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Bon voyage.




 その話というのは、一学生である俺にとって、かなり贅沢なものだった。
 従兄弟の和志くんは俺より七歳上で、ニューヨークで働いている。そのことは前から知っていて、いつか遊びに行きたいとは思っていたが、彼はとても忙しく働いていたし、休暇があったとしても金銭面などの問題もあったので、そんなことは到底無理だと思っていた。
 しかし、この春、何の加減かは知らないが、彼には十分な休暇が与えられ、俺の家でも語学力を鍛える良いきっかけだという話になり、あっという間に俺のニューヨークへの旅は決定してしまったのだった。



 そして、今。俺はニューヨークの空気を吸っている。
 結局、初めての海外旅行を一人きりでする勇気も英語力もなかったので、和志くんに日本まで迎えに来てもらい、それから二人で十数時間の空の旅をした。つまり、和志くんにはこの時点でかなりのお世話をかけてしまったことになる。嗚呼、俺がきちんと英語を勉強していたら、こんなにも迷惑にならずに済んだかもしれないのに。


「行成、お前英語勉強したことある?」


 そう、普段は優しい和志くんに顔をしかめながらこんなことを言わせてしまうくらい迷惑をかけた。


「もちろん! 小中高ときちんと卒業して、今は大学生。英語は当たり前のように習うに決まってるじゃん!」
「What's the purpose of your visit?」
「Sightseeing!」
「なぜそれを入国審査のときにできないんだよ!」


 空港に着いた後の入国審査。必ず聞かれるであろうその質問。中学の時の授業でも習った受け答え。もちろんこの旅に備えてガイドブックに記されたやり取りは一通り目を通したのだが。


「やっぱり外国人を前にするとさ、緊張しちゃって……」
「しっかりしろよ。まったく」


 はあ、と大きな溜め息を吐かれてしまった。
 “外国人”、その表現はこの国際的な時代においてあまり好まれないものかもしれない。もちろん、俺はその言葉を差別的な意味で使っているわけではない。むしろ、仲良くしたいのだ。しかし、自分の英語に自信がないのでどうしてもプレッシャーがかかり緊張してしまう。


「そうだ! 和志くん、俺に英語教えてよ」
「いや、お前の場合俺相手に練習しても意味ないだろ。それに俺だって発音はあまり良くないし、ネイティヴに習ったほうが良いだろ」
「でも、とりあえず話す練習しないと。学校では少ししか話す練習しなかったから。それにまずは日本人と練習したい」
「でもな……あ!」


 そう言って和志くんは携帯電話を取り出した。それは日本で使っていたものとは違ったので、アメリカ用なのだろうな、かっこいいな、等とただ何となく思っていたら、いつの間にか通話は終わっていた。


「おい、行成。お前に英語を教えてくれる日本人が見つかったぞ。それにそいつは英語のプロだ」
「英語の教師とか?」
「いや、あいつは写真家だよ。仕事で知り合ったんだ」
「へ? 写真家なのに英語のプロなわけ?」


 日本人写真家が英語のプロ。さっぱり訳が分からない。相当長い間こっちにいるのだろうか。


「まあ、いいだろ。さっさとタクシー乗って俺のアパートに行くぞ。……マンハッタンまでは$45だから橋とチップ合わせたら$60ぐらいで足りるよな」


 何となくはぐらかされたような気はしたが、俺も早く彼のアパートを見てみたかったので急いでタクシーに乗り込むことにした。





「かっこいい……」

 それが、和志くんのアパートに入って最初に言った言葉だ。
 タクシーに乗って着いたそこは、高級とは言えないが、如何にもニューヨークという感じがあって、かっこいい、ただそれしか言えなかった。


「ありがとう。ここ、結構住みやすくて好きなんだよな。あ、お前に英語教えてくれる奴、もうすぐ来るからな」


 そう言った瞬間、チャイムが鳴った。


「じゃあ、行成はちょっと待っとけよ」


 玄関へと消える和志くん。今日来るとは思ってもいなかったので呆然とする。


「Hi! How're you doing?」
「Pretty good」


 耳を澄ませると、英語の会話がドア越しに聞こえてくる。
 ――日本人同士なのに。


「行成、紹介するよ。こいつが永井冬馬。通称トムだ」

 少しするとドアが開く。和志くんと入ってきたのは中肉中背の黒目黒髪のいかにも日本人といった風貌の男だった。
 トムという呼び名には多少驚いたが、日本人ということに安心して自己紹介をすることにした。


「初めまして、和志くんの従兄弟の行成です。よろしくお願いします」


 そう言ってお辞儀をし顔を上げてみるとそこには、きらきらした笑顔でこちらを見てくるトムさんがいた。


「ハジメ、マシテ!」


 明らかに片言の日本語。その後に続いたのは流暢な英語だった。
 どういうことだよ、と和志くんを睨んだときにトムさんの口から"Please teach me Japanese."という言葉聞こえた気がした。





「トムは日本人の両親の間に生まれたけどすぐに父親の仕事の都合でニューヨークに来た。何回か日本に戻ったこともあるらしいけど、ほとんど日本語は喋れないというわけ」


 英語は完璧だけどな、と笑って次に英語でトムさんに俺の紹介をし始めたのは和志くん。トムさんとの衝撃的な出会いの後、俺を宥めてくれた。そのおかげで今は冷静な思考が戻ってきている。


 ふっとトムさんのほうに視線を遣る。日本人写真家で英語のプロ、という和志くんの言葉は真実だ。しかし、俺は日本人ということは完璧に日本語が喋れるものだと思っていたので、かなり衝撃を受けた。
 今思えば、俺だって完璧に日本語が喋れるわけではない。読めない漢字だってあるし、使い方を間違っている言葉もあるかもしれない。だいたい、何をもって日本人とするのか。
 まあ、俺は学者さんではないので、深く考えることは止めにしよう。今はただ、一人の人間として、永井冬馬という男を見つめよう。彼がどんな人物なのか、まだほとんど知らないのだ。何の先入観も持たず、彼と色々なことを話してみたい。そのためには、まずしなければならないことがある。


「と、トム!」

「?」

「ぷ、プリーズ、ティーチ、ミー、English!」


 言葉の壁を越えよう。今までは、なんとなく英語の授業を受けていただけだった。でも今、この人と話すために、歩み寄るために、英語を勉強したい。動機が不純だって言われてもいい。今はこの気持ちを大切にしたい。


「Of course!」


 少し驚いた顔をした後、にこっと笑って明るくそう答えたトムさんに、ちょっとドキッとしてしまって、ますます動機が不純になったような気がした。
 そんな気持ちがバレていないか、慌てて和志くんのほうをちらっと確認したら、物凄く笑顔だった。いや、ニヤニヤとしていた。


 ――すべては和志くんに仕組まれていたのではないか、そんな思いがよぎった旅行一日目。



【END】

 


 あとがき

 英語苦手なのに書き始めてしまい、英語の愛称の付け方が分からず、かなり苦戦しました。



▼感想などありましたら


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