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じーっと、手にした袋の中身を凝視する。
よし、やるぞ。今日こそはっ…!
そう固い決意を胸に、玄関のドアノブに手をかけて、勢い良く開いた。
「たっ…ただいま!」
……しーん、と音でもない効果音が、頭上に現れそうだ。
必死に搾り出した僕の空元気は、何事も無かったように空中へと消えていった。
別に一人暮らしの寂しさに耐えかねて、誰もいない部屋で声を張り上げた訳では無い、と先に断っておく。そこまでおかしくはなっていない。
丁度正面に見えるリビングに、ソファに座っている同居人…と言うか、飼っている猫なのだが、の姿が見えた。ちらりと僕のほうを一瞥してからすぐに視線を元に戻す。テレビでも見ているんだろう。
おかえりなさい、の一言ぐらいあってもいいじゃないですか。そう思っても、口に出して発言する勇気は無い。
「……」
仕方が無いので、無言で靴を脱いで玄関から上がり、リビングへと移動する。傍を通り過ぎても視線すら向けない。もはや空気扱い。僕空気。
買ってきた物を、袋ごとテーブルの上に置く。がさりと音が鳴ってしまった事に自分で驚いてしまった。そして反射的に思わず謝ってしまいそうだった。なんて気が弱いんだ。
静まり返ったこの部屋の雰囲気とは対照的に、テレビの中では今流行のお笑い芸人がお得意の芸を披露して、周りの人間を笑わせていた。僕にはどこが面白いのか全く分からない。彼も全く笑ってはいない。なのに、真剣にテレビを見つめている。頭の上から生えたねこみみが芸人の掛け声に合わせてぴくぴくと動いている事から、ネタが面白いというよりあの芸のリズムが好きなんだろう。
じっと彼の耳を観察していたら、ぱしんと彼のしっぽがソファの布を叩いた。これは合図なのだ。
「なんですか?」
彼の後姿を見ながら、問いかける。しっぽでソファを叩くのは、僕を呼ぶ号令みたいなもの。ファミレスでベルスターを鳴らして店員を呼ぶのと同じ行為だ。
「メシ」
僕に背を向けたまま、ぼつりとそう呟いた。
はいはい。わかっていますよ。晩御飯ですね。
返事を返さずに、僕は彼のためにスーパーで買ってきた鮭のパックを袋から取り出す。
…毎日、毎日こんな生活だ。
元々一人暮らしが寂しくて猫を買ったのはいいが、これじゃ何か違う。
最初はまだ良かった。子猫の頃はまだ寂しい時は素直に僕に甘えてくれて、出て行くときはいってらっしゃい、帰ってきた時はおかえりなさい。それが普通だった。
だが気が着いてみたらこれ。氷河期の到来。
まるで倦怠期の夫婦と言うか、亭主関白と言うか…むしろ鬼嫁?いや、主従関係か。
―…あなたたちはペットと飼い主ですか。いいえ、ご主人様と召使です。
英語の教科書にでも出てきそうな一文が頭に浮かんで、消えていった。
「はぁー…」
あからさまな溜息をついてみるが、反応は無し。無駄に終わる。
ビニール製のパックを破いて、鮭をコンロにかけた。自分より先に飼い猫のご飯を用意するだなんて、なんて優しい飼い主なんだろう。
この後は、普段ならばご飯を作った後一緒に食べようとして避けられて、そのまま距離をおいたまま一晩を過ごし、会話も無く就寝。そして次の日へ。
そんな生活なのだが、今日は一味違っていたりする。
ポケットの中から可愛らしいパッケージを取り出した。そこにはデフォルメされた猫のイラストと共に『ニャンニャンふりかけ青梅風味』と書かれている。商品名を確認して、思わず口元が笑う。
ちなみにこれは猫専用のふりかけ。粉末状にしたまたたびだ。
猫はこれを舐めると酔っ払って前後不覚に陥るらしい。またたびに酔った情けない姿を僕に晒して、今後の態度を改めるといいんだ。
日頃から空気扱いされている飼い主のささやかな抵抗を思い知れ。
まだ焼き上がる前の鮭に、隠し味としてぱらぱらとふりかけをまぶした。











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