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《ナハチガル・サンプル》


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 時は戦国、群雄割拠の世において――日ノ本の国は至る所で戦火の煙が立ち上り、数多の武将たちが名をあげ富を求めてひしめき合っていた。
 武将たちは己の野望を叶えるべく、力を持った国へと仕官して、己の腕と才覚でもって立身出世を目指す。そうして、有力な武将を抱えた国は力を蓄え、自国の更なる繁栄を目指すのだ。
 そうして成長した『列強』という名を冠した国は、野望を抱いて他国制圧へと乗り出した。領土と国力を拡大し、天下に覇を唱えるべく、王城たる京の都を目指す――そう、天下統一という覇道に向けて歩み出すのだった。

 まず台頭したのは織田信長。地獄の業火のような恐怖でもって日ノ本を震撼させた魔王だったが、まさに天下を掌中に収めようとした時、重臣・明智光秀の謀反により本能寺にて横死。だがその明智光秀もそのたった三日の後に武帝・豊臣秀吉によって討たれた。
 強大な軍事力を保持する豊臣軍により、天下の勢力図は一気に豊臣の赤へと染め上げられていく。
 だが、めまぐるしく変わる天下の覇権に世は乱れ、争いの火種は尽きることなく戦いの日々はまだ終わりそうになかった。

 その中で、東北で隆盛してきたのは陸奥の独眼竜・伊達政宗である。
 二十歳に満たぬ若い国主は自ら軍勢を率いて、ついには奥州を平定、『奥州筆頭』と名乗りを上げる。
 目指すは天下統一――血気盛んな若い衆を率いて、遠く北の地から打って出るのだった。

    ◇    ◇    ◇

「奥州から京へ向かうに、まずは佐竹の脅威は取り除くべきかと」
「いや、背後の憂いを取り除くべく、南部や最上を……」
 奥州は米沢――伊達の本拠地である。
 連日、もしくは戦いの合間。暇を見つけては軍議を重ねる伊達軍において、議題は常に天下に向けての進攻についてだった。
「いや、そのような暇はありませんぞ。うかうかしているうちに豊臣が天下を平らげてしまう。そうなれば……」
「おいおい爺さん、臆病風に吹かれてんじゃねえよ。その時は豊臣を我らが倒せば良いだけの話だろ!」
「馬鹿たれ! その時は我らも無傷ではおられまいで!」
 伊達軍は年老いた重臣も、年端もいかぬ若い衆も一座に集う。慎重で老獪な者、勇敢だが血気にはやる者、それぞれが己の考えを口に出すその場は様々な世代の言葉や口調が飛び交い、まるで喧嘩の様相だ。
「現在、最上は上杉とのにらみ合いに忙しく、ちょうどこちらに目を向けていられない状況。南部の脅威を見過ごすわけにはいきませんが、南方へと打って出るには好機でしょう」
 雑然とするその場をまとめ上げるのは、政宗の右腕・片倉小十郎である。
 そして同時にそれは、この場の主・伊達政宗によって場が締められるということ。
 喧々諤々とした場が、一瞬でシンと静まりかえる。
 一同の目が一点に――最も高座に居る己等の筆頭・伊達政宗へと向けられた。
 一度には数え切れないほどの視線を受けながら、年若い城主は行儀悪く片膝をたて、脇息に引きかけていた体をゆっくりと起こした。
「――ったく、テメエらは戦いたくて仕方ねえってツラばかりだな。誰一人として領内に留まるなんて言い出しやしねえ」
 くつり、と小さく喉を鳴らして皮肉げに唇を歪める政宗のその表情は、まさに不遜。
 天下を狙う野望を抱いた者に似つかわしい、飢えた獣のような、獰猛な光を特徴的な隻眼に宿して油断ならぬ微笑みを端正な唇に浮かべてみせる。
 その背後に、透明な竜が陽炎のように揺らめくのを、その場の者たちは見たように思えた。
「All right! 気に入ったぜお前ら! そうさ、竜は前しか見ねえ! このまま京に目掛けて突っ走るぜ!」
 立ち上がった政宗の口から放たれる、低く響くも勢いのある言葉に、一同はどよめく。
「おお! 筆頭!!」
「ついていきますぜ筆頭!」
「伊達軍はこれから一気に南下する。次の軍議はその進路を決める。テメエら、その頭でどこに向かうかしっかり考えてこいよ!」
 それを締めとして、政宗は一座から去る。肩がけにした羽織の裾が翻る颯爽とした歩き姿を見送った一同は、政宗の若々しくも勇壮なその背に向けて感嘆のため息をもらした。
「格好いいなあ、筆頭……」
 若い者は憧れを。老いた者は頼もしく。
 有り余りそうなほどの憧憬を一身に受ける若き奥州筆頭は、狭い場所から飛び出して悠然と天を翔ける竜さながらの躍動感に溢れていた。


( 中略 )



 政宗は物心ついた頃から――まだ梵天丸と呼ばれた頃から、当たり前のように剣を持たされ、厳しい稽古をつけられた。だが政宗にとってそれは全く嫌なことではなく、むしろとても楽しいことだった。
 日々、体が鍛えられていく実感。昨日よりも今日、先週よりも今週、先月よりも今月――比べれば自分でも判る上達ぶり。
 それが嬉しくて、毎日毎日、剣を振るった。
 時折組まされた打ち合いでは、同い年の子供相手ならば向かうところ敵なしで、一回りも二回りも良い体格をした年長者を打ち負かすのはとても痛快で、もっともっと強くなりたいと一層稽古に励んだものだ。
 疱瘡を病み、右目を失ったが、それでも立ち直ることが出来たのは、この「強くなりたい」という気持ちがあったからだろう。
 ただ、ひたすらに剣の道を極める――それが出来たのならば、政宗の人生は憂いのなく充足したものだっただろう。だが、彼の生まれ――運命は、彼を剣豪ではなく国主へと導いていた。
 そして政宗自身、剣だけではなく学や政にも才があったのだ。
 当然のように、政宗も、周囲も彼を国主にすべく立ち回り、中でも彼の才を一番早くに見抜き、そして誰よりも期待していた父・輝宗は早々に彼へ当主の座を引き渡した。
 ――それが、悲劇の引き金だった。
 対立していた二本松城主の畠山義継が、伊達に恭順の意を表しながら不意をついて、輝宗を拉致――人質としようとする変事が起きる。
 政宗は父を救出しようとしたが、結果として、輝宗は死んだ。
 家督を譲ったとはいえ、それまで伊達の家中をまとめあげ、そして他国への影響力も強かった彼は、若輩の政宗にとっては強力な後ろ盾であり、導師でもあった。何より愛する父だった。
 その喪失は、まだ成長途中の政宗の精神を酷く追い詰めた。
 父を救えなかった己を、政宗は責めた。己にもっと力があれば。父を救う手立てを見つけられていたら。そもそも父を奪われることがなければ――。
 その自責の念は、政宗を奥州統一へと急がせた。敵がいるから攻められるのだ。敵がいるから、大事な存在を奪われる――ならば、その敵を潰してしまえばいい。
 簡単な――いっそ安直といえるほどのその考えは、戦国時代の気風に乗って伊達の家中を煽り立てる。
 元々が若く好戦的な軍だ。
 政宗が先頭に立ち旗を振れば、血気盛んな若武者たちは雄々しい鬨の声を上げて戦場を駆け巡る。
 そうして奥州を平らげた伊達が続いて他国へとその手を伸ばすのは戦国では当然のことであり、力を持つ以上天下を目指すのも、また然り。
 だが、盛り上がる家中において、今度は一人、ぽかりと胸のうちに空いた虚ろに対峙するのだった。
(――オレが成し遂げたかったことは、何だ)
 国内の敵を屠ることで、目的を果たした。叶えてしまった。
 父の仇を取り、脅威も取り除いた。
 戦い始めた時の目標は完遂したのだ。
 しかし走りだした軍の勢いは止まらない。
 国から先の――国外への進攻があまりに当たり前のように、さながら子が大人へと成長していくように至極当然のことのように流れていく。政宗はその先頭に突き上げられてただその波に押し流されていた。
 そんな自分を、政宗は戸惑いながらもどこか人事のようにして見ていた。
 己は、決して厭戦的な性格ではない。剣を振るうことに抵抗があるわけでもない。
 奥州という、寒冷の地。生きていくのに厳しいこの国が栄える為には温暖な地方を手に入れる必要があることも、重々承知している。
 この戦国乱世に武士として産まれた以上、頂点を目指すのだという在り方に反駁するつもりもない。
 だが――戦えば戦うほど。戦いに向かうほどに、政宗の中にある虚ろは広がり、その洞穴に気力の類が飲み込まれて消え去っていくのだ。
(――このまま京に目掛けて突っ走るぜ!)
「…………」
 軍議の席で己の口から放たれた勇ましい科白に、政宗はふと冷笑を浮かべた。
(――愚かしい)
 いかにも己の考えのように言いながら、それはただあの場に合わせたに過ぎない。
 今の己はただの道化だ――望まれた役割を果たすだけの。
 そんな己を頭といただく奥州という国が、憐れでならなかった。
(父上……)
 彼の人であれば、きっとこのように懊悩することもなかっただろう。
 優しい人だった。だが強い人だった。
 政宗にとって父は敬愛する人だった。
 疱瘡に病み、跡継ぎとして疑問視される中でも彼は迷いなく、己を後継と指名し、跡目を譲った――それは、彼の中で目標に対して強い信念があったからだろう。
 だが、彼を失った己は未熟で、父が先に何を見ていたのか判らない。
 それは道標のない道を、流されるままに突き進んでいくかのようで。
(このままでいいのか)
 ――いいわけがない。いいはずがない。
 果てしない数を繰り返した自問自答。ああ、いい加減飽き飽きする。
 国の為に、民の為に、伊達の家の為に、己は戦わねばならない。よく判っているのに、それを思う度に四肢から力が抜け、胸や腹が重苦しいものに圧迫されたかのような気持ちになる。
(父上)
 こんな己に父は跡目を譲ったのではないはずだ。
 彼が期待したのは、誰よりも強く、国を統率していく力のある者だ。
 今はまだ、どうにか取り繕っているが――果たして、それもいつまで続くのか。
 誤魔化しが通用しなくなり、『奥州筆頭』という仮面が剥がれた時に起こるであろう惨事を思うと、政宗は焦燥と恐怖に身を焦がすばかりだった。。

 ――だが、彼はまだ知らない。
 ほどなくして紅の焔――彼の運命と出会うことを。
 部屋を灯す明かりとは比べ物にならぬほどの眩い光輝に目も心も焼きつくす、そんな熱い炎に。
 その未来を知らず、己の将来をも見出すことも出来ぬ今、若き王将は苦悩の沼に沈み込むのだった。


( 中略 )


 それは決して大きな声ではなかった。
 か細く控えめなそれは――歌声。
 よくよく耳を澄まさねば聞こえないほどの歌声が、どこかもの悲しげな旋律に乗せて響いていた。
(『墓場鳥』――か?)
 旋律のみのそれは、まさに小鳥の鳴き声のように夜の闇の中で切なく響く。
 歌詞はないようだった。だが詞がなくとも、その歌は聴く者の胸に郷愁とも哀切ともつかぬ感情を溢れさせて胸を締め付ける。
 思わず胸を押さえながら、声のする方を見れば――戦場の中心で人が一人居た。
 頭から外套のようなものを被っている為に姿形はようとして知れない。だが、空を渡る月の弱い光を受けながら、歌う姿はまるで舞台に立つ役者のようでもあり、神楽を舞う巫女のようでもあった。
 澄んだ高音をもの悲しく響かせながら、その鳥は一人歌い続ける。
 そう、その歌はただ悲しみに彩られていた。
 悲しい、悲しいと、嘆きを旋律に変えて、裂かれるような痛みを声にのせて。
 聞いたこともない旋律と楽調だったが不思議と胸に響くのは、それが魂からの歌声だからだろう。
 締め付けられる胸が、苦しい。
 目の奥が熱を帯びて、気を抜けば潤んでしまいそうだ。
 旋律は短いものを繰り返しているようだった。複雑に思えた音階も、繰り返し聞いているうちに耳に馴染んでいく。
(……惜しいな)
 戦いの終わった戦場で、独り舞台を演じる墓場鳥。孤独な独唱は寂しさを増すばかりで、そこに笛や楽の音を合わせてやりたいと思ったが、興味本位で足を向けただけで楽の一つも持ち合わせていないことが悔やまれた。
(なにか……)
 手を打ち、拍を取るのも芸が無い。
 ふと見回した政宗は、あるものに目を留めた。
(これなら)
 手を伸ばしてそれを千切る。触れて状態を確かめると、軽く頷くと――政宗は、それを唇に宛がった。
 ――ピョゥ、と甲高くもか細い音が、戦場の旋律に加わる。墓場鳥の歌に添って巧みな草笛が響けば、驚いたのだろう、歌が途切れた。
 深く外套を被ったまま、音源を求めて周囲を伺う墓場鳥に、政宗は草笛で旋律の続きを辿る。草笛では複雑な旋律は辿れない。単純で拙い音しか出せないが、それでも、それを歌う墓場鳥であれば判るはずだ――共に、という政宗の誘いが。
 音を辿って政宗を見つけた墓場鳥は、かろうじて見える口許を驚きの形で丸くした。政宗はその形を見ながら、笛を続ける。ピィ、と単調で、しかし素朴な音が旋律を辿っていると、そこに再び澄んだ高音が重なった。
 墓場鳥の歌声。
 最初は笛におそるおそる合わせて――しかし、それはすぐに変化した。
 高らかに――力強く。
 一人で歌っていた時の儚さと寂しさの色は薄れ、代わりに現れたのは――悲しみを越えた先の希望。
 旋律はいつの間にか明るさを感じさせるものになっていた。その変化はとても自然で、政宗の笛も共に合わせて変わっていく。
 死と虚ろに満ちた空間に、命と活力が生まれ、ただ死を悼むばかりだった哀歌は生ける喜びにむけての賛歌となり、物悲しい歌は今や晴れやかに響き渡る。
 たった二人の演奏。だがその間を邪魔するものは何もなく、政宗と墓場鳥は思うままに音を紡いで響きを広げていった。


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……続きは本でお楽しみいただけたら嬉しいです!(>_<)/




あきゅろす。
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