遊星は体温が苦手だった。
そう、雨で冷たくおちた肌にはほおずりをしたくなるほどたまらなく好きなのにセックスをしたあとの熱は存外好まない。
だが体を唸るあの快感を何よりも忘れたくなく欲するのは無機質な瞳の奥だった。それはひどく純粋な欲望が彼の瞳の光に隠れているだけあって、誰もが三日月に眼を歪ませる刹那を勘違いしていた。
ひどく曖昧だった。
遊星はひとえにセックスに溺れただけじゃない。
単に鬼柳という存在から生み出された何もかもを見つめ感じ、陶酔しきっていた。
遊星にとって彼は居なくてはならない絶対的な存在として、また彼を道標の一つとして生きていく糧だった。
それがいつしか経緯は不明に、遊星の無知なる純粋さが色をおびて本人の知らぬ間に反れだした。
これは斬新で新鮮で突飛、新たな世界を切り開き導いた鬼柳の良きあるべきことが裏目に出た。
鬼柳を崇拝し愛でる内に彼の死体ほど素晴らしい体はないという持論結論にたどり着いたのだ。
彼の死に際をいつも描いては、華麗なる最後を想像すらできないと落胆し新たな彼を捜し求めた。
呼吸が止まった時、はたして鬼柳の死体はどのような感動を震わせてくれるのだろう。
美しく、その白い肌が一層青っ白くなればきっと絶望し発狂の断末魔を叫びつづけた末に自分だけの知る彼に笑みを浮かべて悲観に伏せるかもしれない。
しかし後には見たい・と欲望が、見たくない・と焦燥が遊星を悩ませた。
そうだ。それならば。
鬼柳の死体をずっと傍に置こう。
彼の二度開かぬ凛とした眼差しを忘れてしまわぬよう、
彼の二度聞けぬ思考へそそぐ声を忘れてしまわぬよう、
彼の二度動かぬ柔らかなる指先を忘れてしまわぬよう、
彼の二度感じぬ密やかな息づかいさえ忘れてしまわぬよう。
彼の全てを抱いて眠ろう。
それがいずれ鬼柳が居なくなった遊星を支え保てるわずかな希望だった。

一度口にしたことがある。
あまりにも鬼柳が詰め寄ったせいで遊星は言葉にすることを頑なに拒み続けた思いをあっさりと剥奪されてしまったのだ。
上記の理由を彼は熱のない瞳で淡々と語った。
それからだ。鬼柳が熱のうねる体でセックスを強要するようになったのは。
ぞわぞわと熱のこもる体温に身の毛がよだつと鬼柳の荒んだ行動はますます拍車がかかる一方でより痛みを混じえた。
傷を生み痣を重ねかさぶたを剥ぐ。
遊星が鬼柳とのセックスに溺れたのが嘘のようになった。
段々とその行為に嫌悪するようになり、鬼柳が離れて眠ると安心して自分の世界に居る彼に手をつける。
彼の上下する体を見て一人で高揚を得てやがて終えると汗の滴る体で冷ややかに寝息を立てる鬼柳の体にまとわりついて寝ることが遊星の幸福だった。
だが鬼柳は知っていた。知っていたがただだんまりと遊星の行動を耳で肌で感じとり、時には薄ぼんやり開いた瞳から覗くことをして傍観に徹していた。
遊星が眠ると今度は逆に鬼柳が半月のように唇を開け爪をたてた。
遊星は必死に唾を飲み込み歯を食いしばって前後する苦痛を逃れようときつく闇に溶け込んだ。
時に血液が出る挿入には肩の震えを殺すことを懸命にした。それなのに硬化する陰茎からの放出に涙が出そうになった。
彼らの奇妙な関係が始まった。
遊星は始め不服だったが満足ではあった。
鬼柳の気持ちなんて理解したつもりで、彼もまたこのままでいいなどと思いあがっていた。
彼が、鬼柳が“満足”という理念を追求し続けることを遠い意識の中でしか捕らえてなかったのだから。
仕方ないことだ、遊星はまだ幼すぎた。憧れと理解が混濁した遊星に相違を測れない。放っておいた鬼柳もまた同様に幼かった。
遊星を蝕む心の傷みは鬼柳にとって快楽に歪む荒いキスの果てに自分の唇が切れたことよりもどうでもよかったのだから。


固形物が喉を通らなくなって七日がすぎた。
流動食でさえ口に入れたあかつきには胃液と混じり外へ吐き出される。
嘔吐を繰り返した遊星の微かな食料は辛うじて飲み込めた僅かなそれと水だった。
なるべく外へ出て人に寄り付かなくなった。
哀れむ眼差しを無意識に取り繕う笑みですり抜けて孤独を求めた。
手の皮が擦り切れ血がにじむほど叩きつけた鉄は一カ所だけ塗装のはげが剥き出しになっていた。
喉を痛め口で呼吸するたびにひゅうひゅうと鳴る音は彼にとっては木枯らしのなにかかと思わせるごとく小さく響いた。
定まらない行き先にふらりと歩きさ迷い続けた。
何をしても、何もしなくとも彼はそこにいた。
幻聴・幻覚、そういいくるめるにはとても浅はかでどれも真実の彼には程遠くまた哀しいほどに似ていた。
あれほど思い描いた死体をみることなくあっさりと鬼柳の体は処理された。彼の残されただろう灰や骨ですら見ることも許されない。
何も残らなかった。鬼柳の愛したカード達も呆気なく捨てられた。
が、それが却って遊星自らつけた身体の傷に贖罪への加速をかける。
雨に打たれ眠れぬ夜から何度と呼ばれた蔑む刃、呟き続けた彼の名は、

振り返れば彼が居る。
懐かしいといいたくない。罵倒を繰り返しながら首に手をかける彼がいる。
黄金が琥珀になるほど開いた瞳が鈍く遊星に残る傷を開いた。
彼は呼ぶ。遊星の名を、何度も何度も何度も。
それもいつか風化させる月日が無情に存在することと皮肉を謡った。



そして彼は現れた。
彼を忘れたくなくとも、無残に忘れようとした愚かな自分の前に恐怖が垣間見えた。
数年を費やして諦め言い聞かせた。ようやく思い込んだ矢先に死を呆気なく取り除いた。
漆黒のとばりに身を包み、凍てついた眼差しはかつて遊星を支え見つめた温もりを亡くし地の唸る声を吐き捨てた。
遊星の体に穴が空いた場所はかつて鬼柳が傷を負わせた場所だった。
激痛は意識が朦朧し流れ出る。


「遊星!!まだ動いてはだめだ傷口は塞がっちゃいないよ!?」
「そうだ!君はまだ安静にしなくては!!」
「…いかない、と…っ」
「開いたらどうするんだい!」
「待って…いるんだ……」
「!?」
「もう……一人には、させ……ッア!!」
「出血がまた!?鎮静剤を早く!!」
「しっかりおし遊星!遊星!!」

ただ無力な自分を呪う。
無意識に潜む、過去の過ちを浄化したいと願うさもしさを拭いきれなかった。
彼の存在が遊星を迷い込ませる。
また彼の存在が遊星を救う。
届かなかった言葉を、言わなくてはならない。
光と闇の狭間で孤独にたゆたう彼を見つけだすまで。
もがき苦しみながらでも追いつづけるから。






*

別タイトル『遊星メモリアル』
幸福志願者の続きもの的な。

24/2/2



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