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《  薫香みちて・サンプル  》




 奥州と甲斐の戦いは、奥州の勝利に終わった。
 甲斐は新しき大将・真田幸村の采配の元奮戦したが、若き東北の覇者・伊達政宗の前に力及ばず敗北を喫した。
 通常、戦の勝敗は大将首をどちらが挙げるかで決まる。
 しかし、甲斐と奥州のこの戦は大将同士の撃ち合いでは決まらなかった。
 両大将・真田幸村と伊達政宗は旧来からの好敵手である。大将と言っても二人ともまだまだ少年を脱したばかりの血気盛んな若者であり、その肩に一国を担いながらも互いの姿を見れば刃を交えずにはいられぬ。それはもはや宿命めいていて、この戦いにおいても、誰よりも先に激突したのは、まとう色彩から『蒼紅』と称された両雄だった。元々二人とも陣の奥深い本陣にてどっしりと腰を据えているのではなく、先頭に立って軍を導いていく戦い方だ。真っ先にぶつかるのは当然のことではあったが、例え、軍勢の中に混じっていたとしても、二人は互いを見つけ出し、刃を交え合っただろう。それほどに深い間柄だった。
 二人がひとたび刃を交えると、そこには何人も近寄ることは出来ぬ。政宗の操る雷が天を裂き、幸村が操る炎が大地を駆け巡る。あまりに激しい戦いは余波すらも並々ならぬ力を持ち、近寄ることを許さないのだ。
 そんな二人の戦いを止めたのは、ある音色の法螺貝。
 その音が届いた途端に二人は動きを止め、政宗は吐息をもらし、幸村は愕然と目を見開いた。
 法螺貝の音を追うようにして響いてきたのは野太い勝ち鬨。それには「筆頭!」と快哉を叫ぶ声が混じっていた。
 伊達軍の勝利の勝ち鬨――それは、幸村の、武田の本陣が落とされたことを意味している。
 戦いを終わらせるのは、大将の首をとること――だが、本陣を落とすことも一つの勝負の付け方だ。
「……勝負あったようだな」
「……っ……」
 呟いた政宗に、幸村はぎりりと唇を噛みしめ、憤懣やるかたなしと言った風に手にした二槍を地面に突き立てた。
 ざくり、と刃のほとんどが大地に埋まる。
 それは槍使いである幸村の――武田の降伏を意味していた。
 槍の傍らに、幸村はどすりと座り、首を前に倒す。後頭部で結わいた長い後ろ髪が首筋をさらさらとこぼれる様を、政宗は無言で見つめた。
「……さあ、この首を獲られよ」
 首を政宗に差し出したまま、幸村は呟く。その声は冷静で、震えもしていなかった。
「この戦、貴殿の勝ちでござる。敗軍の将は討ち取られるが定め。さあ、早くこの首落とされるがいい」
 幸村は顔を伏せたまま、ゆっくりと目を閉じた。視界に最後に映ったのは赤茶けた砂ばかりの地面だ。この世の最後に見るものとしては味気ないものではあったが、目を閉じれば脳裏には様々なものが浮かぶ。風景が、思い出の品が、そして人が。
(佐助――お館様)
 最も馴染んだ人たちの面影が眼裏に浮かんだ時、じわり、と熱いものがこみ上げてきた。
(ご無事だろうか)
 大将たる己がここに居ながらにして、本陣が落とされたというのならばそれは、第一線をひきながらにしてもなお影響力のある信玄の判断によるものだろう。これ以上戦うことは無意味という、それはきっと苦渋のものにして英断と呼ばれるもののはずだ。己はただ軍を一時期預かっただけのこと――その判断を下した信玄に対し、異を唱えるようなことなどしない。
 ただ未熟な己に軍を預けてくれたその期待に応えることが出来なかったのが申し訳なくてたまらなかった。だが、尽くした全力に後悔は無い。
 政宗は敵だったが、戦いが終わった後その国を冷遇することはないだろう。影響力があるにしろ隠居した信玄を虐げるようなことはないだろうし、民草を思いやれる男だと、幸村は己の好敵手を評価していた。
 だから、不安はない。
 あとは、いさぎよく斬られるだけだ。
 ざり、とすぐ近くで地面を踏む音がする。
 その音に、一度閉じた目を我慢することが出来ずに開けてしまった。
 伏せた視界、赤茶けた大地を踏みしめる力強い足が覗く。
(政宗殿)
 他の誰でもなく、己が生涯の好敵手と目した相手の手にかかって死ねるはきっと幸いだろう。
 ここで死ぬのに後悔は無い――だが心残りはある。
 とうとうつくことがなかった勝負。
(政宗殿……某は、)
 遂げきれなかった決着。
 だが、心のままに撃ち合い、心ごとぶつかることができたのだ、最早満足すべきだろう。
 衣擦れと甲冑の擦れる金属音が頭上で響いた。かちゃり、と鳴ったのは刃を構えた音だろう。
 ――最期だ。
 覚悟は、決まっていた。
 だから幸村はただ無言のままにもう一度目を伏せる。
 閉ざした視界は次は己の血の色に染まるだろうか。
 どうか己の死に様が見苦しいものではないように――それを誰よりも近くで見る政宗の心に、良き思い出として残ることができるように、と祈りながら、その瞬間を待つ。
 ――だが、鋭い痛みが首に落とされるのではなく、襲ってきたのは後頭部への酷い衝撃。
「――ッぐぁ……!」
 不意をつかれたそれに、幸村は思わず呻き、だが己の身に何が起こったのか判別するまもなく意識が闇へと引きずり込まれる。
(政、――)
 名を呼ぶ形で歪んだ唇は、ごふ、と空気の塊だけを吐き出し、何も告げぬままに閉じられて――とさり、とあっけない音をたてて幸村の体が横倒しに地面へと倒れこむ。
「――……」
 政宗は、その傍らに跪いた。
 手にしていたのは、竜の一爪――しかし幸村に向けられたのは刃ではなく、真逆の束頭の方だ。
 それを腰の鞘に収めた政宗は、ゆっくりと手を幸村に伸ばす。
 後頭部への衝撃に意識を手放した幸村の表情は徐々にこわばりが解けていっていて、髪に触れた政宗の手をまるで受け入れているかのように見えた。
(錯覚だ)
 ――わかっている。だが、それでも。
 政宗は無言のままにぐいと幸村の腕を引き上げてその体を浮かせると、腰に腕を回して肩へと担ぎ上げた。くたりとした幸村は抵抗することなく、ただの荷物のように背負われて、手足をぶらりと宙に泳がせる。
 そのまま自軍へと歩き出した政宗を止める者は、その場には誰も居なかった。



(中略)



 政宗の寝床に押し倒されたのだと気付いた幸村は咄嗟に跳ね起きようとした。だがそれより早く政宗の両手が幸村の肩を押さえつける。体重を掛けたその力は強く、関節を圧迫される痛みに幸村は思わず表情をゆがめた。
「くっ……!」
 肩の可動域を巧みに押さえ込まれては腕を動かすこともままならない。持ち上がらない腕でかろうじて政宗の手首を掴みながら、幸村は政宗へときつい目線を向けた。
「何をなさる……!」
「簡単なことさ」
 上位に立つ者の余裕を浮かべて、政宗は今度は幸村の手首を掴み返した。ぎちり、と握り込んだその手首を褥へと押しつけ、政宗は浅く笑んだ。
「――俺に従うっていう、アンタの証を……覚悟をみせてもらう」
 政宗の表情は笑っていた。だが目は違った。
 ぎらつく光を宿した目は幸村を射すくめる。知らず知らずに幸村の喉は上下した。
「覚悟、と……」
 政宗に従うと腹は決めてきた。覚悟だのなんだの、望まれるのならばいくらだって見せてみせよう。
 だが、その手法はわからなかった。覚悟といった類いは心が定めるものだ。胸や腹を掻っ捌いたところで目に見えるものではない。かといって、政宗が誓詞や誓言を望んでいるとも思えなかった。それはすでに否定されているのだから。
「――……」
 笑みの形に歪められた頬と唇が近づく。反射的に顔を背けた幸村の反応に政宗は笑みを深めた――相変わらず目は笑わぬままに。
 笑むどころか、視線の獰猛さが増す。それは獲物に狙いを定めた猛禽の目だったが、それを背けた幸村が目にすることは無かった。もし見ていたのならば政宗の狙いに気づけたかもしれない。政宗が望む証がどのような類いのものなのかも。
 だが、幸村は見ず――逃れる機会もなく。
「ッ!!」
 カリ、と首筋に立てられる鋭い歯。瞬間、体を突き抜けた戦慄に幸村は目を瞠った。
「何を……!」
 歯は肌を破るほどのものではなく、しかし鋭い刺激を残して場所を変える。筋張った首を噛み、そして舐め上げて、至った耳朶を今度は唇で甘く食む。
「……っ……」
 唇で耳朶を挟みながら、緩く吸う。小さな濡れた音は鼓膜を直に震わせて、幸村の頭を響かせた。
「政宗殿……!」
 ぞくぞく、とした震えが襲ってくる。それは幸村にとっても覚えのある、しかしあまり口に出せる類いの感覚ではなかった。そして、それをもたらしているのが政宗なのだという事実に幸村は慌て、被さる政宗を除けようと四肢に力を込める。
 だが、似たような体格で似たような膂力を持つ二人の優劣を決めるのは体勢だった。
 上から体重を掛けて押さえ込む政宗に敵うはずもなく、ただ僅かに触れる場所を変えたに過ぎなかった。
「……わかんねえか?」
 ちゅくり、と音をたてて耳朶を吸った政宗はようやく身を起こした。思わず首を竦めた幸村は、そろそろと視線を政宗に向けて――息を飲む。
 真上から幸村を見下ろす、その猛禽の目が宿すのは――情欲の翳り。
「いくらアンタがガキでも、知ってんだろう? ――衆道って言葉の意味ぐらいは」
「……!」
 もたらされた言葉に、幸村は声を失った。
「……某、と、……政宗殿……が……?」
 幸村とて武士だ。その意味ぐらいは知っている。身分の上下のある武士が、己の身でもって主従の証を立てるそれが単なる男色ではないということも。
 だが、行為自体を知っているわけではない。男色どころか男女の色事にさえ幸村は疎く、また己がその対象とされることに困惑した。
「言葉なんてもんよりももっと確かなものがある。腹芸一つできねえアンタのこの体はきっと嘘なんかつけねえからな。この体で証を立ててもらうぜ」
 言って嗤った政宗に、幸村は、はくりと小さく息を飲んだ。
 逃げなければ、と咄嗟に思った。だが体は竦んで動かなかった。蛇に睨まれた蛙というのはこういう心地だろうか。このままでは己を身が危ういというのに身動きひとつ取れず、ただ無様に体を横たえているだけだ。
(いや)
 逃げてはいけないのだ。逃げることは、政宗に背くということだ。それは甲斐を、武田を、そして信玄の命を危険にさらすということ。
 覚悟は決めてきたはずだ――武田から政宗に従うと。主は政宗。主が望むのならば、
(俺は)
 己が為すべきことは。
「……――」
 幸村はゆっくりと息を吐いた。そして四肢から力を抜くように努める。しかしそれは思うようにいかず、幸村は深呼吸を繰り返した。
 その様を政宗はじっと見つめる。押さえつけた体から己の手にかかる抵抗力が徐々に弱まっていくのを感じて、ゆっくり押さえ込む手を除けた。
 縛めを解かれても、幸村は最早逃げる様子ま微塵も見せなかった。ただ、細く長い呼吸を最後に一つして、開いた目を政宗に向ける。
 大きな瞳には迷いはない。その表情には緊張感が張り詰めていて、幸村の覚悟の強さが伺えた。
「……いい顔だ」
 ふと浮かべた政宗の笑みは好戦的で、甘さは欠片として無く、これが色事めいた行為ではなく、ただ主従関係を紡ぎ、固める為の行為なのだと幸村に示す。
(そうだ)
 これは契り――契約だ。
 己は伊達のものとなり、政宗は武田を守る。その為に交わされる約束の証。
 命や魂とも取れる、武田への忠義をすでに差し出したのだ。体を差し出すことに何の躊躇いが要るだろうか。
 互いの視線を交わし合い、そこに宿る覚悟を言葉もなくやりとりをする。偽りない眼差しに託された覚悟の類いを受け止めた政宗は、表情から笑みを消すと、幸村へと手を伸ばした。


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……続きは本でお楽しみいただけたら嬉しいです!(>_<)/



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