――傷口を舐めては抉り、抉っては舐める。
 そこから溢れ出るものは?







 そこは、薄暗く冷たかった。
 蝋燭が不規則に揺れ、明滅するこの場所。
 今が朝なのか夜なのかも定かでない。
 克哉は吐き気をもよおしながら、うっすらと眼を開けた。

 どこまで続いているのか分からないほどの天井が目に入る。
 ゆっくりと辺りを見渡すと、克哉の顔に影が落ちて、柔らかそうな金髪の男が、そこに居た。
「お目覚めですか?」
 脳内に浸透するように、声は聞こえてきた。

「よく眠っていましたね。良い夢は見れましたか?」
「夢……?」
 朦朧とする意識の中から引きずり出すように、克哉は記憶を辿る。

 見慣れない部屋とMr.R。
 身体の節々が軋み、見ると至るところに傷がある。
 それらはまだ完全には塞がっていないものの、痛みは感じなかった。

――Mr.Rこいつが手当てしたか……

 克哉の脳裏に浮かんだ悪夢。
 圧倒的な立場の差を見せ付けられ、無様な姿を晒し、何度も気を失いそうなのを必死で堪えた。
 しかし最後の最後で、克哉は意識を手放した。それが一番屈辱的だった。

「傷は、痛みますか?」
 Mr.Rが克哉の首もとの傷に優しく触れながら尋ねる。
 肌に吸い付くような手袋の感触に、克哉は顔をしかめた。
「触るな。大したことはない」
「ふふっ。でも、この胸の傷は……、深く残るでしょうね」
 指先でつつかれたそこは赤黒く腫れ上がっていた。

 幾度も痛めつけ、身体が真っ二つになりそうな衝撃を与えられたかと思えば、そこに口付けて囁く。
――痛いでしょう? 悔しいでしょう? でも、気持ち良いのでしょう? と。
 傷口に舌を這わされた一瞬、ジンと沁みて、そして不思議と痛みは治まる。
 後に克哉に訪れる快楽へ譲るように。

「これからも、あなたの素敵な悲鳴を聞かせてください。佐伯克哉さん」
「貴様……。いつまでも俺がお前の言いなりになると思うな」
「なりますよ。必ず、ね。此処にあなたが居る。それはつまり生涯私と共に居続けるということですから」

 Mr.Rは眼鏡のブリッジに手を添えて昂然とした口ぶりで言葉を続ける。
「胸の傷は言わば"証"。あなたの所有者はこの私という制約の印です。この証を刻み込まれたあなたは、此処からも私からも逃げられません。絶対に。
 先日はそれを教えてさしあげたのですが、やはりあなたは素晴らしい。その眼光。全く曇っていない」

 克哉はMr.Rをきつく睨み付ける。
 胸の傷が僅かに疼いた気がした。

「証だと? こんなもの、有ろうと無かろうと関係ないな。俺は、俺の意志でやらせてもらう」
「ふふふっ。そう……獣は獣らしく、そうして反抗しているのが一番です。傲慢で鬼畜なあなたが私はとても、とても愛おしい」

 慈愛に満ちたMr.Rの言葉が耳元で囁かれ、克哉は背筋が凍てついた。
 胸の傷が焼け付くように熱い。しかしそれは熱を帯びてはおらず、残忍で苛虐な温度。
 ドクドクと心臓が高鳴り、再び目の前が大きく歪む。

「っ……!? 何だ、これは……」
「さぁ。往きましょう。深い悦楽と快楽を貪ることの出来る世界へ」

 克哉の視界が闇に染まる。
 恍惚とした表情で克哉を見る男の顔を最後に――
証*END





――途絶えた路は、一度無に還すのが利巧でしょう?

2008.05.24


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