雰囲気は変わらない。ただ、少し、柔らかくなった――
●●●面影●●●「御堂さんの小さい頃ってどんな感じだったんですか?」
「……何だ、急に」
本多はそう訊きながら、綺麗に整頓された御堂の書斎を眺めている。
明日も仕事のため、あまり長居はしないと言って、御堂のマンションに来ていた。
仕事帰り、御堂は偶然前を歩く本多を見つけた。
さほど遅くない時間帯だったので、まだ仕事中かとも思い、声は掛けなかった。
しかし、運が良いのか悪いのか。横断歩道の信号が赤になったため追いつき、そして本多も御堂に気付いた。
「御堂さんは昔から出来た人なのかなーと思って」
「何を言っている。私が何の努力も無く今までやってきたと?」
「思ってないですよ。そんなこと」
プロトファイバーの一件で、互いの仕事への姿勢は知っている。
しかし、過去の事は把握していない部分が大半だ。訊こうと思った事も無い。
それでもこの本多という男の性格は、今も昔も変わらないだろうということは安易に想像がつく。
御堂はワイングラスを二つ用意しながら、そんな風に考えていた。
「別に普通だ。近所の子供と遊んだり勉強会を開いたりしていた」
「勉強会って! マジかよ……。俺がガキの頃なんてプロレス技掛け合ったり、学校まで競争したり……」
「君は見た目も大して変わらないだろうな」
「まぁ、劇的な変化は無いですけど。でも御堂さんこそ、この頃から今の雰囲気漂ってるじゃないですか」
「……?」
何のことだ、と訊こうと本多の方に振り向くと、真っ白い素材で出来たアルバムをこちらに広げて見せ、してやったりという顔を向けている。
「君! それをどこから……!」
「前、ここに来たときにその棚から見えてたんですよ。これだけ他より古びれていたからなんだろうって」
「だからって勝手に人のものを漁るんじゃない! とにかくそれを早く返したまえ」
「っと」
掴みに掛かったが、ひょいっと腕を高く上げられては届くはずもない。
かわされた右手をもって一度咳払いし、改めて本多に言う。
「そんなもの見てどうなる。ただの幼少期時代のアルバムじゃないか」
「でも、これが御堂さんのってだけで何だか興味が有るんだよなぁ」
「過去を知るのとアルバムを見るのとでは全く違うだろう。いいから返せ」
「はい、返しますよ。ただ……」
意外にも易々と返されたアルバムを受け取り、御堂は言葉の続きを待った。
「この御堂さん、貰ってもいいですか?」
本多は一枚の写真を御堂の目の前に翳しながら、先ほどの笑みを零して言った。
「待て! それは私の写真じゃないか!」
いつの間にか抜き取られていたそれは、御堂がまだ幼稚園に通っていたときのものだった。
黄色い帽子を被り、ポケットに兎のアップリケを付けている姿は、幼い頃の事だろうと他人に見せたくない恥ずかしい品物に他ならない。
「おい! 返せ! 一体何を考え……」
「俺、この御堂さんも大事にしますから」
お願いします、と本多は微笑む。
過去の自分だからこそ、見せたくないものも多い。
自分のプライドが許せないことも多い。
相手が本多だからこそ張りたい見栄もある。
それなのに、否、それでも……。
「そんな顔で、恥ずかしいことを言うな」
喜色満面な本多を見れるなら、写真くらいくれてやってもいい。
今度こそ、写真が返されることは無かった。
◆
「御堂さん、どうぞ」
先日の件から一ヵ月。
明日は共に休日のため、今晩は本多の家に来ている。
差し入れに缶ビールを持って行くと、本多はにいっと口角を上げて喜んだ。
御堂は断然ワイン派だが、こうして喜んでくれると悪い気がしない。
勧められるままに席に着き、目の前に置かれた肴の多さに呆れる御堂を他所に、本多は既に缶を開け飲み始めていた。
「そういえば御堂さん、最近また忙しそうですね」
「ああ、まぁな。プロトファイバーに乗じて新たな商品を開発したばかりだ。大事な時期でどうしても時間が掛かってしまう」
「ふぅん。商品が良い物なら、また俺たちも協力するぜ」
「君たちにはプロトファイバーを任せている。そこに全力を尽くせ」
「はいはい。そう言うと思ってましたよ」
ちぇっ、と口を尖らせ拗ねた素振りをする本多を気に止めることなく、御堂はビールを一口だけ飲んだ。
その隣で御堂の倍以上のペースで飲む本多が、突然思い立ったように立ち上がり、寝室へ向かって行く。
「どうした?」
「いや、ちょっと」
疑問に思い、様子を窺っていると、本多はクローゼットから何かを取り出し戻ってきた。
ソファが揺れるほどの勢いで座ると、御堂に一枚の紙切れを差し出す。
「はいよ」
「……? 何だ?」
手に取り見ると、それは色褪せた写真で、色彩からも結構な年月が過ぎているのが窺えた。
そこには、白いTシャツに淡い水色のハーフパンツを履き、口を大きく開けて笑う少年が写っていた。
一瞬誰が写っているのか分からなかったが、面影から、それが幼い頃の本多だと察した。
「これは、君か」
「この前のお返しです」
「お返し?」
「何て言うかその、この前、勝手にアルバム覗いちまったし。それに俺だけ御堂さんの写真を持ってるのも不公平でしょう」
だから……と頭の後ろを掻きながら本多は呟いた。
「君は……っふっ……」
「ん?」
「くくっ……。あははははは! あははっ……くくくっ……」
「な、なんだよ!」
大の大人が自分の幼い頃の写真を交換するとは。
しかもよりによって恋人同士で、男同士の自分達が何をやっているのだと、腹を抱えて笑ってしまった。
律儀で正義感の強い本多らしい行動。
甘い、甘すぎる精神を貫いたのは、もしかしなくても190近い長身の年下の男だ。
写真に写る小さな少年が、だ。
「ヒデッ……! そこまで笑うことないだろう!」
「っくくくっ……。こ、これは……護身符になりそうだな」
「なるかよ!」
本多はビールを思い切り流し込んだ。顔が赤いのは酒のせいだけではないだろう。
小言を言う本多の隣で、御堂はもう一度写真へ目を向けた。
ガキ大将というには言い過ぎるが、活発で正義感や仲間意識の強い子供であっただろう、と思った。
――身体ばかり大きくなって、中身も見た目も同じだな。
あの時アルバムを掴み損ねた御堂の右手は、今はしっかりと、目の前に居る男の写真を掴んで離さなかった。
飾る場所はどこにしようかと考えてしまった自分の顔が幸せに破顔しそうなのを隠すように、冷えたビールに口を付ける。
今日は酔いが早い。アルコールにも、こいつにも。