愛してるあいしてるあいしてる。

一体どこでそんな不埒な言葉を覚えたのだろうか。
温度のない無機質な脳内は覗くまでもなく淡白としていたはずだった。
“買った”時の彼はあいしてるどころか言葉もろくに喋れなく、怯えた瞳と警戒に身を僅かに震わせていただけだったというのに。
だからそんな言葉をすんなり吐くだなんて奇妙以外なにものでもない。
ましてやそれが俗にいう溶けるような囁きでもなければ甘い微笑みもない、つまらない真顔でただあいしてるとしぼりだす。
まるで“あいしてる”が“パンが食べたい”というくらい軽薄な言葉にすら思えた。

ふらりと立ち寄った見世物小屋で人ざかりの少ない檻の中彼は横たわっていた。
一通り終えた直後のその姿は床にぶちまいた精液とも涎とも血液とも涙とも区別がつかぬほど混ざり汚れ、僅かに残る揺らめく小瓶からは甘く微香が漂い、また一帯は異臭が放たれていた。
転がる玩具を引き抜かれた跡がいつくもある。
痙攣に身をよじらせ静かに吐息を漏らすそれは客にとっては飽き飽きとする光景で、また檻の中の犬にとっては地獄から覗かせた爪の垢ほど些細な時間だろう。
ひゅうひゅうと濡れた息は犬の存在をどこはかとなく感じさせ、その場に身を縮めた。
淫らを引けば小綺麗な容姿は傷物がウリなのか浅黒い肌にはいくつもの傷を飾られている。
瞬きをする時間さえのろかった。
そして空虚をさらすくせにその瞳はひどく捨てられた飼い犬の目をしていた。


「あい、し、て」

今、まさにあの時と同じ目をして愛を知らない私に傲りと愚かを思わせる。
今までの犬で初回からこれ程不愉快を感じたことはない。
あいしてるというそれだけにうざったくて仕方なく吐き気がし眩暈がした。
それでもしつこく馬鹿の一つ覚えのようにかすれ繰り返すことはすなわち彼を買ったことを今さら後悔させ、頭がぶっ飛んでいるのではないかと嫌気がさした。
一体どうしたいのだろう。
あいしてるあいしてる。だから何?
あいしてる。あいしてる、から。
求めるそれはうんざりするくらい単純でシンプル且つ滑稽だ。
面倒すぎる、もう勝手に見苦しくない程度によがって自慰でもしたらいい、始末は自分でやって頂戴。
床に這いつくばって見上げた視線に私は溜め息より舌打ちを出し思想を投げ出した。
それなのに気づいていない。フリでもない。気づか、ない。
つもりにつもった憤怒を向ける。
首筋を赤黒く染める縄状の跡に手を伸ばすと僅かに目を見開かせ震えの反動が握り締める拳と口内を噛み締める仕草があった。
そのまま、指は空を切り互いに視線は紡いだまま時は沈黙を打つ。

「…開けなさい」
「……」
「開け、なさい!!」

油汗が滴り彼の体は全身で緊張を責めていた。
今度はこちらが目を見開いて胸倉を掴み引き寄せると頑なに押し黙る唇をこじ開けた。
そこには生温かな唾液と血が指先を汚し伝う。
脅えた眼、けれどそれを押し殺す眼。

「…ッ!?」
「ごめ、んな さ、ごめ」

懸命に許しを請い掌で口の血液を必死に拭う。
焦点の定まらない泣き出しそうな瞳は片言を含む弱い子供のそれととてもよく似ている。
口内の肉を噛み堪えた声はむせる咳を飲み込んでいた。
痛みに潤む眼球、滲む汗。加虐心を煽るのがそれだと思った。
彼は背後から朧気に形成した影が張りついていることにおそらくは気づいていない。
暗く重い濁る快楽が彼を艶やかに加虐を彩る。
醜い欲に重んじる機能を生み出した影の重厚的“存在”が教育した証。
どうやら捨てられた飼い犬の目をした男は最高で最悪の血統書つきだった。

「あいしているの意味を知っているの」
「……?」
「とんだ利己主義に飼われてたのね。くだらない」
「、」
「まぁいいわ。今度は名前をあなたの口から教えて」
「…っあ…」
「こっちへ、いらっしゃい。」


ほんの一時それ故戯れ、好奇の心を探る。
一手間、二手間と今まで繰り返してきた順応な飼いイヌ達の復讐がやってくる。

―――“再”教育開始。






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H22/8/23





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