「遊星、ちょっとおいで」

遊星はその日ジャックとクロウ、アキと一緒にマーサハウスで子供達と遊んでいる時だった。
麗らかな午後の陽射しの照る部屋の一角で賑やかな声が広がる中、そっと遊星が部屋を出ていったことに気づいたアキがその背中を追おうとするとジャックが子供相手に喧嘩をしかけたのでクロウと共に仲裁に入りそれはかなわなかった。
一つ部屋を出てマーサの後に続いた遊星は声の堪えないドアを後ろにある物を手渡される。
随分と年期の入ったそれはインクが僅かに滲みシワを伸ばした後がいくつも目立っている。
見に覚えのないそれに遊星は怖ず怖ずと小首をかしげ受け取ると釘を刺すようにマーサは一人の時に見た方がいいと言い放つ。
そして続けて自分より先に見てしまったことを謝罪すると益々謎が深まる遊星に笑顔で背中を叩くと香ばしい臭いのする龍亞と龍可の居る台所へ姿を消した。
マーサの意図が掴めないまま遊星は窓から差し入る光に誘われて外へ出た。雲が少なくてバケツに張った水に光が散りばめられている。
風に誘われるままに歩き出した遊星はしばらくしてちょうどこもれ日の当たる大木を見つけたのでその下に腰を下ろすとマーサに渡されたソレに手をかけた。






「手紙をかきましょう」

麗らかな午後の陽射しの照る部屋の一角で小さな寝息を抱きながら彼女はそう口にした。
本の少し前まで不機嫌に睡眠を拒んでいたのが嘘のように夢心地を堪能する幼い子の瞳の涙を拭うと自然と微笑む。
彼はその意図を確かめるべく小首をかしげて問い掛けると彼女は自身のタイムカプセルの話をはにかみながら思い出しては語った。
眠っていた過去の自分から未来の自分に向けたメッセージは稚拙だったけれどとても大切な贈り物だった。
息子もいつか成長し苦難や困難に迷わされる時が必ずくる。そんな時に私達が支えてあげたい。傍で抱きしめて叱って泣いて笑って、こんなにも愛してることを伝えたいの。この想いはずっと変わらないから、三人で、私達二人からこの子に向けた手紙を読みたいの。
だってそうでもしなければきっと貴方は素直に伝えられないでしょうから。
限られた時の中で芽生えた命は沢山の幸せを携えて育ち、そっと撫でた子の温もりはいつだって心を満たしてくれると彼は彼女と共に微笑んだ。
未来に夢と希望を托すそれを機械を介してではなく一つ一つの言葉に込めて送ろう。
大切な私達の宝物へ。






「遊星……」

賑やかから一辺して騒がしさに変貌した室内はいつの間にかクロウとジャックの派閥に別れ対決遊びになった。
アキはいつまでたっても戻らない遊星の姿を気にかけマーサの居る台所へいき尋ねると色々な質問を去れた後散歩に出かけたことを教えてくれた。
満悦の笑みで見送るマーサに背中を押されアキは晴れた外へ踏み出す。風は木々を揺らし深緑の香りがする中ゆっくりと辺りを確認しながら歩を進めてゆく。
マーサハウスから少し離れたころだろうか。対決に決着をつけたのかここ一番の大人二人の声がここまで聞こえてくる。
相変わらずの日常。苦笑を堪えながら人の影を探るように木々の間を超えるとようやく見慣れた背中を見つけた。
大木の下に腰掛けて俯くその姿勢は何かに意識が捕われており背なからも伝わる。さほど距離も離れていないのに過敏な遊星が気づかない。
ハウスから離れた場所を選ぶこと自体が今の遊星にとっての選択ならば声をかけるべきではないのかもしれない。それでも遊星を一人きりにするには心が進まなかった。
アキは躊躇い意を決して名前を読んだ、ゆうせいと小さくその存在を確かめるべく。
ゆっくりと振り返る遊星には戸惑いを胎んだ表情でアキは反射的に謝罪の言葉しか出てこなかった。
だが遊星はすぐに我に返ったのかしどろもどろになりながらアキのせいではないと懸命につなぎ止めてこぼす。普段冷静を保つ遊星にしては珍しい口ぶりであった。
幼い瞳で口ごもるその姿にアキは柔らかく微笑んで隣に座っていいかと尋ねた。
遊星はどこか力無き笑みながら二つ返事で招いたことからアキは先程遊星が見つめていたものがようやく理解出来た。
古い色目の紙は随分と昔を思わせるなりをしていて二枚とも皺を伸ばした跡がある。そこにびっしりと埋まる文字――“手紙”だ。






「―――」

彼は静寂な空間で妻と息子の名を一人ぽつりとこぼした。
反響するはずの空間はただ音を食い真っ白な光が徐々に仄暗く闇に染まりかかる。
意識が飛ぶまでの刹那は短いのに脳裏を過ぎる刹那は驚く程長い。
強く鮮明に記憶が蘇るのだ。この手に抱いた数々の幸福が残像として暗闇を再び淡く照らし出す。
彼女と出会うまで、出会ってからこれまで、遊星が彼女の胎内に宿った時から今日まで。
言葉を交わし合う時間も共に居てやることも叱ってやることも出来なかった。これからは温かな想いの記憶だけが遊星を守るすべとなる。
だが彼は悔やむことを止めた。馳せるのだ、遠くない未来に風が吹くことを。その風がもたらす可能性を待ち焦がれまばゆい光の中に次第に閉ざされる思い出。
彼女と二人、最後に託した言葉達がいつか未来に届くことを願って彼は瞳を閉じた。
彼を呼ぶ声が声が聞こえる。そっと寄り添う温もりは紛れもなく彼を信じ世界を愛した彼女だった。






「わからないんだ」

遊星は年期の入った手紙を見つめながら途切れ途切れ経緯を話すと静かにそれだけを最後に呟いた。
両親が残した今の彼への手紙。空白の時の中で遊星は家族を、否・両親を知らなかった。
物心つく頃には両親の死を理解しなければならないこと、そして共に笑う仲間達の世界を変動させた元凶が自分の父親であることを痛感しなければならない定めの中で、彼は仮初めの夢を見たことを思い出す。
もしも、あの惨劇がなければ両親は隣にいてくれて例えば愚かな思想に弱音吐き駆り出された自分がいたら叱咤してくれたのかと。
だがもはやそれを確かめるすべがなかった。父親はおろか母親の顔すらしらない。だからこの手紙が二人からの言葉だと断定出来る確証は何一つない。
そよそよと葉のかすめる音が二人の耳に囁くことで沈黙がさらわれてゆく。
アキは頭の中に巡るいくつかの疑問を言葉にすることをただ堪え、飲み込んだ。
遊星のその瞳からこぼれ落ちた紛れもない透明の涙は、偽罪の証・マーカーを洗い流すように頬を伝う。
緩めた瞳の優しさはいつもの遊星と何一つ変わらない。戸惑いと或いは少しの悲しさと含んだ紺碧の揺らめきが映し出す。
遊星にとってこの手紙を否定することは今の自分を否定することと同じだと思った。
何の確証もない、それなのに一字一句込められた遊星への想いが語りかけてくる。癖のある二つの文体がつむぎだす心の追憶。
遊星にくすぶる想いがじんわりと溶けた。
自分の存在意義が“ここ”にもあった。愛し、必要とし、認めてくれる証がこの手の中にある。
弱く、微笑んで遊星は手紙を丁寧に畳み封筒に戻すと空を見上げる。
青くどこまでも続く世界がそこにはあった。


――夢の追憶は終わり
  風の進化は始まる



「帰りましょう遊星」
「アキ、」
「あなたの、帰るべき居場所へ」


『遊星。私達は、いつでもお前の幸せを願っているよ』


「ありがとう、アキ」





*

最終対決の前。
パパの平手打ちのシーンが本当に切なく素敵で浮かんだ話。
遊星には沢山叱ってくれる、自分を想ってくれる仲間がいるけれど親子の絆もまた彼にとっては憧れだったんだと想います。
そして仲間との絆がまた新たな進化の道を照らすのです。


23/3/9





あきゅろす。
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