序章by閣下

蛸ともずくの酢の物が盛られた小鉢を置くその白い指を、ゾロはじっと眺めていた。
焼いた魚のいい匂いがあたりにたちこめる。

鎌倉彫りの揃いの箸が並べられ、椀には温かな味噌汁を、大きめのゾロの茶碗には炊きたての米がよそられる。

「オラ、クソ婿。食え。」
舅(しゅうと)も席につくと、その言葉を合図にゾロは食事を開始する。
言葉は乱暴だが、しかし舅の表情はとても柔らかだ。

仕事から帰って舅の沸かした風呂に入り、舅の用意した寝巻きに着替え、舅が作った料理を食べる。
冷えたビールを片手に、舅と囲む男二人の食卓。
この奇妙な夕食の時間が、ゾロは1日で一番好きな時間だ。


1年前に、ゾロは結婚した。
そう、まだ1年しか経っていないので、実質新婚ホヤホヤ…のはずである。

しかし、ゾロの新婚生活は一般的なそれとは少々違っていた。

嫁のたしぎは刑事なんてものをやっているので、およそ家庭向きではない。
だから新婚だという自覚も夫婦揃って皆無だ。

帰宅の時間が定まらない嫁の仕事について、ゾロは責めたことはただの一度もない。
仕事のことはわかっていて結婚したのだし、
好きな仕事を続けることが出来るのは幸せなことなのだと、
何よりゾロ自身が好きなことをして生きている自覚があるので、
ゾロは何か言える立場ではない。いや、言う気もない。

第一、ゾロは今の生活がとても気に入っているのだ。

本来なら嫁のする家の仕事は、この白い指の持ち主…舅がすべて完璧以上にこなしてくれている。
ゾロの生活は、舅のおかげで成り立っていると言っても過言ではない。


思い浮かぶのは1年前。
結婚式での舅の姿を今でも忘れられない。
頬を紅潮させ、目に涙をいっぱい溜めて、娘の結婚を心から喜んでいた舅。

ゾロの胸倉を掴んで、
『たしぎちゃんを不幸にしやがったらオロす。絶対ェオロす。』と凄みながら、
しかし涙目でぷるぷる震えていた舅の顔はとにかく…、
かわいい。
そう、ゾロは思ったのだ。

無意識に抱きしめた震える舅の身体は、とても細く、ゾロの胸を締め付けた。
そして、

おれは、この人と暮らすのだ。

唐突に、そんなことを思ったのだ。
かわいい嫁のドレス姿よりも、年をとって少しやつれたような顔をした、
一回りも年の離れた黒い燕尾服の舅の顔の方が何倍も、ゾロを高揚させた。


舅とは、毎日のように喧嘩をしている。
トイレに入るときは扉を閉めろだの、服を脱ぎ散らかすななど、そんな些細なことで喧嘩をする。

しかし、
黙々と食べるゾロを見つめる、木綿の白いシャツを着た舅の表情は、ひどく穏やかだ。

少し落ちくぼんだ瞼からのぞく瞳は、冷えたようにグレーがかったアイスブルーをしている。
昔はもっと鮮やかで、もう少し濃い色をしていただろう金髪は、
今ではその名残はほんの僅かしか残しておらず、白髪混じりでなんとも色褪せて見える。

それでも、
かっ込んだ飯に喉を詰まらせたゾロに、水の入ったコップを渡す舅のその、
雪のように白い頬を緩ませ、薄ピンクの唇を上げて、
ほんの少し首を傾け微笑んだその表情が、
とても幼く、可愛らしく感じてしまうのはどうしてだろう。

白いシャツの襟元から見える首筋は、細くて頼りなく、どこまでもゾロの胸を締め付ける。

自分よりもはるかに年をとった男相手に、かわいい、などと思うことの滑稽さ。

しかし、ゾロはやっぱり、どうしても思わずにいられないのだ。

頬杖をついて、ゾロの勢いのある食べっぷりを見る、その舅の幸せそうな表情を、

かわいい、と。



テレビもない。
音楽もない。
ただ舅と二人、静かに過ごす夕餉の時。


喧嘩をしたり、一緒に食卓を囲んだり。
そうやってふたりの時間は、少しずつ、少しずつ、流れていった。

甘くて、でもほんの少し胸に痛みを伴う、とろりと蜜のようなふたりの時間。


しかし、
それは長くは続かない。


それから数ヶ月して、

舅の身体に、異変が訪れたのだ―――…。


***

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