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我が家に小さな家族が増えてから、三度目の冬が訪れた。
手乗りサイズだった一樹もすっかり大きくなった。心配していた足の怪我も骨同士が綺麗にくっついてくれたらしく、後遺症なんて全く見られない。
今じゃもう元気良く家の中を走り回っている。って言っても、だいたい俺の周りにしか居つかないのだが。
俺も好かれたものだ。拾ってやった時まだ赤子だったから、俺のことを親だとでも思っているんだろうか。言葉が通じないため、それを確かめることなんてできないけど。
今も勉強机に向かう俺の足に、一樹が纏わり付いてきている。毛並みが気持ち良い。癒される……はっ、いやいやそんなことを考えている場合じゃない!
急いで机の上に並べられた教科書達に意識を戻す。
大学の五年にまで無事進級はできた。のだが、勝負はこれからだ。そろそろ就職活動を始めないといけないし、それと同時にちゃんと卒業できるように単位の調整も…そしてその後には国家試験も控えている。
日々の講義に付いていくだけでも頭がパンクしてしまいそうなのに、先を考えると気が遠くなりそうだ。
小難しい教科書から視線を外し、天井を仰ぎながら椅子の背もたれに体重をかける。
すると、足元にいた一樹が俺を見上げつつ、にゃーと一声鳴いた。

「心配してくれてんのか?」

座ったまま手を伸ばして、ぐりぐりと小さな頭を撫でてやる。
すると、俺の手に頭を擦り付けるようにして甘えてきた。
こいつは人間の気持ちが読めるのか、俺が落ち込んでいる時や疲れている時など、必ずこうやって俺の気を宥めてくれる。

「一樹は優しいな」

そっと抱き上げて膝の上に乗せると、俺の太腿の上で丸くなった。
ふさふさとした毛の感触を楽しみながら、また天敵である教科書に視線を戻す。が、しかしどうにもやる気が起きない。

「…まぁ、今日はこの辺でいいか」

気分が乗らないのなら、そのまま勉強を進めても効率が悪いだけだろう。だとしたら別のことをして気分を変えてしまえばいい。
そう思ったのだが、視界の隅に入った時計を見ると、もう夜中と言ってもいいような時間だった。
今日はこの辺にして寝てしまうか。
もう風呂にも入ってあるし着替えも済んでいるので、あとは布団に潜り込んで目を閉じるだけだ。

「一樹、おいで」

いつものように布団の中に一樹を入れてやって、一緒に眠る。
何故かこうしないと眠れないらしいのだ。この猫は。
一樹の暖かい体温を感じていると、不思議と安心してくる。柔らかな微睡みに包まれながら、俺は目を閉じた。




しばらくして目が覚めた。尿意を感じる…トイレに行きたい。

「ん?」

布団を上げてみて気づく。一樹がいない。
どこに行ったのかと思って、部屋を見回してみると、窓枠に座り込んでと外を見つめていた。
窓から差し込む月の光を浴びながら、じっと夜空を眺めている。
そうか、今日は満月か。
これまたこの猫だけの不思議な習慣なのだが、一樹は満月の夜になると、いつもあんな風に窓枠に座り、じっと満月を眺めているのだ。美味そうにでも見えるんだろうか。
ああなってしまっては声をかけても無反応だし、俺が抱き上げようとしても嫌がる。なので放っておくに限る。
俺は布団から出て、トイレに向かった。
妹を起こさないように、できるだけ足音を忍ばせて廊下を歩く。
今日は両親共に出張やら近所の人と温泉旅行やらで不在な為、家の中はとても静かだ。普段ならば父親の地を這うような不愉快ないびきが廊下中に響き渡っていて…いや、思い出すのはやめておこう。
トイレで用を足してから、自分の部屋に戻る。
さっさと布団に潜り込んで、朝まで眠っちまおう。
そんなのんきなことを考えながら、自室の扉を開く。

「…!!?」

目に入ってきた光景に、思わず絶句した。
さっき部屋を出たときにはいなかったもんがいる。俺の部屋の真ん中にうずくまってやがる。
薄暗かったためよく見えないのだが、おそらく大人の男だ。
しかも、全裸。

「あっ、あっ、………っ!!」

声が声にならず、俺は部屋の扉を閉める。急いで台所へ行き、フライパンを手にした。
また自室に戻ろうとしたら、途中で妹が寝ぼけながら部屋から出て来て、キョンくんどうしたの〜なんて呑気な声を出している。
俺はろくに説明もしないまま、妹の手を引いて自分の部屋の扉の前に立つ。こんな変質者の潜む家に、年頃の妹を一人で置いておく訳にはいかない。
ぐっと武器であるフライパンを握り締め、すぅっと息を吸い込み覚悟を決める。
よし、やるぞ、行くぞ…!
勢いをつけ思い切って部屋になだれ込み、変質者の頭をフライパンでがつんとぶん殴ってやろうとしたのだがー…………あ、あれ?
部屋の中には、誰もいなかった。
張り詰めていた気持ちが空回りし、どうしたらいいか分からずきょろきょろと部屋を見渡していたら、窓際に座る一樹がにゃあと一声鳴いた。

それから妹を連れて家中探索してみたのだが、どこもきちんと戸締まりしてあるし、何者かがどこかに潜んでいる様子も無い。
妹が呆れたように笑う。

「キョンくん寝ぼけてたんじゃない?」
「たしかに見たはずだったんだがなぁ…」

妹が自室に入っていくのを確認してから、俺も自分の部屋に戻った。
電気を消して布団に入ると、一樹も俺の隣りに潜り込んでくる。

「お前もずっとここにいたなら、見たよな?」

独り言のように一樹に問い掛けてみたが、身体を丸めて完全に睡眠モードに入った一樹からは何も返ってこない。
いつまでもあの男のことを引きずっていてもしょうがないな。俺も寝よう。









朝になり、自然と目が覚めてしまった。
まだ寝足りなくて、瞼がしぱしぱする。
今日の講義は昼からだから、まだ寝ててもよかったんだがどうも寝づらくて、上半身だけ起き上がる。
すると、俺の肩からずるりと何かが落ちた。見てみると人の腕だ。
おや?ここは俺の部屋で、俺のベッドだ。なんで人の腕なんかあるんだ。これじゃあ寝づらくて当たり前じゃないか。
そんな事を考えながら、布団をめくって、腕の先を辿って見る。

眠気なんて一気に吹っ飛んだ。

「っ、みぎゃあああああああっ!!」

かつて無いほどの大声が出た。
まだ朝も早いというのに、ご近所さんのいい迷惑だ。
だがしかし、今は迷惑だのなんだの考えていられない。

なんたって、昨夜現われた変質者が、俺のベッドで寝ているのだから。










あきゅろす。
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