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月の残り香
V


 咲き誇る花や青々とした草木は朝露で濡れている。

 朝日がそれにキラキラと反射していた輝かしいその朝、幼いルシフェルとミカエルは手に手を取り合って爽やかな草原へ駆けて行った。

 生まれたその日に初めて互いを見た時から、他の誰も入り込めないくらい仲の良かった二人はどこへ行くのも一緒だった。

 天界ではそれまで双子が生まれる事はなかったため、半分は珍しさもあって、周囲はこの美しい双子をとても可愛がった。

 
 「暁の輝ける子」として生まれたルシフェルは、その名の通り朗らかで、くるくる跳ねるその銀髪をさらに跳ねさせるかのように快活に動き回る。その様子を見ているだけで天使達に笑みが浮かび、まさに「光の使者」だと噂されていた。

 一方「神の御前の王子」ミカエルは幼いながらも類い稀な美しさがあり、庇護したいと願う者が後を絶たなかった。恥ずかしがりやで、すぐ兄ルシフェルの後ろに隠れてしまうが、そこから覗く大きな黒い南洋真珠を一目見たいと願う天使が列をなす程だった。

 大抵、幼い天使は有力な天使の庇護下に入り、成人するまで愛情を持って育てられる。
 しかし、幼いルシフェルはその全てを断った。



「いーんだ。おれたち二人でいれば、それでいーの。だって、とーしろが怖がるもん。大人たちがいたら」

 まだあどけない顔をしているルシフェルが胸を張ってそう言うと、天使達は渋々諦め、それならばせめて、と居心地のよい四阿作りに精を出すはめになったわけだ。
 さて、どんな可愛い住まいにしようかと天使達が賑やかに話している時も、

「えーとさ、タタミってやつと、ショージってやつが欲しい。寝るとこはおっきなベッドが欲しいけど、あと、エンガワってやつも作って」

 ルシフェルがニッコリ笑って言うので皆が面喰ってしまった。
 聞けばミカエルが欲しいと言っていると言う。

 勇気のある天使がルシフェルに「それが何だかルシフェル様はご存知なんですか?」と問うと、薔薇色の頬にえくぼを作りながら

「知らないけど、とーしろが欲しいって言ってるから、おれも欲しい」

 と応えた。

 天使達はしきりに西洋風の可愛らしい住まいを薦めたが、ルシフェルは頑として譲らない。
 ではミカエル様に直接お話しして…と切り出した天使はルシフェルの紅石色の瞳で睨まれると、顔を真っ赤にし、「申し訳ありません」と謝るしかない。

 そんな攻防戦を繰り広げながら造られた四阿は二人にとって秘密基地のようで、いつもおでこをくっつけ合ってはクスクス笑って過ごしていた。



 野原を駆け回っていると、ミカエルがふと足を止め後ろを振り返っている。そして笑いながらまだ駆けていくルシフェルを大きな声で呼び止めた。

「ぎーん!待って!待ってよ!ねぇ、あそこに誰かいるよ?あの子ひとりなの?」

 ミカエルの声に振り向いたルシフェルは、そのままミカエルが指差した方へ駆けて行く。慌ててミカエルもそれに続いた。

「ねー、お前だれなの?お前いっつもいるね」

 まだ肩で息をしながらルシフェルが声を掛けた。

「…………」

 太陽の光で暗い紫色に光る黒髪をした少年は、チラリとミカエルとルシフェルを見たまま何も応えない。

「ねぇねぇ、ぎん?この子いっつもいたの?君はだぁれ?」

 ミカエルは今日初めて気がついたらしく、大きな目を更に大きく開きながらも恥ずかしそうに微笑みその少年に問いかけた。

「……おれ、おれは、しんすけ。お前たちが生まれてすぐにおれも生まれたの」

 ルシフェルも知らなかったらしい。口をぽかんと開けて、少年を見ている。
 おれ達のすぐ後?今まで聞いたことなかったけど。

「じゃあ、おれ達友達になれるね、しんちゃん。しんちゃんって呼んでもいーい?しんちゃんの目はきれーだねぇ」

 ミカエルは驚きもせず、同い年の友達がいたと喜んでいる。

 少年は困ったような顔をルシフェルに向けたけれど、ミカエルの言葉に照れたように顔を赤らめ、

「…いいの?」

 とルシフェルを見上げた。

 ルシフェルはその顔に寂しさを感じ、自分はミカエルがいるから寂しくないんだなと思いながら、少年の手をとると、笑って応えた。

「うん、おれ達と一緒にあそぼ?しんちゃん!」


   *****


 幼いあの日、幸せそうに無邪気に笑う二人を見て、堪らない羨望を覚えた。

 勿論自分にも庇護者はいたのだが、それは愛情というよりも義務の色が濃く、あるいはベルゼブブが暴走しないよう監視する意味もあったのではないかと今は思っている。
 手をあげるわけでもなく、恵まれた環境で育てられたが、「愛おしい」と抱きしめられる日々とは無縁だった。
 
 その天使が何故自分を庇護下に置いたのか長い間知らなかったが、ベルゼブブが成人した後に聞かされた事で全てが繋がった。



 あの日、その天使はベルゼブブを呼び、そこに座って話を聞くようにと小綺麗に片づけられた食卓の一脚を示した。

「お前はもう、一人でしっかり使命を果たせるようになったと判断したので話しておく」

 その天使は淡々と切り出した。

「お前の使命は、お前もわかっているように、ミカエル様の影だ。命を賭してあの方をお守りしなければならない。そこまでは知っているな?」

 それ以上に何があるのだ?という顔でベルゼブブは頷く。

「それが何故だかは知っているか?考えてみた事はあるか?」

「…それが、何故だか?俺の使命…その理由?」

「そう、その理由。…ミカエル様は高潔と正義を司るお方だが、彼は神の代弁者でもあるのだ。公にはしていないし、ご本人もご存じではないだろうが。つまり、神と等しくはないがそのご意思を受け継ぐ者。そう考えればよい。我々天使は皆神の一部だ、それぞれの使命が示しているように。ミカエル様の使命は、いうなれば神にとって特別なもの、と言えばお前に伝わるだろうか。だからこそあの方は清廉であり、高潔であり、正義の象徴で在らねばならないし、そのように生まれている。光あるところには必ず影が生まれる。しかしミカエル様は影と同一ではならぬのだ。あくまで光の中に居らねば真の清廉などあろうわけがなかろう?その影がお前だ。そしてあの方が光の中で輝き続けるためならばその身代わりに死ぬのが使命。ある意味ルシフェル様とお前は同じだ」

「ちょっと待て」

 ベルゼブブは戸惑いながら、今言われた事の中に聞き捨てならない何かを感じ、遮るように言った。

「十四郎がその使命を果たすためにも、俺が影武者となるのはわかる。それはわかる。でもアンタの言い方は、まるで俺がそもそもアイツにとって必要のない部分として生まれたように聞こえる。俺がアイツを守るのではなく、いらない部分として存在してるように聞こえるんだが」

 それに、とベルゼブブは続ける。

「…俺と同じ?違うだろ?銀時は、神に最も近い者として生まれたじゃないか。アイツは誰からも愛され、神からの寵愛を一番に受けていて、誰よりも美しく強いじゃないか」

「…わからんか?お前が闇としてお守りするように、光の中でお守りするには誰よりも力を持ってなければならんじゃないか。闇は闇に紛れる事が出来るが、光の中でお守りすると言うことは、晒されている中でお守りするという事だ。その役目の者に力もカリスマもなく、魅力もなければその使命を果たすのに都合が悪かろう?彼等を双子として存在させているのが何よりの証拠だ。何故あの二人が双子として生まれたかわかるか?偶然ではない。絆だ。双子の絆はそもそも深いと言う。それがある事で何の違和感もなく、盾になれる。しかしそれだけではまだ弱いのだ。絆がある上で、お守りする方にもミカエル様と同じくらい、でも決して同じではない存在感がなければならない。他者がいたずらにミカエル様には近づけない存在感とでも言おうか」

 淡々と紡ぎだされる言葉はどれも、自分の思考を遙かに超えている。
 知らないうちに震えていた声でベルゼブブは訊ねた。

「…あ、あいつが…十四郎が…、特別だから?。そのためだけに銀時と俺は生まれたと…そう言っているのか?十四郎が代弁者だから?…陽のあたる場所で十四郎を守るために、銀時はアイツと双子で生まれたって言うのか?俺の霊質も能力も、銀時の魅力も力も、それだけでは無意味?というかそのためだけに作られたものだと言うのかよ。…じゃあ、仮にだ。十四郎が居ないとしたら、俺達の存在理由は…どうなるんだ」

「…………」

 長い年月の間、一度もみたことがない憐憫を載せてその天使はベルゼブブを無言でみつめた。
 その表情は言葉にする必要もなく答えを雄弁に語っていた。

「!!だって、そんなのないだろっ!俺はっ!確かにアイツの影だけど。それはわかっているけど、それだけじゃないだろ?違うよな?皆それぞれ使命があるが、そいつは神からの贈り物、愛、だよな?アンタずっと俺にそう言ってきたよな?俺のこの紫の目は神からの愛の証、そうだよな?それは能力や使命に違いがあっても、等しく神からの愛だって、そう言ってたよな?銀時だってそうだ。アイツは、十四郎を愛してるんだぜ?だから護ろうとする………。まさか……それすらも仕組まれてたのか?アンタの言い分で言わせてもらえば、それすらも十四郎さえ守れれば斬り捨てるモンだって聞こえるぜ?…もし本当に銀時が自分のために目の前で死んだら十四郎は狂っちまうよ!それが自分を生かすためだなんて知ったら尚の事。アンタは!アンタは!それすら神の愛だ、意味があるんだって言えるのか!」

「……………」

「…い、いらないのか?十四郎さえ無事なら、アイツが大事にしてるモンなんかどうでもいいのか?そもそも銀時と俺は十四郎がいなきゃ生まれる必要がなかったのか?アンタが十四郎と慣れ合うなと言ったのはこれが理由か?」

「…大きな誤算は、ルシフェル様とミカエル様が互いに愛情を持たれてしまった事だ。深い愛情を。ルシフェル様やお前がいなくなった後、その愛情が深ければ深い程ミカエル様は苦しむだろう?無理に引き裂くわけにもいかない愛情を持たれてしまった限り、ルシフェル様が真実の使命を知る事もなくなったわけだが。本来ならば、お前がこれを聞いてるのと同じタイミングでしっかりお伝えすべき事だったのだがな…。使命を知らずとも、ルシフェル様はその愛情でミカエル様をお守りするだろう。そう、神は判断されたようだな」

 そうなのか…。そうだったのか。ルシフェルと仲良くするのは何も言われず、ミカエルと仲良くするなと言われたのは、影だから。ではなく自分は居なくなるのが前提で、そして関係が近ければ近い程、俺ではなくミカエルが傷つくから。

 だから近づくなと言っていたのか…。俺じゃなく。
 …俺の気持ちじゃなく。

 最初から全てシナリオは出来ていて…。

 護るのが使命だと考えていた時には、それに誇りを覚えていられた。たとえ影だろうが、汚れ仕事をしようが。いつか身代わりに死ぬ事もあるだろうと思ってはいたが、ミカエルの存在がなければ無用だとは思っていなかった。
 仕置きをする天使、慈愛の象徴である天使、著述家、旅人の守護者。皆その使命を謳歌している。永久不変だとは言えなくとも、その存在に意味がある。

 自分とルシフェルにも意味はあるが、他の天使達と同じではない。使い捨て、なのか?

 例えばガブリエルは、神の英雄、神のメッセンジャーだが癒者で在ろうとするのはガブリエルの意思で、使命とはいえない。
 けれどガブリエルの使命は必要とする全ての存在が対象で、きっといつまでもその使命と自分の意思を誇らしく思いながら過ごしていけるはずだ
 。誰に恋しても誰を愛してもそれはガブリエルの意思で、創られたものじゃない。



 切ない憧れをもって、陰からいつも二人を見ていたベルゼブブに、二人は光の下で自分に手を差し延べた。
 恥ずかしがりやの「黒」は、確かに「銀」に隠れてはいたけれど、幼いながらも天界の天使達を惑わすその大きな瞳で自分をみつめると、何の変哲もないと特に気にする事もなかった紫の瞳を「綺麗だ」と言ってくれた。

 何も疑う事なく、ただ無垢な笑顔で。

 嬉しかった。

 ああ、だから自分は「黒」を影から守るのだな。ぼんやりそう思った覚えがある。

 好きだった。二人とも。とても…。



 それまで庇護者だった天使は、考え込むベルゼブブに、もうひとつの大切な話だと言い、通常はその霊質を使い果たす事で天使の存在は消えるが、お前とルシフェル様は塵になり消えるのを選ぶか、使命を果たした天使として天界に残るかその選択が最後に出来ると言った。
 今話したように二人の使命は特殊だから、と。

「…身代わりになって死にゃぁ、そもそも選択なんて出来ねぇじゃねぇか……」

「…確かにそうだがな。お前の言うとおり。ただ、神のご意志だ。そこに何が隠されているのかまで、私は聞かされてはおらん」

「…使命は神の愛じゃねぇのかよ…だいたい使命を果たした天使って、どんなヤツだよ。いるのか?いまだかつていたのかよ」

 みっともなくしゃくりあげそうになるのを堪えながらベルゼブブは小さく告げた。

 何て事だろう。一体何て事なんだ。ただ一人の天使のためだけに存在を許されているなんて…。

「晋助…。神の愛は大き過ぎて、その奥底までは誰にもわからんのだよ。正直なところ、このようなケースはなかった。使命を果たした天使がどのような者かも、私には言えん。今までも短い使命を持つ天使がいなかったわけではないが、最後の選択肢などなかったのだから。しかし、この先色んな不可解な出来事があったとしても、それは…何かを判断するために必要な出来事なのだろうし、我々はただ、真摯に信じる気持を持って日々を過ごしていけば良いのだ」

 その時、庇護者ははじめて、「晋助」と愛情を込めて呼んだのだが、不幸にもベルゼブブがそれに気付く事はなく、その先の言葉も頭上をただ通り過ぎていく。

 これのどこが愛なのだ。俺達はただ、掌で転がされているだけじゃないのか?
 俺達に、そもそも「個」などなく、自由もないのだ。そしてそれが神の愛だと信じろと?
 聞きたくなかった。本当に。

「…では、話しはこれまでだ」

 その天使はまた張り付けたような微笑みを作り立ちあがる。

「?な、なんで!待ってくれ。まだ聞きたい事がある!十四郎はこれを知っているのか?!」

 慌てて立ち上がるベルゼブブに

「…ミカエル様がそれを知る事はないだろう。知る必要のない事だ。…私の使命は、お前が成人するまで守り、育てる事。そしてお前に真実を伝える事。…そしてこれで使命を果たした。許してくれ、もう時間がないようだ。どうかお前がその使命を全うしてくれるよう祈っている」

 そう言うと、それに応える間もなく、その天使は塵となって消えていった。



「…はっ。アンタは塵になるために生まれたんだな」

 きっとそのうち誰かが気付く。ベルゼブブの庇護者が突然消えた事を。
 普段からそれほど周囲と密な付き合いをしてきたわけではなかったが、それでも気付くだろう。

 自分の「公」に知られてる使命を考えれば、自分が抹殺したと考える天使達もいるだろう。
 何もしていないのに目の前で塵になったと言って誰が信じるだろう。

 幼い頃のミカエルならば、あるいは信じてくれただろうが…。あの瞳で。

 でも、それすらも既にない。



 そしてあの瞳を心の底から純粋に好きだと思っていた自分がどうしようもなく可哀相だと思った時、ポタリと音をたて、磨き上げられた床に紫色の瞳から水滴が落ちたのがわかった。





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