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《紅鬼花伝・サンプル》


 ほんのわずかな気配にも目覚めてしまうのは日頃の警戒心と武人としての本能故のことだろう。
 視界は真っ暗だ。今日は月も雲の向こうに隠れているらしい。燭台の灯はとうに消えている。まったくの無明の闇だ。
 ――そんな中で肌をざわつかせるのは、足下に留まる気配。
「…………」
 その気配は全くの無言で身動き一つしない。まるで静物のようにじっとしている。しかしほんのかすかな息遣いだけは感じられるのだから、これは置物などではない。
(……やっぱり動けねえか……)
 不審を感じながらもこの身体はぴくりとも動かすことができなかった。指先を動かしてみるかと意識を向けるが、頭の中と体を繋ぐ糸はぶつりと断ち切られているようで、目線にしても欠損した右はともかく自由なはずの左の眼球はただ天井の一点を見つめるばかりで、足下のその気配を見ることができない。
 被っていたはずの掻い巻きはいつのまにか取り払われていた。 そして、『なにか』が爪先からゆっくりとのしかかってくる。
「…………」
 ――触れてくるそれは人の手の形をしていた。
 そう、これは『人』だ。
 それは明確な意思を持って、寝間着の帯を解き、するすると身体を這って腰へと下り、そこにある下帯をさらに解く。
 露わにされた下肢に、躊躇いがちな指が絡んだ。しかしその手はゆっくりと快楽を促すように扱き始める。
 男の身体は馬鹿正直だ。撫でられれば反応する。気持ちよければ勃ち上がる。
 芯を持ち、大きさを増したそれに、『なにか』は顔を伏せた。先端を口に含み、肉茎を辿る舌はやけにざらりとしているように感じる。
 やがて上下に動き始めた頭に合わせるように揺れる髪は下腹に流れ落ちて肌をくすぐった。
 ――その長い髪の持ち主を、己はよく知っていた。

 それは、毎夜のように見る夢。
 感触やら性感がやたらとRealな夢。
 登場人物はいつも同じ。
 夢で人を見るのは、相手が自分を想っているからだと昔の貴族たちは考えたらしい。
(……馬鹿げてる)
 その『相手』を、この間の戦で斬ったところだ。
 致命傷を与えるには至らなかったが、相当の深手を負ったはずだ。おそらく未だ床に伏したままだろう。それだけの傷を与えた己は彼の敵で、彼も己を敵としている。そんな関係で、夜ごと寝所に忍ばれるわけがないし、己の寝所はそんな容易く侵入できるものでもない。
 そして他者にのし掛かられても動けない己の身体。
(ありえねえ)
 だから、これはただの夢だ。
(そうだろう?)
 確かめるように、念を押すように、己の心の内の紅い影へと呼びかける。
(――――真田幸村)

    ◇    ◇    ◇

 目が覚めると、当たり前だが『なにか』の気配はなかった。
 夢だから当然だと理解しながらもスッキリとしない。
 身体に残る倦怠感がその理由だろう。
 これも、ここ最近いつものことだ。
(――真田幸村)
 甲斐の虎に飼われた紅蓮の鬼。
 先の、国境付近での戦でいつものように討ち合い、ついに幸村を斬った。
 前日の降雨で荒れた地面に足を取られた幸村は、己の爪を避けきれず袈裟懸けに斬られて深手を負い、崩れ落ちたところを忍びに救われ逃げ去った。それから幾日も経つが、幸村の消息は不明のままだ。奥州の忍びに探らせてはいるが、甲斐の領内でもあの騒がしい気配は全く感じられないという。
 だからといって、あれが幸村の幽霊だとは思えない。
(あいつの息の根を止めるのはこの俺だ)
 この手に手応えは残っている。だが、まだ首を落としていない。この手の中で、止まる鼓動を、消えていく呼吸を感じていない。
 だから、あれは単なる夢だ。
「Shit……」
(溜まってんのかよ)
 敷布の上にあぐらをかき、苛立ちながら頭をがりがりと掻き毟る。
 毎晩だ。毎晩毎晩、男に襲われる夢を見るというのは気分の良いものではない。



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……続きは本でお楽しみいただけたら嬉しいです!(>_<)/



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