ありふれた言葉
ピ…チチチチ……
朝日が薄いレースのカーテンを通して部屋に射し込み始めた時刻、チチはいつものようにベッドから体を起こした
まだ薄暗い部屋をくるりと見回し、直ぐ隣に感じる温もりに目を移す。そこには昨日までの夢ではなく、確かに存在する愛しい人の姿があり、チチは鼻の奥にツンとこみ上げてくる感覚をグッと堪えて微笑んだ
涙は相応しくない
悟空は帰って来たのだ
これは切ない夢の中の幻ではなく現実なのだから
チチは自分に言い聞かせながらも、目を離すと再び辛かった日々の中に消えてしまうのではないかと思い、気持ちよさそうな寝息を立てる悟空をひたすら見つめていた
長い時間そうしていてもどこにも行かないことにやっと安心し、チチはゆっくりと悟空に手を伸ばした
目を閉じればいつでも鮮明に思い描けた特長のある髪の毛に指をそっと挿しいれてみる。悟空は一瞬だけピクリと反応したが、直ぐにまた規則正しい寝息を立て始めた
「お帰り…悟空さ」
ごくごく小さな声で囁くと、突き上げるような幸福に満たされ、チチは知らず知らずのうちに先刻押し殺したはずの涙を次々と流していた
「ん……。チチ?」
「お、おはよう」
涙の音が聞こえたように突然目を開けた悟空から慌てて顔を背けて、チチは少し上ずった声で朝の挨拶をした
「おめぇもう起きたんか?早ぇなぁ」
明るい悟空の声と柔らかい笑顔……
チチは涙に気づかれなかったことにホッとしつつ、ベッドを滑り出た
「朝悟飯にするだ」
「ああ、頼む。オラ、腹減っちまった」
「もう、悟空さは…今起きたばっかりでねぇだか」
「へへ。死んでっ時にも一応飯は食ってたけどよ。おめぇの飯以上にうめぇもんなんて無かったなぁ。当分はおめぇの飯ならいくらでも食える気がすっぞ」
「しょうがねぇだな。まぁ、たっぷり食べてええだよ」
チチは子供のように満面の笑みを浮かべた悟空に苦笑いを見せたが、それでも嬉しそうに答えた
「チチ」
「なんだべ?」
「――もう、泣いてねぇんか?」
「……っ」
部屋を出ようとしていたチチは、不意打ちの問いかけに誤魔化すこともできず声を詰まらせた
悟空は少し困った笑顔でチチに近づくと、そっと華奢な体を抱きしめた
「なんで泣いてたか聞いてもいいか?」
チチは一瞬躊躇ったものの、悟空の胸に顔を埋めたまま静かに頷いた
「悟空さがいねぇ間……オラ、朝は嫌いだっただ……」
「……?」
既にチチは起きだしていたが、悟空は自身の膝に軽々と抱え上げ、ベッドに腰を下ろした。そのままの体勢で背中越しに腕を回し、悟空はチチの髪に頬をあて、続きを促すように沈黙した
チチは密着した体に頬を染めたが、気を取り直して言葉を続けた
「夢では……いつも傍にいたのに、目が覚めるとオラの隣はいつも冷たかっただから」
「そっか…、すまねぇな。オラの夢に見てくれてたんだな……」
「悟空さの夢を見なかった日を数えた方が早いくれぇだっただよ」
「そっか……」
悟空は背中から回していた腕に力をこめてポツリと呟いた
「もう朝を好きになれっか?」
「んだ。悟空さがいてくれるからな」
「オラ……」
微かに辛そうに呟いた悟空の声を聞き、チチは振向いて優しく微笑んだ
「約束なんてしなくてええだよ」
「何でオラの言おうとしたことが分かったんだ?」
悟空はチチの答えに心底驚いた様子で黒い瞳を大きく開いた
「フフッ…悟空さは、オラだけのものでいるには大きすぎる人だから――。いつかまた…地球を何かから守らなくちゃいけなく――なった……」
悪戯っぽく笑っていたチチだが、突然自分の言葉が胸に突き刺さり、唇を噛み締めた
「チチ……」
悟空は俯いたチチの頬に伝う涙をそっと指で掬い取り、顔を背けているチチの髪をかき上げて、首筋に口付けた
「悟空さ――」
「泣いていいぞ、チチ?おめぇの言うことは多分間違ってねぇ。オラは……おめぇ達のいるこの星を守る為に、またおめぇの前から消えちまうかも……」
「――くっ…ふぁぁっん…馬鹿ぁ、悟空さなんて、嫌いだ!オラ、に…オラはいつだって待って……」
静かに心ごと包みこむような深い悟空の声を聞いて、チチは悟空の胸を拳で叩きながら、子供のように泣き叫んだ
「ああ、ごめんな。怒っていいから。おめぇにならいくらでも怒られてもやるし、恨まれてもやる…チチ、おめぇの気持ちはどんなもんでも大事だから」
悟空はチチの髪を何度も何度も撫でてやり、時折頬を挟んで触れるだけのキスをした
「馬鹿……」
「そうだな」
「嫌いだ、から……」
「ん――」
「でも、悟空さはオラ以外には好かれても嫌われて駄目だ……」
「あたりめぇだ」
チチはまだたっぷり露を含んだ瞳を上げ、ニッコリ笑った
「悟空さ…おかえり」
「ただいま」
交わされた言葉には、そのありふれた響きに反して、何にも勝る深い愛情が溢れていた
vegetable・bacon様作
『悟空祭』へ参加させていただき、ありがとうございます☆悟チチとカカベジという王道で作品作ってみました。栗東様の素敵な企画への感謝と我らが悟空への愛をこめて……
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