月の残り香
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天界がどんな所かわかりますか?
ガブリエルのお気に入りの場所を少しだけ書きましたが、あそこは天界のほんの一部に過ぎません。
青空があって薄い雲が流れ、その上を白い羽根の天使達が飛び交う。
そんなイメージがまず浮かぶと思いますが、ちょっと違います。
そうですね…うーん、思い浮かぶ限り、地球の美しい風景を想像してみて貰えますか?
人の手を加えてない自然を。
そして一人の、ではなく途方もない数の「ヒト」の想像全てを合わせたそれが天界だ、と考えていただければ分かりやすいかな?
荘厳な山の頂に絶対万能の神の神殿があり、その麓を取り囲む形で俺達は居を定めています。
高位の天使達は各々地所を持つ事も出来ますが、ミカエルやガブリエルは敢えてそれを持たず、ひっそりとした場所に四阿(あずまや)を構えています。
ラファエルは幼少の頃こそガブリエルと一緒に暮らしていましたが、力が認められた後は、神殿に近い、小さな美しい滝のある場所を選びました。
俺はこんな仕事ですからね、一応住まいと呼べる所もありますが、書庫に居る方が多いですね。
ルシフェルは天界の北に見事な宮殿を持っています。それは素晴らしいところで、彼に相応しい堂々とした趣きがありながらも常に訪れる者を歓迎する空気が流れていました。
お二人が独り立ち?成人?要するに力を遺憾なく発揮できるようになってすぐにルシフェルは北の大地を選びました。
そして瞬く間に宮殿をお造りになったんです。彼はミカエルとそこで暮らしたかったようですね。
しかしミカエルは自分には勿体ないと四阿を離れることはありませんでした。
本当はまだあの二人が幼かった頃から暮らした其処を離れたくなかったのでしょう。それでも折にふれ北の宮殿に足を運んではいたようですが。
ただ二人の逢瀬は専ら、今ではミカエルの四阿だったんですよ。
そして忘れてはならないのが「エデン」です。
地球と月の関係が天界と「エデン」だと考えてください。天界にとっての衛星が「エデン」だと。
其処は天界の美しさをそのまま小さくして神が「ヒト」に与えた場所。
没薬(ミルラ)や桂枝(アカシア)、香樹(パーム)などの芳香溢れる木々。幾房もの果実をつけた生命の樹。心地よい音を奏でるせせらぎ。
近くに迫るだろう敵について忠告し、どれほどの自由な境遇を与えられているかをその住人に説くのにラファエル以上の適任はいないですが、それを彼が率先して受けたのは、彼等の住む場所が、今となっては「ラファエルの滝」と呼ばれる場所にとても似ていたからじゃないかなあ、なんて俺は思ったりしてます。
この「エデン」がそもそもの始まりだったと俺は考えています。
そしてそれはまるで、密かにゆっくりと進行して、気付かぬまま心を浸食していく「恋」のような始まり、だったのではないかと。
正直言って、神が「ヒト」を俺達と同じ境遇に置くと決められた時、俺もビックリしましたよ。
別に「ヒト」が嫌いとかそんなんじゃありませんよ、勿論。
でもそれまでずっと長いこと天界は神と俺達(天使族)だけだった訳で。そして下界に生きる「ヒト」を見守り、時として手を差し伸べてきた訳で。
そんな中ラファエルは持ち前の好奇心で、衛星「エデン」へ少しも躊躇うことなく颯爽と飛び立ち、堪能した後(多分そうだと俺は思ってます)此処へ戻ってきました。
そしてあの愛らしい顔を綻ばせながら、その様子を俺達に話してくれたんです。
神はあそこに住まう「ヒト」を完全なものとして創ったが、不変不動のものとして創造されたわけではないらしい。でもそこが愛しいと。
彼流に言うと「全く可愛い奴らでしたねィ」だったかな。ははは。
俺達天使の中にあった動揺はこのラファエルの笑顔で凪のように静かになり、あたたかい気持ちで見守るようになったと思っていました。あの時までは。
さて、この章では新たな天使が登場します。皆さんはこの名を天使とは考えにくいと思いますが、いやいやどうして。彼も天使だったんですよ。
しかも、ルシフェルに次ぐ高位の天使でした。俺は苦手でしたけどね。確かに彼も綺麗ですよ?でも、その……、えーと、は、はっきり言って…、笑顔の時も目だけは笑ってないというか…視線に気付き其方を見遣ると、嘲笑するようにも誘惑するようにも思える眼差しとぶつかるわけで。毎度困惑しちゃってたんです、俺。
これ、俺だけじゃないと思うんですけどね…。俺だけかな?
天使は皆が皆優しいわけではなく、中には死の宣告や過酷な仕置きをする天使もいます。
それは彼等の役目であり、俺も充分承知しているわけですからそれで穿った見方などしません。
ただね、淫猥な美しさを持ち此方の困惑も計算に入れているようなあの姿が俺は怖かった。そう、とても怖かった…。
ベルゼブブ。彼が熾天使の君主ではないか?と囁かれるほど、この天使も強大な力を持っていました。
ミカエルの任務が、彼そのもののように清廉で公正であるとするならば、ベルゼブブはその光の及ばない仕事をしていると噂されてましたが、実際何をしているのか俺にも不明瞭なところが多かったですね。
暗い葡萄色にも見える黒髪と深い紫水晶のような瞳。沙羅の花のような白い肌。けれど気を抜けば一瞬で存在を消されてしまうような殺気を隠し持つ天使。
ベルゼブブを俺達は 晋助 と呼んでました。
ルシフェルやガブリエルは気軽に肩を叩きあい、同士のような気安い間柄のようでしたが、ミカエルはそつなく、ラファエルは距離を保ち、俺はなるべく関わらない方向で付き合っていましたね。
それではお待たせしました。物語を始めましょう。話しは少し遡ります。
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