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long story
何時ものことだ、



「…また、帰ってこおへんのかな…」
せやったら、この晩飯どないしよ。
冷めた晩飯を前にして、ウチは一人呟いた。まああいつが帰ってこおへんのは何時ものことやし、余っても金ちゃんが食べてくれるしなあ。ムダにはならんのや
けど…。
「なんや、謙也食べてへんの?」
ひょっこり顔を出した金ちゃんが聞いてきた。
「ちゃうよ、これはあいつの」
「ああ!…冷めとるで?」
「せやな」
「…謙也ぁ」
出た、金ちゃんのおねだり。言わんくても分かる、後ろに食べたい食べたいて見えるから。
仕方ないなと苦笑いして、膳を差し出した。
「ええよ、食べても」
「ほんま!?おおきに謙也!」
「なん、こっちかて助かっとるから。ゴミにならんでよかった」
「へへっ、やっぱ謙也ん飯うまいわぁ!」
そう言って金ちゃんは笑った。見たら金ちゃんの頬にご飯粒が着いてたから取ってやると、そのご飯粒まで食べてしまった。
「そういえば、今日蔵は?」
「…おかんはもう行ってもうた。遅なる言っとったで」
「…そうか」
こくんと頷いて項垂れた頭を撫でてやる。そうか、やから今日は蔵飯食いに来んかったんやな。


金ちゃんのおかん、蔵はウチの友人で、近くの遊廓で芸事を教えている。
蔵は綺麗だから、客に遊女と勘違いされたり、何度も座敷にあがってくれと言われているが、蔵は断固反対している。
『金ちゃんと離れるなんてできん。ちゅうかウチ子持ちやで?』
蔵がそう言ったら、向こうは渋りながらも下がるようだ。しつこい客には容赦なく手を上げる所が蔵らしい。


「なら、今日は一緒に寝るか?」
「ほんま…?」
「金ちゃん一人に出来ひんから」
「おん!」
「ほら、早よ食べんと遅なるで。でもちゃんと噛むんよ?」
分かってんで!と言いながらもご飯をかき込む金ちゃんが可愛くてまた苦笑して、ちらっと縁側に目を向けた。

(ああ、やっぱ今日も帰ってこおへんのか…)

今頃あいつは、またあそこなんやろうな。





千歳千里。
それが、ウチの旦那。
千歳は、もとは九州の豪商の次男だった。友人の桔平がこっちにやって来たのを追いかけて来たらしい。こっちに来てからは桔平の家に転がり込んで暮らした。
ウチが千歳と会ったんは、桔平が千歳に通わせた塾やった。
『お前ら、新しく入った千歳千里や。仲良くしろよー』
『…千歳千里ち言います。生まれが九州やけん大阪には慣れんばってん、宜しくお願いします』
九州弁が聞き取りにくかった。驚いたんは身長や。同じ年やなんて思えんかった。隣に立っとるオサムちゃんに並んどるもん。いや、オサムちゃんよりでかいかもしれん。
とにかく、こいつでかいなっていうんが第一印象やった。

千歳と会ってから何週間か過ぎた時。いつからか千歳に惚れとった。あんま覚えてへんけど、気付いたら、やった。
その日、ウチは蔵や小春と出掛けとった。そん時から蔵は廓に出入りしとって、小春も一氏って奴んとこに住んどった。
橋の近くで別れて、酔っ払いがふらふら出てくる時間帯。近道しようと居酒屋の横を通り過ぎる。
「ヤバいな、オサムちゃんに怒られるわ…」
ウチが蔵と暮らしとるんは塾の講師のオサムちゃんがやっとる下宿やった。
オサムちゃんの下宿は路地裏やから暗い。よくいちゃつく奴らを見ては蔵とぶーたれていた。
…後からウチがぶーたれる方になったけど。
つまり、ここは恰好の逢い引き場。そこに見覚えのある長身が見えた。
『…も、千里…』
『…なんね、もう限界と…?』
『っ、あぁっ』
(なっななな何やあああ!!!!!!)
ものすごくビビった。そりゃもうこれ以上ないくらいや。思わず大声が出そうやった。いや、未遂に留めたけど。
両手で口をぎゅうぎゅう押さえて、力が抜けそうな足に力入れて踏ん張って、でもガクガクしとって。早く帰らなって思うんに、そこから動けんかった。
『は、あっ、−−−っ!』
千歳に片足持ち上げられとった女のひとはむっちゃびくびく肩跳ねらせて、千歳ははぁーって息吐き出して。
(…お、終わったん、かな…?ちゅうかこれは、もしかして、あれか…?)

ウチ、失恋?

(そうやとしてもこないな場面見たなかったわ!)
『…千里?どない…したん…?』
『…』
ちらっと千歳がこっちを見た。ウチは息を呑んで、すぐにそっから逃げ出した。
『誰かおったん?』
『…いや、なんもなかよ』
『…もう一回、』
『お前さんとはこれっきりばい。初めからそん約束だったと』




全力疾走したせいで心臓バクバク。頭ん中は千歳にバレたバレたバレたバレたバレたしかなかった。
『…っ、な、うそやろー!』
千歳千里。
女に不自由しとらんってか!泣くわ!
『ウチん初恋返せやー!』

『初恋やったと?』

がっしりと腕を掴まれて、聞き覚えのある声が入ってきて。振り返ったら。
『…ち、とせ…』






「…や、謙也」
「…?なん、どうしたん、金ちゃん」
「あんな、…そっち行ってええ?」
「怖い夢でも見たん?」
こくんと頷く金太郎に、謙也は笑って言った。
「ええよ。おいで」
布団を捲って手招きする。枕を持ってもぞもぞと入ってきた金太郎は、おかんも、と小さく呟いた。
「ん?」
「謙也と寝たん?」
「そらな、幼なじみやし。あ、知っとった?蔵、ああ見えて一人で寝れんの」
「おかんが?想像できん!」
「ふふ、また三人で川の字やりたいな」
「おん!」
でも、千歳はええん?
金太郎は出そうになった言葉を飲み込んで笑った。二人で指切りをして、布団を直す。
暫くして、金太郎の規則正しい寝息が聞こえてきた。謙也は安らかに眠る金太郎の寝顔を見ながら、千歳のことを考えた。
(結局帰って来んかったな…。どうしてんやろ、ちゃんと飯食ってんかな。ムリしてへんかな、悪い奴に絡まれてへんかな。また喧嘩して帰って来たら嫌やなぁ…)
うとうとし出した時、玄関から小さな音がした。謙也の眠気はすぐに飛んでしまって、布団を抜け出して玄関に向かった。
「っ千歳?」
まだ夜明け前。向こうに誰か立っていた。草履を引っ掛けるのももどかしくて裸足で玄関の戸を開けた。
「謙也、布団敷いて」
「…蔵」
「こいつ。連れて来たで」
「え?」
白石が顎で示した方を見ると、橘に凭れている千歳が見えた。
瞬間弾かれたように駆け出す。
(まさか喧嘩?)
「千歳っ」
「心配ない。飲み過ぎただけだ」
「またかい…。ほんますいません、橘さん。毎回千歳が世話んなって…」
「ええから、はよ布団敷いてやらな。あと、あんた草履くらい履きぃ」
「急いどったんやもん。あ、橘さん、良かったら休んで下さい」
「いや、俺は帰る。今日は杏一人だからな」
「そうですか…」
「でも、布団まで千歳お願いしますわ。ウチらじゃ運べへんから」
「ああ」
金太郎と寝ていた部屋の隣に布団を敷き、橘が千歳を横たわらせ、橘は帰っていった。
酔い醒ましの水と手拭いを傍らに置いて、謙也は部屋に戻った。そこには既に白石が座っていて、金太郎の髪を撫でていた。音を立てないように、白石の横に座る。
「…謙也、いつもありがとうな」
「何言うてんの、幼なじみやねん、困った時はお互い様や!ちゅうか、お礼言うんウチの方やで」
「…まさか千歳見張れ言われるなんてな」
「みっ見張るてそんな」
思わず大きな声が出て、白石が謙也の口を押さえた。そろっと金太郎を見ると、相変わらずすやすやと眠っている。
無言で睨む白石に手振りで謝ると、仕方ないとばかりに溜め息をつかれた。
「自分ほんま相変わらずやなぁ」
「そうでもないもん」
「はいはい。…せや、今日小春に会うたで」
「小春に?どこで?」
「居酒屋」
「はあ!?」
また大声を出して、白石に睨まれる。ごめんと謝って声を潜めた。
「何で?」
「さあな。でも、ユウジは居らんかった」
「喧嘩か」
「やろな。…謙也、悪いけど寝かしてもろてええ?」
「おん。お疲れ、蔵」
自分が寝ていた布団に蔵を寝かせて、金太郎が寝ていた布団に入り込む。
暫く人が入っていなかった布は酷く冷たかった。





20110214 玖樹

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