夕暮れ前の、夕日が傾く景色が好きだった。
炎の燃えるさまよりも脆く美しい姿が夜の闇に終われ姿を亡くす。
やがて藍の空に朧気に光る星をただ無心にぼうっと、眺めることがまた好きだった。気が、する。
それが果たして幸せなことかと聞いたら恐らくは逆だ。
暗い淀んだ漆黒を好んだ自分にとってその光景は重んずるもののはずなのかもしれない。
光は消え、失い始める合図に感じる焦燥は遥かに記憶を遡る。
熱く肌を焦がした太陽と冷たく肌を裂く月。
本来ならば記憶を追うなど叶わない。だがそれが叶う。濁りを惑うそれが疎ましい。
何回、何千、何万、数えきれない程にこべりついたその刹那。
太陽に疎まれ月に見放された俺はついに両を喰うことを選んだ。
それがただひたすらに夕日を見つめる理由だったのかもしれない。

「あれ、まだ居たの?」

閉ざし張りつまる白の空間に声が凛と響いた。
俺はこの声を知っている。“俺”を呼ぶ声ではない。
足音がひっそりと近づくと気に掛ける素振りを見せて俺の隣に立ち止まる。

「夕日、綺麗ね。いつも見てるよね」

双眸のみをゆるりと隣にたたずむ女へ上げた。
穏やかだ。何もかも。
何もかも遠い昔見た光景と擬似している。頭から爪先まで赤く染まる女は笑っていた。
一つだけ違うのは滴る血液も酔うほど魅了する血臭がない。
今女の指に絡まる夕日の赤はそれでもなまめかしいと思える気がした。

不意にその指を絡めとり唇を寄せた。
僅かに軋んだ椅子から立ち上がると杏子は肩を上げ左足を後ろに引く。

「ちょ、やっ」

構わずに舌先は手の項の血管をなぞるといよいよ本気を出して右手は離そうと引き、左手は力を込め前にのめり込む。
従来いなすことの方が得意だ。今さら何ら苦にも楽もない。
一つバランスの崩れた杏子は床に落ちていった。
反動で手首を掴み同じくその上に覆いかぶされば傷もない真っさらな頬に髪がかかっていることに気がついた。
それを荒く払いのけ、背を強打した痛みに歪む瞳を覗きこむ。
羞恥はまだ消えていなかった。
だが強く、反らされない。
微かに震えた唇が否定の声を吐き続ける。

「何が、したい、の…!?」
「さぁな」
「なっ!」
「わかんねぇもんはわかんねぇんだよ」

片方の手を緩め首筋に持ってゆくと恐怖が一気に宿された。
拒否の手を払いのけるといよいよ杏子は歯を食い縛り見据える。
不意にこみ上がる俺の笑みに不信を否めないまま瞳から一滴垂らしてくれれば文句はなかったが。
それをしない、勝ち気で強がりでお節介が災いなこの女が俺は嫌いではない。

「違ぇよ馬鹿。てめぇはこんな状況でまぁ心臓がよく動くこったァ」
「…え?」

首筋の頸動脈を撫でると皮膚を越え脈があらわに伝わった。
熱に犯されたそこは赤く熱い。
温い体温を憤らせた鼓動にどうしようもなく視線を泳がせた素振りに揺るまる蓋を知らなかった。
爪を食い込ませば致命傷にはならなくとも穴を開けることぐらいできる。
それでも、ねっとりと筋をなぞることを選んだ自分はずいぶん生易しくなったもんだ。

「何だ、惚れたかァ杏子?」
「っ!?そんなことあるわけないじゃ」
「関係ねぇよ」
「!」
「俺様を試そうざなんざいい度胸じゃねぇか」

吐息が触れるくらい抱き締めてしまえばいい。
例えばそんなことに鼻で笑っていた自分がいた。
触れるくらいの体感を選ぶなら何故触れない?何故肌で感じない?欲望のままに何故ならない?
冷たい水底を満たすソレが目の前にあるなら、構わない。
追って追い詰め、追われ離れ夕日の影がついになくなった。

埃っぽい教室と廊下の蛍光灯は不謹慎に邪魔をする。
黄昏と共に、確かめるように女の名前をつぶやいた。
何度も息を殺そうとする杏子の吐息を、ただ押し突いて。






*

22/5/5

捧げもの。





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