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春の光





 とろり、とあの人の大きくて暖かい手のひらが、信じられないほど甘ったるくその顎を撫でるものだから、またあんまりそれが気持ちよかったのだろう、顎の持ち主である巨大な竜が目を細めたものだから、何だかおかしくて笑ってしまった。

「気持ち、いいんか?」

 含み笑いで聞くあの人は、鱗を撫で喉の下を撫で、どろどろにとけそうなほど甘い挙措で彼から手を放す。
 惜しむようにぐるると喉を鳴らした竜の、立派な角をごつごつした指がまた撫でた。

「おめえももう父ちゃんなんだからな。甘えてばっかじゃ駄目だぞ」

 からかう口調、ふわりと風が彼の足元をゆらし草花をそよがせ、音も無く足が地を離れる。やわらかな風の流れの中心で、あの人は宙にその身体を任せる。
 竜が首を伸ばした。その鼻先に自分の額を押し付けて、逞しい腕で励ますように撫でる。ぐう、と名残惜しそうな鳴き声を、あの人は笑った。

「まったく、おめえ相変わらず悟飯にそっくりだなぁ」
「誰ですって?」
「おわっ!?」

 本気で驚いたらしく、裏返った声で彼は振り返った。

「悟飯じゃねえか!ぜんっぜん気がつかなかった」

 笑う僕とおかしそうに喉を鳴らす竜とに、孫悟空はきまりが悪そうになんだよと頬を膨らませた。






「気消すなんてずりぃぞ、悟飯」
「ごめんなさい父さん、おどろかせたくて」

 不満をこぼす父親の背中を眺めながら、僕は漏れる忍び笑いを必死に堪え、誤魔化すように眼鏡をおしあげた。
 笑ってンなよぅ、とすっかり拗ねてしまったらしい。少し歩調が速くなった。


 空を飛べばいいのに、あるいは瞬間移動を使えばいいのにわざわざ徒歩で家路に着くのは、孫家において最強の冠を持つ、母であるチチのいいつけだった。
 パオズ山のいたるところは彼らにとって庭と等しく近いのに、いや近いからこそ、舞空術などに頼らず歩くべきだと。
 悟空と悟飯はあっさりと了承した。悟天だけがああだこうだと文句を並べていたが、なにせ宇宙一強い男の上に立つ女だ。結局、孫家では滅多なことがないかぎりは空を飛んではいけない、というきまりが成り立ってしまった。
 まあ、特に破って叱られるのは父の瞬間移動だったので、何年も続くにつれ、時おり遠出する時以外はほとんどそれは守られた。


 だからこそ、何年かぶりにこうして、父親と草原を見渡しながら帰宅することになったのだ。

「ハイヤードラゴンに子供ができたんですね。しばらく会って無かったからなあ」
「ははっ、あいつ残念がってたぞ。オラもたまに行くんだけどよ、そのたび悟飯はどうしてるってなあ」

 この言い草から察すると、彼はあの竜と会話ができるように思われてくる。実際はどうなのか定かではないが、確かにそういう向きがあるのは否めない。
 自分の師と同じように、父には相手の心を読む能力があるという。そのおかげだろうか。

「たまには行ってやれよ。嫁さんも会いたがってたしな」

 ―――いや、多分そうではない。
 彼にはもともと、そうした力があったとしか思えない。
 自分が幼いときから変わっていない、人間を含めたいきものすべてに愛されるような、そんな気配を持ったひとだったから。
 ずるいなあ。
 悟飯は胸の奥でひとりごちた。生物学を専攻する彼にとって、父の天賦の才は羨ましいことこの上ない。
 悟飯とて、普通の人間よりはずっと野生に親しんできた。だがそれも、12のときまで深い山奥で暮らしていたという、悟空じこみの山歩きの方法ゆえだ。
 かなわない。多分逆立ちしたって、いつまでたっても僕には、あの背中には届かないんだろう。
 そう苦笑して、ふっと顔をあげる。もう暮れ始めた夕暮れの橙が目を刺した。
 こんな風に父親と並ぶようにして歩いた記憶は、そう多くない。うんと小さい頃にはいつもべったりで離れなかったとよく言われたものだが、そこから後は。
 父の影のあふれる家だったが、その本人がいることは少なかった。
 一年と、一年と、七年の空白。そのうち本当に親子としてつながりあえたのは、何年になるだろう。
 だが、今は違う。
 昔、いつかやってくる別れに怯えながら手を繋いだときとは違う。

「…お父さん」
「んー?」

 先を行く父の歩調は、もう決して速くはなかった。だが立ち止まっているとすぐに置いていかれてしまう。
 声をかけた背中の広さを、悟飯は知っていた。

「どうした、悟飯」

 知っていた、つもりだった。
 さわやかな風が運んできた、生ぬるいくらいの温度に、悟飯の次の言葉は奪われていった。あるいは。
 あるいは、歩みを止めないその背に。
 いつもの道着姿ではなく、ラフな格好をした父の背中は、しなやかに軽く曲がっている。スニーカーが土を踏む音、ジーンズのポケットに手を突っ込んで少し前のめりになって歩くからだ。
 なんでもないティーシャツの上からわかる筋肉の隆起は、まさしく野生動物のように無駄がない。それでも、その背は。


 痩せたかな、とぽつりと思った。
 確証はない。ないが―――これは確かに。


 七年ぶりに再会して、人目をはばからず飛びつくようにその硬い胸板に顔を押し付けたときにも同じことを思った。
 そのときはしばらくして理由に気がついた。
 父が縮んだのではなく、自分が大きくなったのだ。
 事実孫悟空と言う男の強さは前より磨きがかかり、死者は歳をとらないというので肉体的にも衰えはなかった。
 七年だ。その年月は悟飯の手のひらの大きさを、父のそれと同じにした。
 …そうして覚えた時間の隙間も、彼が家に戻り、親子四人揃って数え切れないくらい食卓を囲むことですぐに埋まっていった。だから今のこの感情は、あの焦燥とはまったくちがう。

「…いえ、その」

 時の流れは無情なものだ。
 そして等しく公平に優しい。

「うん」

 促すように落とされる言葉は、風のようにあたたかい。
 ゆるむ口元をそっと押さえて、一言一言区切るように、その狭くなった背中に言った。

「お父さん、おじいちゃんになるんですよ」

 ばっと振り向いた顔と、その素っ頓狂な声は、多分悟飯は死ぬまで忘れないだろう。

「…ほえっ?」
「……ぷっ」

 思わず漏れた笑い声に、いまだに口を開けたまま呆然としている父は反応も返せずにいる。
 珍しく立ち直りの遅い彼に、噛んで含めるようにもういちど。

「お父さんに、孫ができたんです」
「ま、マゴって…オラがじいちゃんになるんか!?」

 何故か慌てたようにじたばたと、大きなリアクションをとるものだからまた笑ってしまった。
 ゆっくり頷いて、そうです、と笑いで苦しいなかからどうにか言うと、彼はぽかんとした表情はそのままに、どひゃあ、とひとつ呟いた。

「…そっか…じいちゃんか」
「ええ。おじいちゃんです」

 ははは、と照れくさそうに頭をかく。
 父には血縁と言うものがどうにも薄い。唯一の肉親、といってもやはり血のつながりはないけれど、孫悟飯だけは、じいちゃん、とあまり特別に好意を示す相手を持たない彼が慕ってやまない。
 何事にも執着しない父が同じ名前を自分につけた、というだけでも、その感情は好ましかった。
 やはり彼にとって特別だったのだろう、「じいちゃん」という呼び名になんとなくこそばゆそうに眉尻を下げる表情は、ひたすらに緩かった。
 そっかマゴかあ、と何度も頷く。嬉しそうに笑う、その顔は屈託のかけらもなく、きらきらと光ってさえ見えた。




 春の太陽がゆっくりと沈みゆく。
 時の流れに逆らうことなく、四季のうつろいと訪れる夏の予感をにおわせながら。
 そんな風に、父は笑っていた。





ノヤマ様作

ブウ編後、悟空がいるのが当然になって、悟飯とビーデルが結婚して、悟空がおじいちゃんになるころです。
あたりまえのように孫悟空は歳をとると思うんです。ただ、決して老けるわけじゃない。
外側を見ればそれはまさしく不変でしょうが、内側はたしかに前進している。
太陽の巨人もたまにぎょっとするほど小さく見える、といいなあ…という小説です。
愛ばっかり先行してます…すいません。
これからも孫悟空愛!を貫いて行きたいです!




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