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月の残り香
V


 ミカエルの前では努めて笑顔を作り、ルシフェルの事には触れぬよう気を付けていたラジエルだが、ミカエルが四阿に戻らず、執務室のソファで過ごしているのは気付いていた。

 夜も眠れぬらしく、憔悴していく様子が窺えたが、事後処理に追われているのは周知の事実で、それとなく身体を休めるようにと口に出来るのは、ガブリエルとラジエルくらいのものだった。
 こんな時こそラファエルが元気でいてくれればと何度も思ったが、意識は取り戻したもののまだ動く事は出来ず、一日の大半は眠っているらしい。

 ラジエルはミカエルに今更真実を話すべきか随分考えたが、途方に暮れた揚句、幾分落ち着きを取り戻したガブリエルに思い切って相談する事にした。
 いずれにせよ、ガブリエルとラファエルには隠し通せるものではないし、これ以上能面のようなミカエルを傍で見るのが辛かった事もある。



「よく来てくれた、退」

 ガブリエルの四阿はいつもより薬草の香りが立ち込めていた。優しく肩に置かれた綺麗な指先からもそれが強く薫り、ラジエルが気付いた事がわかったガブリエルは「気になるか?すまないな」と微笑み、ラファエルの部屋まで招き入れた。

 ラジエルの話を聞きたいと、痛みを取る薬湯を断ったらしいラファエルの愛らしい顔は、まだ大半が白い布で覆われ、毛布から見える腕も片方は動かせないようだが、ブランデー色の瞳だけは快活さを取り戻しているように見え、鼻の奥がツンと痛くなった。

「泣く程俺は酷い有り様かィ、退?」

 笑おうとして傷が痛んだのだろう、ラファエルは舌打ちをしながらラジエルに声を掛けた。
 その声はまだしゃがれていて、あの美しかった声の片鱗すら無く、

「…声が……」

 と言ったきり、ラジエルは口を噤んでしまった。


「俺は大丈夫だ、退。この声もいずれ元に戻るって小太郎さんが言ってくれやしたから。それより、小太郎さんに話があんだろう?俺にも聞かせてもらえねェかィ?アン時のお前とアイツの話も俺には不可解なんでねィ」

 ラファエルは喉を庇いながら、ゆっくりとラジエルに言い聞かせるよう言った。

 ラジエルが背後のガブリエルを振り返るとガブリエルは「どうする?お前は良いのか?」と眉を上げて、無言でラジエルに問い掛けた。

「はい。お二人に聞いて貰いたい事があります。ラファエル様も大丈夫であれば、是非聞いて下さい。お聞きになった上で、俺はどうすべきか、お二人の意見を聞かせて貰えますか?」

 ラジエルはそう応え、ガブリエルは椅子をもう一脚、別の部屋から持ってくるとラファエルの寝台の側に腰をかけた。

 ラジエルは淡々と、ルシフェルの言動の不自然さ、ベルゼブブとルシフェルの関係に疑問を持った事、そこから導き出された推理。ミカエル、ルシフェル、ベルゼブブの過去を知った一冊の本。
 そして神殿で神から聞いた真実。その後に己がどう動いたのか。そしてルシフェルの狙いとその結末。それを順を追って話していった。



「…何ということだ……」

 話を終えるとガブリエルは口元に手を当て茫然としている。
 ラファエルは暫く何も言わず、ただじっとラジエルをみつめていたが、

「なるほどね」

 と呟いた。

「驚いてないのか、総悟殿?」

 ガブリエルがそう言うと

「…いや、そりゃ俺も過去にそんな事があって、しかもあの三人の関係がそもそも創られた関係だったなんて正直信じられやせん。けど、納得出来たってェのかな…単純に言やァ、旦那は護りたかった。アイツ…晋助さんは辛かった。十四郎さんは…知らなかった。それを繋いだのが「神からの使命」だったんでしょ?まあ、やり方が正しかったとは言いやせんよ?でも…もし俺が旦那の立場なら、同じ事をしたかもしれやせん」

「!!総悟殿!!」

「あ、いや、気持ちはわかるってだけでさァ。俺は神に叛逆出来る程、力もカリスマも有るわけでもねェし、神への愛を失くしてもいねェですから。ただ、旦那の苦しみや絶望は理解出来なかねェなって」

「……………」

「…で、お前はその旦那と十四郎さんを止めようとしてたっつーわけだな、退」

 ラファエルは優しい瞳でラジエルに言った。

「…はい。でも、そのせいでラファエル様は」

「んな事気にする必要はねェだろ?こうして俺ァ生きてるし、小太郎さんが付きっきりで居てくれてるんだ。俺的には万々歳じゃねェか」

「何を言ってる!俺がどれだけ心配したか、わかっているのか!」

「ククッわかっておりやすから。もう無茶はしやせん」

 ガブリエルはラファエルを嗜めたあと、ラジエルに向かい

「で、お前はこの話を十四郎殿にすべきかどうか、そう聞きたいのだな?」

 と静かに言った。

「はい。あの時は俺はもう必死でしたから、駄目です、いけませんとしか叫べなかった。もう少し早ければミカエル様の剣がルシフェル様を斬る事はなかったかもしれないんです。けれど、実際は間に合わなくて、その後あれがルシフェル様の謀だと気付いてしまったミカエル様は……」

 その情景を思い出しラジエルの双眸に涙が揺れる。

「……うーむ。しかし気付いてしまったのなら、十四郎殿は、銀時が何故その選択をしたのかはっきり知る方が良いのではないか?愛があるのに何故別離を選び、自分に斬らせたと悩むより、愛があったからこそ自分に斬って欲しかったと知る方が、まだ良いのではないか?どちらにしても辛い事に変わりはないが」

「…そう、思われますか?」

 しかし、考え込む二人を暫く眺めていたラファエルが言った言葉で、ラジエルは更に眉を寄せる事になった。

「…ちょっと待ちなせィ。アンタら、本当に十四郎さんが致命傷を与えたと、そう考えてるんですかィ?」


   ***** 

     
 確かにそうだった。ミカエルはルシフェルさえ居れば何もいらないという程に愛していたわけで、だからこそ使命と愛情の狭間で悩んで苦しんだはずなのだ。
 しかしあの場で見たのは血に塗れたルシフェル。そのまま落ちていったルシフェルと、生気を失くしたミカエルだった。

 滑り落ちた剣はべったりとルシフェルの血が付いていたし、斬った事は間違いないのだが。
 ミカエルはルシフェルの謀には気付いていなかった。だからこそ、それを知った途端、蒼白になり言葉も出ない程打ちのめされたのだと思った。

 が、それだけでは無かったのか?本気で斬ったにせよ、違うにせよ、いずれの選択でも問題が無くなる訳ではなかろうが、仮にラファエルの言葉が本当なら、非常に難しい問題になってしまう。自分の知るミカエルならば、どちらを選んでもおかしくない事も頭を悩ませる理由なのだが。

 しかし、その事と真実を告げるか否かはまた別の話で、悩んだ末に、やはり裁きが終わったらミカエルに真実を告げようとラジエルは決心していた。



 その日、公務が終わる時間を見計らってラジエルは執務室を訪れた。
「入れ」と返事があり、部屋の中へ進むとミカエルは椅子に腰かけたまま窓から夕闇をみつめていた。

「…退。お前と話をしたら、俺は神殿へ行って来る」

 背中を向けたままミカエルはそう言った。

「神殿へ?」

「ああ。…で、お前の話は?」

 (何故神殿へ?)

 自分の感覚が嫌な感じを伝えてきたが、まずは己の知る真実をそのままに伝えようと悪い予感を追いやる。

「…ミカエル様。これから話す事はもうガブリエル様とラファエル様はご存知です。しかし貴方にお伝えした後は、俺は封印するつもりでいます。此方へお座りいただけますか?少し長い話になりますので」

「…封印?大袈裟だな」

「はい。でも聞いていただきたいんです」



 訝しげな顔をしながらも、ミカエルは頷き、ラジエルと向かい合う形で執務室のソファに腰かけた。

「俺が別件で動いていたのは、あの戦いを止めたかったからなんですが、どうしても気に掛る事があったからでもあるんです…」

 ラジエルはそう切り出し、剣をとる代わりに何をしていてまたベルゼブブと遭遇したのか、何故ルシフェルとミカエルが居た場所まで辿り着いたのか、感情を交えぬよう話していった。

 話を終えると、ミカエルは暫く何も言わず、磨かれた床から視線を上げなかった。

 話はしたものの、何と声を掛ければ良いか思案していたラジエルもその沈黙が辛くなり、ミカエルの足元をただみつめていた。

 すると、フッと笑い声らしきものが聞こえ、ハッとして面を上げる。

「…随分、馬鹿げた話だな」

「えっ…」

 ミカエルの口から出たとは思えぬ台詞にラジエルは驚愕する。

「俺は、特別な何かになりたいと思った事はない。恵まれていたからこそ、そう思えていたんだと思うがな。俺はただ、使命があり、兄上がいてお前達がいて…無論晋助もだぞ?ただそれだけで幸せだった。それが幻想だったという事だろう?」

「!!それは違います。こんな風になってしまいましたが、貴方の感じておられた幸せは、幻想なんかじゃない」

「…そうか?」

「そうですよ。ルシフェル様は確かに貴方を愛しておられた。最期まで貴方を護ろうとしておられた。それすらルシフェル様がご自分の「使命」で選んだと、そう言うおつもりですか?それなら何故ルシフェル様は貴方に文と羽根を残されたんです?何故あの時微笑まれたんです?」

「…退……」

「神がどんな意図で貴方たちをお創りになったのか、そこまでは俺もわかりません。けど、ルシフェル様は、多分ベルゼブブ様も抗いたかったんですよ。叛逆したかったのではなく、運命に抗いたい程、愛する者があったんですよ」

 言いながらラジエルの瞳から止めようもない涙がポロポロと零れ落ちていく。

「彼等もまた、ただの天使でいたかったんですよ。貴方と同じように」

 貴方と同じように苦しまれたんです、きっと。



「…お前は赦せるのか?お前は……」

「北の一件ですね、俺の。俺は貴方とルシフェル様の所へ行く直前まで、ベルゼブブ様に捕まっていたんです。ラファエル様に助けられましたけど。でもね、その時あの人は俺を痛めつけはしなかった。話を、しました」

「晋助と?」

「はい。まあ、穏やかにってわけにはいきませんでしたけどね。けど思ったんです。あの人がどんな闇の中で生きて来たのか、どんな哀しみの中にいたのかって。赦せるかと言われたら、正直わかりません。けど、今、理解は出来ます」

「お前……あんな…」

「忘れたいと思っても忘れられっこないけど、でも、うん」

 赤くなった目元を腕で拭い、ラジエルは笑って見せた。

「だから貴方も、ご自分の所為だなんて思わないで下さい。創られ、隠されてきた「使命」が戦いを生んだけれど、貴方の所為じゃないんですから。前にも言いましたが、皆、それぞれ護るもののため、戦った。わかりませんが、あの二人が護りたかったのは、きっと何も知らず幸せに「貴方の傍にいたその想い出」かもしれないんですから。ベルゼブブ様のそれは随分と歪んでしまってましたけどね。そう思っていただけませんか?」

「敵わないな、お前には…」

 ミカエルは苦笑する。

「俺はただ…ルシフェル様を裏切り者だとか、叛逆者だとか、貴方にそう思って欲しくないんです。この天界の天使達にとって確かにルシフェル様は叛逆者です。けれど、貴方には、貴方を恋焦がれ、貴方を愛し苦しんだ、ただのルシフェル様だと思っていて欲しいんです」



 ミカエルはラジエルを優しくみつめ、そっと立ち上がった。そのままゆっくり扉の方へ歩いていく。

「!ミカエル様?」

 出過ぎた事を言い過ぎたのかと慌てたラジエルを振り返り、ミカエルは言った。

「…これから神殿へ行く。俺自身の罰を受けに行く」

「罰って何です?あの戦いは貴方の所為じゃ…」

「…それもあるが…。お前には見えなかったか?」

「何がです?」

「…俺はあの時、兄上の片翼を斬っただけだ。というより、本当の意味で兄上を消す事は出来なかった。あの状況で、「使命」を果たせなかった」

「…えっ、でも…」

「多分あれが兄上でなければ、あのまま意識を失い、落下していく途中で確実に息堪えただろうな。天使にとって翼を失くす事は瞳を失うに等しい、だろ?」

「はい、でも…」

「俺が兄上を斬った事に変わりはないが…二度と会えなくてもいい、何処かで生きていてくれればいい、兄上ならば可能かもしれない。俺は存在を消す事よりもあの瞬間、それに賭けた。それが俺の罪だ。「正義と公正」それを司る天使にあるまじき行為だ」

「…ミカエル様…」

「神はご存知だろう。その上で戦いの敗者を俺に裁かせたのだと思う。それも終わった今、俺は此処には居られない」

「そんな……」

 今やラジエルも立ち上がりミカエルを止めようと腕を伸ばすが、その手は躊躇い、やがてゆっくり降りていった。
 ラファエルの言った通りだったのか。
 どこかでその事に安堵を覚えたが、ミカエルの言うように、天使としての罪は罪だろう。そしてミカエルにとっては、どんな理由で選択したにせよ、愛するものに手をかけた事に変わりなく、また使命を放棄した事の大きさを誰よりわかっているはずなのだ。

「…どんな罰を…」

「夕暮(トワイライト)へ」

 迷いなく言われたその場所を聞いてラジエルは、背筋の凍る思いをした。

「で、でも…あそこは…」

「ああ、わかっている」

 しかしそう応えたミカエルには憂いは見えず、感情が読めない表情の中に、何処か嬉々とした様子を感じ取り、ラジエルはどんな手立てをしようが、その決意は覆せないとわかってしまった。

 と、同時にあの時神に乞うた願いをミカエルが去った後もう一度願い出ようと決心した。


「…ミカエル様。俺はずっと貴方のお帰りを待ってます」
 
 ラジエルは真っすぐミカエルをみつめると、はっきりそう言った。

「……………」

「待ってます。何故なら俺は……」

 自分は本当に憶病者だと罵りたいが、やはりそれ以上言葉が続かない。

 悔しくて唇を噛むラジエルを、ミカエルは下から覗き込むようにしている。
 その視線を痛い程感じたラジエルは、顔を顰めたままミカエルにゆっくり視線を合わせていく。



 すると、あれ以来叶わなかった、あの見るもの全てを魅了する微笑みが目の前に現れた。

「!!!」

 そのまま、夢にまで見たミカエルの腕にラジエルは優しく抱き締められ、硬直したまま声を失った。

「…ありがとう、退。皆によろしく伝えてくれ。お前も無理をするなよ」

「ミ、ミカエル様こそ…」

 真っ赤になり、しどろもどろのラジエルに、ミカエルは「俺は大丈夫だ。これがあるから」と一枚の羽根を見せ、悪戯っぽく笑うと、未だ硬直しているラジエルの頭を撫で、執務室を出て行った。



 残されたラジエルは、たった今見ることが出来たあの微笑みと、白い花の薫りがまだ微かに香るミカエルのあたたかい腕を記憶に留め、決して消えてくれるなと願い、胸に手をあてた。








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