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月の残り香
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 ガブリエル、ミカエル、と共にクレイモア(両手持ちの大剣)を振りまわしていたルシフェルは、突然乱入してきたラファエルに捕まり予定外に身体を酷使し、笑いながら「降参、降参」と草の上で大の字になっていた。

 三人は「汗を流しにラファエルの滝へ行こう」と誘ったが、ルシフェルは断り「後から追いかけるから先に行っててくれ」と言うと、そのまま流れていく雲を眺めていた。

 ラファエルはこの所ぐんぐんと剣の腕をあげていて、最早遊び半分で構う事が出来なくなっている。



「まーねぇ、ヅラがお師匠さんだしよ、元々センスもあんだろ、アイツ。けど、やっぱこんな必死になんのは……クククッ」

 必要以上に大きな声で独り言を言っていると

「…よぉ、銀時。誰が何に必死だって?」

 と頭の上から声がした。

「おー!晋ちゃん、久しぶりだな!つかお前、相変わらず気配消すのうめぇな」

「ったくお前はよぉ、俺が気配消すの苦手だったら、仕事になんねぇだろーがよ」

 呆れたようなベルゼブブの声に、ふふふと笑うとルシフェルは「よっこらせ」と身体を起こし、そのままスウッと羽ばたくと近くにあった程良い木陰をつくる木の枝に足をブラブラさせながら座った。

 心地よい風に吹かれていると、その木に凭れていたベルゼブブがルシフェルに問うた。

「…なぁ、皆元気か?」

「んだよ、お前見てたんだろ?今日は退は書庫に籠りっきりらしーけど、皆元気だよ。お前も隠れてねーで、皆に会えば良かったじゃねーか、たまにはよ?十四郎も顔には出さなくても、きっと喜んだはずだぜ?」

 笑ってルシフェルは言った。

「……………」

「ん?どした、晋ちゃん、何かあったんか?」

 応えぬベルゼブブをチラリと見た後、視線を遠くへ向けてルシフェルは問い掛けた。
 ベルゼブブはしばらく自分の足元を見ていたが、クイッと顔をあげると

「…なぁ、エデンの事、お前どう思う?」

 と何の感情も表わさずルシフェルに聞いた。

「ん?まっ、いーんじゃねぇの?何で「ヒト」がエデンみてぇなでっけぇ地所貰ってんだか、俺はわかんねぇけどな」

 太めの枝に腰を掛け、まだ収まらぬ汗を拭いながらルシフェルは応えた。



 エデンを創り「ヒト」を其処で住まわせる事に、最初は他の天使達と同じよう戸惑いも覚えたが、ラファエルのあの言葉で特に気にする必要もないと考えていたルシフェルは、当然その一件を知ってるだろうベルゼブブが聞いてきた事に驚きはしたものの、何気なく返事をした。

 暫くその返事の意味を考えていたベルゼブブは、少しだけ躊躇するように眉を顰めた後、ルシフェルに話しだした。

「…俺ぁ、こんな事やってるからよぉ、色んなとこで、色んな話しを聞くわけなんだが、ちょっといただけねぇ話を小耳にはさんでよぉ」

 続けて?とルシフェルは頷く。

「あれな、神の実験らしいぜ?」

「はっ??」

「…だから。実験。「ヒト」ってヤツが、この天界と同等の場所で住む資格があんのかどうか、試してるみてぇだな」

「いやいや、晋ちゃん、お前何言ってんの?だってアレだろ、「ヒト」だって、神が創ったもんじゃねーかよ。そりゃ、俺ら天使とは違うって、総悟くんが言ってたけどよ?自分で創ったもんに、実験って…んな事あるかよ。だったら最初っから、そこに相応しいように創りゃいーじゃん?神は万能なんだからよ?んな事言ってっと、お仕置きされっぞ?」

 ルシフェルは揶揄うように言った。



「…まぁな。けど、あながちただの噂じゃねぇみてぇでよ」

「コラッ、晋助!どっから聞いて来たのか知んねーけど、んな事信じちゃダメじゃねーかよ」

 ルシフェルは大袈裟に顔を顰め、子供を叱るようにベルゼブブに言って聞かせた。
 しかし

「信じねぇの?じゃ、これ当たったら信じるか、銀時」

 と少し媚を売るように微笑んで見せると

「…神がな。摂政を置くらしいぜ?それも「ヒト」のな」

 これでどうだ?と重ねて言った。

「…えっ?」

「多分、それ程遠からず発表されるだろうよ。神の右手に座るとしたら、それはお前だと誰もが言ってるけどな、お前じゃねぇらしい。俺達より劣る「ヒト」らしいぜ?エデンにいるヤツじゃねぇみてぇだけどな。それが当たったら、さっきの実験云々って話も信じるだろ?同じ出所だしよ。これってどうなんだろうな、銀時。お前どう思う?」

 口をポカンと開けたまま、応えられずにいるルシフェルをしばらく見ていたベルゼブブは、クスリと笑い、「また仕事の切りのいいとこでお前に会いに来るからよぉ?皆によろしくな」

 と言うと、翼をはためかせ東の方向へ飛んでいってしまった。



 もうすっかり汗は乾き、風が少し冷たく感じた。

 しかし何となくその場から動けずにそのまま枝に座ったままでいると、遠くから己を呼ぶ声が聞こえる。

 ハッと我に返るとミカエルが此方へ飛翔して来るのが見えた。


   *****


 些細な事だと思っていた。特に「ヒト」に対して好意があったわけでもなかったが、かといって悪意を抱く理由もなく、多分己にとってはどうでも良かったのかもしれない。

 エデンは天界よりも小さいとはいえ、それでも「ヒト」二人にとっては広すぎるとは思ったが、己の毎日に不満を感じた事もなく、何かあったら守ってやろう。 多分そんな風に思っていただけだった。だからベルゼブブの話も、あの時信じてはいなかった。ただの噂だと。
  
 しかし、ベルゼブブの言った通り、神が「ヒト」を摂政に置くと宣言した時、ルシフェルの心にどろりとした何かが生まれたような気がした。

 どうしても己が神の右手に座りたかったのではない。けれど、それまで、多分ミカエルよりも神に近いと自負していた。
 勿論、神に全てを相談されていた。というわけではないが、天使達への通達、新しい天使の誕生、下界の様子、それらはまずは神からルシフェルに告げられていたからだと思う。

 考えてみると天界に関わる「ヒト」の事は何ひとつ告げられなかった。エデンの時はそう気にしていなかったが、摂政は別だ。神の右手に「ヒト」を選ぶ意図もわからない。

「完全なものとして創ったが、不変不動ではない」

 そういう位置づけの「ヒト」が、神の一部である天使達の上位につくのか?
 神のご意思に逆らうつもりはないが、その理由がわからない。

 理由を考える時点でベルゼブブの謀に嵌ったのだが、それにルシフェルは気付く事が出来なくなっていた。



 北で祝典を、と言いだしたのは、偶然だった。

 摂政を祝いたいと思ったのも事実だし、ミカエルと勝負事をするのも楽しいだろうと軽く考えていたのだと思う。
 そして、一人になりたかったのだと思う。「実験」の意味、「ヒト」を選ぶ意味。

 それをその時ミカエルに伝えていたら何かが変わっていたかもしれないが、それを伝える前に北へ訪れたベルゼブブの告白で、輝いていた世界は幻想となってしまった。



「だから言ったろ?ただの噂じゃねぇよ、って」

 いつものようにフラリと現れたベルゼブブは笑って言った。

「神は実験がお好きなのさ」

 祝典の準備をする天使達に混じり、自身も汗をかいて笑っていた時、耳元で言われたその言葉にルシフェルは顔を顰めた。

「…晋ちゃん、手伝いに来たんじゃねーの?」

 用心深そうな顔をしてルシフェルは応えた。

「あ?…まぁな。手伝いっちゃ手伝いに来たんだがよぉ?ちょっとお前に話があるんだ。少し時間取れねぇか?」



「………。嘘、じゃねーんだな」

 ルシフェルの表情は巧みに隠されてはいるが、その紅石だけが胸中を語っている。

 それはそうだろう、自分が今まで、多分これからもチェス盤の駒のひとつだと聞かされれば、笑ってなどおれまい。
 しかもエデンと摂政の件で、自分の言葉がどんなに突飛に聞こえようが真実の色をみつけてしまうだろうから。

 ベルゼブブは笑いが込み上げるのを必死に抑え、殊更悲観に暮れる顔をする。

「嘘で言えるか?お前は摂政の器だと誰もが信じてる。なのに、俺達に劣る「ヒト」がそのポジションに就くってのは、それが答えじゃねぇの?俺とはまた形は違うがよ、お前は十四郎の道具に過ぎねぇの。お前はお前だけで価値がねぇんだよ、残念な事にな。お前らが双子で生まれたのも、絆ってやつでお前が十四郎の盾になるって予想されただけでよ、お前は使い捨てなんだよ、俺と一緒でな。別に誰でもいいんだろ?お前でなくても」

「…俺は、そんなんなくたって、十四郎を護るだろ?」

 此方を見るその瞳は何かに縋ろうとしているようで、ベルゼブブの心に歓喜が生まれる。

 堕ちろ、堕ちてこい。そう考えながらも悲しい顔をして応える。

「お前はな。十四郎を愛しているからな、そりゃ護りたいよな?けど、その全てを十四郎が知ってたとしたら?お前の本当の使命もわかってた上で、お前の愛情も知っていた上で、知らない顔をしていたら?」

 ルシフェルがハッとその瞳を見開く。

 (ああ、そうだよ、捨てちまえ。アイツに最初から裏切られてたと思っちまえ。俺がこれから傍にいるから)

「今更、神の愛なんか俺達にあると思うのか?天使としての誇りも、俺達個人の誇りも、生まれた時からなかったんだぜ?いいか?元々俺達は『十四郎がミカエルとして在り続けるために』それだけで創られた存在なんだ。…なあ、銀時。お前悔しくねぇか?神に一番近い存在であるお前は、自分の存在価値をこのまんま埋もれさせていいのか?俺達はそれぞれ、理由は酷ぇがよ、それだけの力を持ってんだ。実験やゲームや気紛れでよ、運命を持て遊ばれていいのかよ」



 (それは嫌だ。己は何も知らずただ創られたシナリオの使い捨てになるのは嫌だ。その気持ちは正直な気持ちだ。けれど、けれど……)



「…考えさせてくれ」

 ルシフェルはポツリと言った。

「銀時、お前まだ神の愛はあるなんて、そう思ってんのか?俺の話を信じたくねぇのはわかるけどな」

「……そうじゃねー。そんなんじゃねーよ。多分ホントにエデンは実験なんだろうしよ、俺の使命もお前が言う通りなんだろうな。…使い捨て…なんだろうな……」

「じゃあ、何を考えるって言うんだよ」

「…全てが嘘だったとしても、俺は…」

「お前は?」

「…俺は…アイツしかいねーんだ。だからよ?考えさせてくんねーか?俺は生まれてこのかたアイツしか見てこなかったしよ、確かにお前の話はショックだよ?けど、悔しいけどな、んな簡単に割り切れるもんじゃねーのよ、困ったことにな。だから、時間をくれねーか?」

 その言葉にベルゼブブは感じた事のない怒りを覚え、それが今此処にいない男への「嫉妬」だとわかったが、理解のある友の顔を取り繕い笑ってわかったと応えた。

 そう待たずともルシフェルは堕ちるだろう。

 ミカエルへの愛情が強ければ強いほど、疑念も強くなるだろう。そしてこの身が経験したように、愛を裏切られた痛みはじわじわと侵食するはずだ。

 以前のルシフェルならば、「考えさせてくれ」とは言わず、ハッキリ拒否しただろう。
 迷いを口にしたと言う事は、完全無欠に見えるこの男の気持ちがぐらついているという事だ。


 ああ、くそったれな神が、エデンを創ってくれて本当に良かった。あれがなきゃ、自分は日陰者のようにただ一人で苦しむだけだったじゃないか。

 何も知らない状況で、ミカエルを抹殺したとしても、ルシフェルは手に入らない。それどころか間違えば自分だけ殺されて終わってしまう。

 ルシフェルを敵にはしたくない、愛しているのだから。
 そうだな、愛しているんだろう…多分。

 ああ、感謝だ。成人した日に全てを失って、ただ暗闇に一人佇んでいたが、天使にまるで劣る下等な「ヒト」を抱きしめてやりたいくらいだ。

 久しぶりに自分は幸せだ。


   *****


 知らぬ間に寝ていたらしい。

 月は太陽の光で白くぼやけ、今にも沈んでいこうとしている。

 窓の外では早々と兵士達が煮炊をはじめ、細い煙が幾筋か立ち昇っている。

 遠くに神の神殿が見え、それより少し手前にあるだろうミカエルの四阿に想いを馳せる。
 ベルゼブブはミカエルが全てを知りながら知らぬ顔をし続けたのではないかと言ったが、そうは思っていない。
 だてに「高潔」を背負う男ではないのだから。嘘を嘘のままにするとは思いたくない。それも願いにすぎないのを知っているが。

 ただ、どうにもならないと思いつつも、今までの自分の想いに嘘はなかったとそれだけは信じて欲しかった。
 神に叛逆するのはミカエルを敵にする事だとよくわかっている。
 そしてミカエルと自分との関係が元々創られたものだとも今は承知している。
 それ故に傍には居られなくなった。馬鹿なプライドだけれど。

 けれど、運命をもて遊ばれた事は事実だ。ベルゼブブも己も、そしてミカエルも。
 それに対する怒りは本物だ。この見せかけの楽園など壊してしまえるくらいに。

 ミカエルが居なければ己の存在理由はない。

 わかっている。

 しかしミカエルの傍に居ることも最早出来ない。苦しさに耐えきれずきっと話してしまうから。それを知れば誰より苦しむのがあの男だと知っているのに、きっと黙っていられなくなる。だから出来ない。戻れない。そう思って今まで動いてきた。だから…

 ミカエルに消してもらおう。裏切り者として、憎むべき者として。
 己が本気で斬りかかれば、きっとミカエルは躊躇しないはずだ。



 窓の外から兵士達の争う声が聞こえる。何やらレイピアかフランベルジュかどちらが剣として優れているか、などとくだらない言い争いをしているようだ。
 馬鹿なことを、と眺めていると、ベルゼブブが庭に出て叱咤しているのが見える。
 すると、ベルゼブブが此方を見上げ、何かを問い掛けるような眼差しを寄越した。
 とてもそんな気分ではなかったが、笑って手を上げると、「お前も降りてこい」と言っている。
 わかったと頷くとまたベルゼブブは兵士達に何かを話し出した。

 さて、これから大きく動きだすために、『暁の輝ける子』としてその力を存分に発揮させてもらおう。

 これがその名の天使の最期となるのだから。



 ルシフェルはもう一度、四阿が在るだろう場所に視線を向けると、決然とした表情でハッキリとその言葉を口にした。


「……覚悟はできている。……さよならだ、十四郎」


―第4章・終−




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