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《サクリファイス・サンプル》

※上月担当の<後編ー幸村の場合>より抜粋

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 始まりを告げる手は、その人の体温と気性を映してかいつも冷ややかだ。
 だが、久しく逢えなかった分の時間を埋めるかのように性急で、その手は己の体温を移してじきに温かくなる。熱くなる。
 それが嬉しかった。
 甲斐の虎を継いで総大将となった己は一武将でしかなかった頃と比較すると奥州を訪れることは格段に難しくなった。許された時間はあまりに短い。元々頻繁な訪問と人目を憚らぬ政宗の振舞のおかげで、互いの関係がどんなものかは周知のこと。今更破廉恥だと恥じらったところでただの時間の無駄だ、と、政宗が導く手に従って昼の日中から閨に篭もった。
 昼といっても直に日が暮れる。薄暗くでもなってしまえば、屋敷の奥の、政宗の自室は静かで暗くて、時間の感覚もおぼろげになって、ただ確実なのはお互いの息づかいと声、辿る手、触れる肌、交わすぬくもりと迸る熱情だけだ。
(――足りない)
 だがそれではまだ足りなくて。足りなくて。触れる唇に、舌を絡めたのは政宗が先でも、吸い付いたのはきっと己の方が先だ。腰を深く抱き込まれるのを良いことに、裾を無様に広げて彼の膝に跨がって、もっと、もっと、と全身で訴える。言葉にはしない。言葉にしたら、その間口づけてもらえないから。
 望みは彼の指で叶えられる。だが、望んだ以上の刺激に、叶えられた歓喜以上に反射的な羞恥がうっかりと顔を出し、彼の体から身を起こしてしまった。拒みたいわけではないのに、彼の肩を押しのけたこの腕の無粋さに彼が気を悪くしないかと、溶けかけた理性に、氷水のようにひやりとした感覚がかけぬける。
 しかし、政宗はその抵抗など事も無げに行為を進めた。指から唇へ。顎先から喉元を過ぎて、胸へと刻まれる朱痕は、きっと着物で隠しきれず人目に触れる場所だろう。
 彼から情を受けているのだという証。
 それを嬉しいなどと思うようになった己の性根は――もうすっかり武田の総大将から彼の虜囚へと転じている。
 刺激を待ちわびた胸の先端に、彼の固い歯が当たる。どくり、と高く鳴った胸の鼓動を抑えるついでに彼の頭を腕で包んだ。
 乳首への刺激は苦手だ。快楽が強すぎる。ただでさえ鋭敏な部分は他ならぬ彼に触れられているという期待を加味して神経が集ってしまうのだろう。
 行為に慣れぬ己の手を、彼は自分の胸元へと直に触れさせる。求めろ、などと傲岸に言い放つ彼は、己がどれほどその許しを待ち望んでいたかなどきっと知らない。気付いてもいない。
 触れられたいと思う以上に触れたいと願っていた。
 叶えられた願いに、手を伸ばして彼の顔に――頬にかかる眼帯の紐に手をくぐらせて、彼の片目を隠すそれを奪い取る。翳る日のおぼろな明かりに彼の傷を晒すのは、己だけの特権だ。
 閉じた瞼の向こうにすでに眼球は失われ、その時の傷なのか疱瘡の痕なのかはどうでもいいことだから聞いていないが、彼の吹き出物もシミもない美しい白皙を歪ませる無惨な傷跡がそこには存在している。
 触れていい、と許されたのは己だけ――ただ一人だけ。右目と称される彼の腹心すら超えられぬ一線。それを踏み越えられるこの一瞬はたまらぬほどの満足感を与えてくれる。
 愛しい、と、思いを込めて、その傷跡へ口づけた。唇に触れる表皮は固く、しなやかさを失っている。だがそれが愛しい。傷が惨酷であるほど彼がそれを見せてくれることが嬉しくなる。
 傷を負って頬へ唇を落とし、代わりに手を頬から首筋へと落とす。固い喉仏にかすめさせながら滑り降りた指はそのまま衣の内側の肩を辿って掌を押し当てた。胸の近い位置で押し当てたそれは鼓動を感じながらそれを追い求めて胸元を伝う。なだらかに隆起した胸の肉の形をなぞり、腹部へと落とす。引き締まった腰に両腕を回してみるが、特に彼からの反応は返らない。
 口惜しい。
 こっちは彼の素肌を触るだけで気持ちが昂ぶるというのに。
 ならば、と右手を引き抜き、邪魔な帯を除けて下腹部へ至らせると――指先は下帯越しに思いがけず彼の張り詰めた劣情が
触れた。
 その固さと熱さに思わず触れた指先を握り込んでしまう。
(なんで)
 男の下腹はそのまま興奮を示しているというのに――伺い見上げた彼の表情は平素と変わらない。
 どうせなら息を荒げて顔を羞恥に染めてくれればいいのに、と見据えると、彼はただ浅く喉を鳴らしただけだった。


------(中略)---------


「幸村くんは全く強情だね。まあ、甲斐なんて恵まれた土地に生まれ育った傲慢さというものかねえ」
 甲斐、との名指しは言葉通りの褒め言葉ではないのは明らかだった。幸村は一瞬ぴくり、と反応したが、それを押えるように、体の横で手を拳に固める。
 最上は、わざとらしく、ふうう、と深く溜息を落とす。
「我輩たちは土地を守る為、そして生きていくのに必死なのだよ。土地の者ではない幸村くんには判らないだろうけれどもね……」
 羽州の狐は、吊り目をちらりと幸村に向けた。
 抵抗の意を隠せぬ若さ、しかし反論も出来ぬ中途半端な成熟ぶりは、言い換えれば未熟としか言えず――そんな若者の心を折るなど、容易いことだ。
「……しかし、これで君も少しは理解できただろう? 結局のところ、政宗くんも選ぶのは土地の女性だ。いくら君と『仲良し』だとしても、それは若さ故の気の迷い、君はただ、戦場で相手をするだけの好敵手でしかなかったわけだよ」
 最上が言葉を連ねるごと、幸村の肩が、拳が、ぴくり、ぴくり、と揺れる。
 項垂れたように視線を最上から外して床へ落とした表情は無表情と言ってもいいくらいに動かないが、それはただ胸の内を覆い隠した仮面に過ぎないのは明らかに見てとれる。
「そんな戦の相手がいつまでも此処にいるのはおかしくないかい、幸村くん? 君の思い上がりは、政宗くんにとって重荷でしかないのはもう判っただろう?」
 さっさとこの場から去れ――露骨な含みに、幸村が揺れる。
 あと一押し――それで、この若虎は『折れる』。
 いかに若くして武将と名を馳せようとも、所詮は十代の、最上から見れば幼い子供だ。特に思春期の、胸に繊細な想いを抱えている若者など、傷つけるのも砕いてしまうのも、あまりに容易い。
(さて)
 この虎の牙をどうへし折ってやるか――瞳に悪辣な光をきらり、とさせたその時、奥から荒々しい足音が複数、押し寄せてきたかと思うと、二人のいる部屋の障子が勢い良く開け放たれる。
「Gentleman! 幸村に構うなと何度言わせやがる!」
 力の加減なく乱暴に開かれた障子は柱にぶち当たって跳ね返る程の勢いで、その騒音に最上は顔をしかめる。
「なんだい、政宗くん、礼儀作法がなっていないよ。紳士たる我輩の甥っ子の君がそんなことでは嘆かわしいものだねえ」


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……続きは本でお楽しみいただけたら嬉しいです!(>_<)/



あきゅろす。
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