねてしまった。
「な、何も言ってませんよっ」
そっぽを向いてしまった横顔を見つめながら、先ほどの単語を頭の中で繰り返す。
それと同時に、いやいや、そんなはずが無い。と何度も否定しながら。





あきゅろす。
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