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月の残り香
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 それから暫くは何もする事が出来ず、病人のような顔をして過ごしていた。
 そして庇護者だった天使の言葉を繰り返し考えた。

 あまりに唐突で、あまりに時間がなく、一方的で叩きつけられるよう告げられた言葉の数々。

 しかしわかった。何故抱きしめる腕が自分になかったのか。

 皮肉な事に、「一人の天使のために存在を許されている自分」のためだけに存在する天使を神は創ったのだろう。
 それすらも、ミカエルを守るためだとも言えるのだが。

 目の前で塵となったその天使の姿は、神の理不尽な使命が存在する証拠だ。
 いくら自分が使い捨てだろうと、庇護者に情はあった。

 それすらも無情に奪っておいて、使命が愛である。
そう思えというのか?

 他に相談できる相手もなく、出口は見つからず、ベルゼブブの気持ちは時間の経過と共にどんどん殺伐としていった。



 その頃からベルゼブブには生傷が絶えなくなる。
ミカエルに気付かれぬよう傍に居て、不埒な者を排除する際に傷を受けたこともあったが、それ以上に血に飢えたからでもあった。

 膨大な数の天使が住まう天界ではその数に比例するように罪を犯す者もいた。
 大抵はウリエルのような仕置人が罰を与えていたが、だからといって重罪がないわけでもない。
 頭の回る天使は、ベルゼブブに存在を消されるよりはと、堕天する事を選ぶ。
 堕天して行く所は下界ではなく地獄だと聞いていたが、其処がどのような酷悪な場所であれ、何かがあるのだろう。

 ベルゼブブ自身はどうでも良いと思ってはいたが、ただあの日から胸の内に巣食う混沌を追い払いたくて、気がつくと自分も返り血で真っ赤になる程になっていた。
 どれだけ斬っても治まらず、しかしその天使の断末魔の叫びや恐怖に慄く瞳を見る度に、かろうじて自分の存在を確認できた。

 疎遠になったミカエルが気付く事はなかったが、鬱々とした空気を纏い、ついた傷すら気にかけてないようなベルゼブブが気になったルシフェルは、ある日ベルゼブブに問い掛けた。



「…お前、何で最近いつもいつも、傷こさえてんの?十四郎には言ってねぇけど」

「…………」

「なぁ、何で?俺にも言えねぇ事?十四郎に黙ってたら教えてくれる?最近、お前十四郎のこと避けてるしよ、何かあったか?」

 それまで一人で抱えた辛さに堪えられなくなり、心配そうなルシフェルに、この時つい言ってしまったのだと思う。

「…俺は…、俺の使命は…影だから…」

 ベルゼブブの頬についた血を拭おうとしていたルシフェルがその動きをピタリと止めた。

「…影?いやいや、だってお前の使命はアレだろ?悪いヤツを成敗するって、そーゆーヤツだろ?それがうまくいかなくて暗ぇ顔して傷こさえてんじゃねーのか?」

 そんな使命は聞いた事がない。影?何の影?

 ルシフェルのその表情から考えを悟ったのだろう。ベルゼブブは諦めたように話を続けた。

「…そう。俺の本当の使命は十四郎の影。いつも十四郎の側に隠れて居たろぅ?俺の本当の使命は十四郎を狙う奴から、代わりに殺されること。ついでに言うと、お前が言う通り掟を破った重罪の天使の存在を消すのも使命。それが俺の存在理由…わかったか、銀時?」

 だから、十四郎と慣れ合っちゃいけねぇの。餓鬼の頃は見逃してもらえたが、もう無理だしよぉ。とベルゼブブは笑ってみせる。

「ちょ!ちょっと待てよ。存在理由?何言ってんだよ、晋ちゃん?つかさ、んな馬鹿な使命があるかよ!身代わりって…十四郎の?言ってる意味わかんねーよ」

「…アイツは王子だから。王子は何があっても死なせちゃいけねぇし、高潔と正義を貫かなきゃならねぇから」

 そう言いながら、だから何でもないだろと言うように手の甲で頬を拭ってみせた。

「お前、マジなの、それ?冗談じゃねーよ!聞いた事ねーよ?誰かのために死ぬのが使命?ふざけんな!死ぬために生まれた?ありえねーって!ほんとか、晋ちゃん。何でまたそんな使命を、お前が…」

 多分この時のルシフェルの心配そうな顔と、初めて誰かが自分のために声を荒げてくれたという驚きが、その後の想いを作っていったのだと思う。

 ルシフェルは心から同情したのだろう、困った事や辛い事があったら何でも言え、ミカエルとの距離の理由もミカエルに黙っていたいなら話さない。けど、俺達は仲間で友達なんだから、それを忘れるなと優しく何度も言ってくれた。


 自分の使命は、生まれた時からわかっていた。輝く双子の誕生に沸く天界で、ひっそりと生まれた理由もわかっていた。今となっては、理解っていたのはその表面だけだと知っているが。

 「使命を与えられたことこそ神の愛」と教えられていたし、美しい双子の片割れを、決して表だって守ることは出来ずとも、危機の折には身代わりとなる事、所謂汚れた仕事をする事に、あの時まで違和感など感じていなかった。

 けれど、庇護者が塵となり、使命を全うすれば存在が消えるのを目の当たりにした。
 心のもやもやが晴れず、怪我ばかり作っていた自分に気がついて、自分の事のように怒ってくれた時、それでも何とか折り合いをつけようとしていた理不尽な運命を呪い、また同時に「銀」を欲するようになった。

 二人の笑顔は幼い自分の寂しさを埋めてくれていたが、能力が開花した後、誰からも一線を引き、闇に紛れるようになってから差し伸べられた手は、ベルゼブブにとってたったひとつの寄る辺になったのだ。

 「銀」の心は真っすぐに「黒」に向いていたが、その光はともすれば心の全てが闇に染まるような毎日の中で多分言葉にするなら…「希望」だったのだ。

 「銀」は何故自分が「黒」と距離を取るのか、その頃にはわかってくれていたし、「銀」はただ、自分を放っておけなかっただけだと知っていたけれど。

 それがいつの間にか我知らずどんどん強欲になり、常に「銀」の隣に立つ「黒」に対し、怒りを覚えるようになった。


 何故?何故自分ではないのだ。
 どちらが影でも良かったではないか。

 何故生まれながらにして「黒」は愛される?何故自分は……殺されるために生きなければならないのだ。 運命の気紛れでだというだけで、何故自分は隣に立てない?「黒」は全てを持っている、当然のように。自分には「銀」しかないというのに。「銀」さえあればそれで良いのに。
 何故その使命が神の愛だと信じなければならない?

 「黒」は何も知らない。自分が離れていった事に傷つきはしただろうけれど、自分の代わりに死ぬ運命の者がいるなどと考えた事もないはずだ。

 暗殺者である事は公の事実だとしても、隠された事実は、そのために自分を創った神と、思わず話してしまった「銀」と、塵となった庇護者しか知らないのだから。「黒」が知らない理由も、きっと「黒」が心を痛めるからなのだろう。

 ルシフェルの愛するミカエルのためだけに存在する。ミカエルが居なければ意味がない。
 なんて滑稽な話だろう。

「…ここは地獄だ」

 ソファに横になりながら、暖炉の炎を見るともなしに見遣りながら、ベルゼブブは呟いた。

 天使達の楽園は、確かに何も知らない天使達にとって「愛」溢れる楽園だ。
 けれど、自分にとっては、噂でしか聞いた事のない地獄と何ら変わりない。

 自分の中にあった「愛」は手酷く裏切られてしまっている。
 ミカエルに非はないが、何も知らぬ事こそが許せない。何故自分だけが寂しく苦しまなければならない。何故ルシフェルの愛は自分に向けられない。

 何もかもミカエルと自分が逆になれば済む事だろう?

「何も知らねぇ、王子様か。聞いて呆れるな、十四郎。お前と俺は一心同体なんだぜぇ?これからお前にも地獄を見せてやる。覚悟しとけや」

 あの四阿に一人でいるだろうミカエルに向かいそう囁く。

 それから口の端をゆっくり上げると、嬉しそうに喉を鳴らした。




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