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月の残り香
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 門の裏側では部下の一人が、ガブリエルの到着を今か今かと待っていたらしい。

「良かった。ガブリエル様、お待ちしておりました」

 とホッとした顔を見せる。

「不審な者は捕えたか?」

 短く問うと、

「はい。おい、こちらへ連れてこい」

 と応え、二人の別の兵士に両脇を掴まれたその下級天使を目の前へ連れてきた。

「……総悟は?」

 羽根を縛られ、両手を後ろでひと括りにされた俯く下級天使から目を離さず部下に聞く。

「はい。ラファエル様は「ヒト」の四阿から今日はまだ出て来られておりません。私達がエデンへ来た事は勿論ご存知ですが」

 それを聞いて安堵の溜息を漏らす。

 しかしこの者は何故こういとも簡単に捕まったのだ?ベルゼブブにしろルシフェルにしろ、そう易々と捕まるような天使ではないはずだ。どんな意図があるのだろう。

「こいつは俺が天界へ連れて行く。何が目的だろうが、此処に留めておいてはならない。お前達は引き続き警護を怠るな。総悟に聞かれたら、俺が連れて行ったとだけ答えろ。いいな?」

 厳しい表情で指示するガブリエルに、部下達は「了解いたしました」と応えると、それぞれの持ち場へ帰って行った。

 (さて、どうするか…。ともかく場所を移し尋問しない事には)

 下級天使は大人しくガブリエルに連れられ門をくぐる。
 ウリエルは声には出さず、そいつだ、間違いないと身振りで示している。それに小さく頷き、ガブリエルは「行くぞ」と傍らの天使に声をかけ、回廊を歩きだした。



 回廊の半ばまでガブリエルもその下級天使も口を開かず、緊張だけが二人の間に漂っていた。
 両手も羽根も自由ではないが、敵意は確かに感じる。
 エデンで尋問しても良かったが、もし大きな物音を立てればラファエルはおろか、「ヒト」も気付いてしまうだろう。それはどうしても避けたい事だった。

 もう、天界の門もそう離れてはいない。天界の門番が立ち上がり、此方へ来ようとしたが手を挙げ制止する。
 門番は頷き、それを見たガブリエルは下級天使を装う男に声を掛けた。



「…貴様、正体を現わせ。晋助か銀時であろう?」

 ガブリエルの冷たいその声に天使は歩みを止める。

「顔をあげてその眼を見せろ」

 それでも俯いたままの天使の顎をグイと上げ、瞳を覗き込む。
 するとそれまで大人しくしていたその天使の口角がゆっくり上がっていった。


「…へぇ、やっぱお前はすげぇよな。結構巧く化けたんだけどな。他の可能性は端から考えてなかったんだ」

 そう笑いながらルシフェルは変化を解いていく。

 紅石の瞳。輝く銀髪。縛られている羽根も朝日をあびた新雪のように輝いていく。

「久しぶりだな、ヅラ。何だよ、怖え顔しちゃってよ?これから誰かと一戦交えんの?髪まで結んで。それにちーとばかり顔色もよくねーなぁ。俺に会えて嬉しくねーの?そーゆー真面目なとこ、ほんと似てんよな、アイツに」

「…銀時…貴様…」

 目の前のルシフェルから出てくる言葉は尋問される者のそれではなく、まるで旧友の再会のように聞こえ、飄々としたその態度にガブリエルは慄く。

 (顔色が悪い?当たり前だ。お前でなければ良いとどんなに願ったか)


「…なぁー、これ解いてくんねぇ? ちょいとお忍びでエデンに遊びに行っただけなのによ、酷くね?でもさ、なんでお前の部下があんなに張り込んでんのよ、アソコでさ、なぁ、小太郎?」

 いつの間にか息がかかる程近くに紅い双眸があり、その輝きに目を奪われそうになっていたガブリエルは、続いて出たその言葉にハッと我に返るとルシフェルの身体をぐいと押しやった。

「お前は!何ということをしたのだ!わかっておるのか、銀時!十四郎殿がどれだけ心を痛めておるか、わからんか?退がどんな目に合ったか、晋助が退に何をしたのか、北で退を目の前にして、わからなかったのか?アイツは死ぬとこだったのだぞ!お前はあれほど退を可愛がっていたではないか!!」

 ガブリエルの怒声は回廊にコダマしていく。


「…へぇ。アイツ生きてたんだ、良かったじゃねぇの。つーか、全部バレてんだ?」

 晋助と退の名を聞き、ルシフェルの紅い瞳に動揺が走るがそれはすぐに消え、口元に薄く笑みを乗せたまま淡々と応えた。

「まあ、エデンへ行ってみて良かったよな−。これで俺もこの先の動きがわかったし?」

 ルシフェルはおどけたように続けた。

「流石にこのままじゃ辰馬が入れてくんねーかもしんねーなとか思ったわけよ。十四郎が何か感づいて、手配してたらめんどくせーなとか思ってさ。したらお前の軍隊しか入れねーってわざわざ辰馬が教えてくれたからよ。お前の使者だっつったらあっさり入れてくれたわけ。したら、何?総悟も居るっつーじゃん。総悟相手じゃ、俺も本気出さねーといけねーしさ。だったらそのままお前の部下に捕まって、天界に帰ってから俺を連れてく馬鹿を殺っちまって帰りゃいーかと思ったんだけど、お前が来たわけか。まあ、いいけどな?」

「―――待てっ、待て待て!そんな事が聞きたいのではない!お前に何があったのだっ、銀時!「ヒト」が選ばれた事がそんなに気にいらないか?!お前は神より偉いと言うのか?その寵愛を捨ててまで何をしたいのだ!戻ってくれ、銀時。今ならまだ間に合う。俺が手を貸す!もう止めてくれ!」

 これは己が知るルシフェルか?ルシフェルの軍とガブリエルの軍は演習も一緒にする事が多く、時には互いの兵士達を交え、酒を飲み交わした事もあるというのに。顔見知りすら殺すというのか?
 あれほど皆に慕われていたこの男が?頼むから目を覚まして欲しいと、必死で縋るように言葉を紡ぐ。

 そのガブリエルの頬をルシフェルの大きな手が撫でるとガブリエルは驚きに身を竦ませた。

「―――なっ!銀時、貴様!一体どうやって!」

 不思議な光彩の灰色の瞳を見開くガブリエルに、ルシフェルはククッと笑って見せ、

「あーお前の部下?アイツら、もーちっと教育した方がいーんじゃね?俺の事、そこらにいる天使だと思ってナメてかかったんだと思うよ? こんな縛り方、簡単に俺は解けるっつーの。俺の羽根もほらこの通り」

 と12枚の羽根をゆっくり動かしてみせる。

「晋助なら馬鹿にされたってアイツら殺されてたんじゃね?」

 そう言いながら、困惑するガブリエルの頬をまた撫でる。
 その紅石は場にそぐわない憐れみに満ちていて、更にガブリエルを戸惑わせた。


「…触るな」

 そう言うとガブリエルは一歩退き、頭を振ってその指を払う。

「…あらら、怒った?自分が惚れた男に触られるのも嫌かねぇ?」

「……………」

 意地悪く笑うルシフェルの台詞が信じられず言葉が出てこない。

「俺も気がつかなかったけどよ?晋助がそーじゃねーかって教えてくれた。けど考えてみりゃ、あーそーかって思うとこあったしな。お前のその反応からすっと、間違いでもなさそうだしよ。まあ、お前は巧く隠してたよな?あれか?十四郎に遠慮しなきゃなんねー何かがあったわけ?弱みでも握られてたとか?まあ、お前もアイツもそんな真似出来ねぇだろうけど。ああ、そっか。惚れたとこで手に入るわけでもねーし?十四郎は完璧な王子だもんなー。だからなのか?まあしかし、良く仲良く出来てたな、お前。俺なら無理だね、無理」

 ルシフェルはクツクツ笑いながらスゥッと目を細める。

「……だとしたらどうだと言うのだ。そんな事は今どうでもよかろう」
 
 声は震えてないな。毅然としているな。

 ここにいる男はルシフェルであってルシフェルではない。同じ顔をして同じ声音だが、違う。同じわけがない。
 少なくとも自分はこの男の友だったはずで、友としての愛や尊敬はあったはずだ。
 他者の愛情を気紛れに弄び面白がる男ではなかったはずだ。

 今感じるものが、怒りなのか屈辱なのか悲しみなのか、その全てなのかわからず、しかしそれに飲み込まれたくなくてガブリエルは何でもないというように切り返した。

「ふうん、あっそ。俺もどうでもいいけどな。でも、お前に教えてやるよ」

 突然ルシフェルの顔は歪み、偽りの笑みは跡形もなく消え去り、声は尖っていく。

「…俺が…、この俺が、「ヒト」が選ばれた事が気にいらねぇだと?神の寵愛を捨てるだと?わかったような口聞くんじゃねぇよ」

 その冷え冷えとした声は回廊を凍らせていくように思えた。
 その瞬間ルシフェルから全てを消しさるような殺気を感じ、ガブリエルは身構える。

「…お前が俺を助ける?何様のつもり?」

「…銀…時?……」

「何様だって言ってんだぁぁぁぁぁっ!!!」

 ルシフェルは紅い瞳を爛々とさせ、乱暴にガブリエルの両肩を鷲掴みにすると思い切り揺さぶり、白い首に手をかけるとそのまま押し倒した。

「―――や、やめろっ!手を離せっ!!」

 頭を思い切り固い回廊の床に打ちつけ痛みに涙が滲みながらも、ガブリエルはその手を剥がそうともがく。
 しかしラジエルに霊力を注ぎ、まだ完全にそれが戻っていないガブリエルはいつものような力が出せない。

 馬乗りになったルシフェルは口元に笑みを浮かべてはいるが、その双眸には残酷な光だけがある。
 その瞳がゆっくり己のそれに近づくと、ルシフェルの銀色の髪がガブリエルの顔を撫で、その感触に今までにない怖れを感じた。

「…なぁ、ヅラ。お前わかってんの?」

 抑制されてはいるが、隠しきれない怒りを滲ませながら、ルシフェルは言葉を続ける。

「お前はお前の使命が明確だよな。神の英雄さんだもんな。俺にこうして組み敷かれてる今のお前は無様だけどよ?一度でも考えた事ねーだろ、自分が何のために生まれて、何をするべきか。与えられたものが神の愛だと信じて疑ってねぇよな。…俺は「ヒト」の事なんざどうでもいいんだよ、そんな事じゃねぇ」

 ルシフェルの言わんとする事が理解できないガブリエルはそれでも必死に言葉を絞り出した。

「…き、貴様…何、を言って…」

 胸の上に圧し掛かられ首を押さえつけられているため、思うように呼吸ができず、ヒューヒューと口から嫌な音が漏れる。
 そんなガブリエルを見て「おっ、さっすがぁ、まだ余裕あんじゃん。」と呟くと、ルシフェルはその手の力をぐっと強くした。


「お前に俺は助けらんねぇよ。救えねぇほどお人好しの英雄さんよぉ?さっきもお前はさっさと俺を殺れば良かったんだ。戻ってこいだと?戻れるもんなら最初からこんな事しやしねぇよ! 覚えとけ!俺はもうお前らの友でもない。仲間でもない!」

 反論も反撃も出来ず、首に掛けられた腕を外そうとした指から次第に力が抜けていき、冷たい御影石の上にぱたりと落ちたのがわかったが、動かすことが出来ない。
 今ルシフェルが言った事は、ラジエルの話と辻褄が合わない。
 本音は何処にあり、目的は何かを問いたかったが、為す術もなく、ただ回廊の天井から見える星空をぼんやりと見ていた。

 (…このまま殺されるのか)

 意識がなくなればその先何をされても抵抗できない。

 …ミカエルの傍で笑っていた男。己の領域で草木を愛でていた男。嬉しさを隠しもせず、己と剣を交えて優雅に舞っていた男。

 自分がこの心の中だけでひっそりと愛した男。

 (その男に殺されるのか…。そう…か…)

 意識が遠のくのがわかったその瞬間。

「―――っ!!――ぅさん!!――たろーさんっっっ!!」

 遠くから聞こえた声に、ルシフェルが身体をピクリとさせた。

「―――総悟か…アイツとお前じゃ面倒だ」

 声がした方向を見遣り、舌打ちをするとガブリエルの耳元で囁く。

「…助かったな。次はないぜ?…十四郎にも言っておけ。お前の首を取りに行くってな」

 ルシフェルはそう言うと、抵抗できなくなったガブリエルの首を絞めていた力を緩め、ふと思いついたのか、「最後にこれでもやるよ」と冷たい唇をガブリエルのそれに軽く合わせた。

 何をされたのか理解し、傷ついた心を隠せないガブリエルの瞳を見たルシフェルは、その頬を伝うものを認めた後、「くだらねぇ」と苦々しく吐き捨てた。

 そして躊躇うことなくガブリエルから離れると、その後一度も此方を振り向くことなく、素早い身のこなしで飛翔し、唖然としている天界の門番を一撃で倒すとそのまま門を抜け、夜闇に紛れて行った。



 ガハッゴホッと嫌な咳と共に吐き気がこみ上げ身体を無理やり捩じり胃液を吐き出した。
 そのまま荒い呼吸をしていると、ラファエルのあたたかな手が背中をさする。

「あ、アンタ…大丈夫ですかィ?あれは…旦那…?アンタ……」

 ラファエルは倒れている門番と開いたままの門を険しい目で見ると、まだ言葉を発する事ができないガブリエルを抱え起こした。

「…俺が居たじゃねェですか…何で俺を呼ばなかったんです?…あれは…旦那…だったんでしょう?」

 震える声でガブリエルの顔をのぞきこむその瞳は、何故だか傷ついて見える。

「……す…まな…い…」

「すまないって、アンタ…。そうじゃねェでしょう?アンタ…そこ以外に傷は…?」

 ラファエルはそう言いながら首を振るガブリエルの身体を擦り、どこか痛めてないかを確認していく。

「…俺が居たのに。言ってくれてさえすればアンタ一人で旦那の相手なんぞさせなかったのに。何を言われたんです?小太郎さんと旦那の力は互角のはずじゃねェですか」

 泣きだしそうなラファエルに、精気を失くしたようなガブリエルは喉から声を振り絞り、ゆっくりと言った。

「…そうご…たたかいが…はじまる…。十四郎殿に…、伝えろ…」

「……わかりやしたが、アンタを置いて行けねェでしょう?ほら、掴まって。立てやすか?」

 自分に構わず行けと言うガブリエルの言葉は聞かないふりをして、さり気なく霊力を注ぐ。
 ラファエルは戦いが決定的になった事実よりも、今の痛々しいガブリエルを何とかしたくて、努めて穏やかな声を出し、ガブリエルを抱え上げると冷たい回廊の床から立たせた。

 素直に肩を借り天界の門までゆっくり歩いて行く。
ラファエルはあれきり何も言わず、ただ二人の足音だけが回廊に響き渡った。


 気絶している門番にラファエルは近づくと、その霊力を与え覚醒させる。門番は「確かにあれはルシフェル様でした、見間違うなどありえません」と断言した。

「何か喧嘩でもされているのかと心配しましたが、突然、ルシフェル様が突風のように、こちらに来られたと思った時には何もわからなくなりました。でも、何故ですか?ルシフェル様は北で祝典の準備をされておられるとばかり思っていましたが。ガブリエル様は大丈夫なのですか?お二人は天界で武力を二分されるお方ですから、それはもうビックリしました。此方まで二人のお怒りがビリビリと伝わってくるようで、もう……」

 と最後は声が小さくなる。

 ラファエルは、「これから此処も戦場になるだろう。信じられないかもしれないが、戦いを避けて通れなくなる。お前はこの先、今北にいる天使達をエデンへ通さないよう全力を尽くせ。小太郎さんは大丈夫だ」と告げる。

 門番は、いつもは陽気なラファエルのその真剣な眼差しに目を見開くが、口元を引き締めると、側においてある剣を手に持ち、「もうこんなに簡単に倒されたりは致しません。どうぞお任せ下さい」と力強く応えた。



 その後何度かラファエルはガブリエルに声を掛けてみたが、薄く笑い頷くだけで、あの時ルシフェルに何を言われたのかは頑として答えようとしなかった。
 ラファエルは気付かれぬよう溜息を零すと、とにかくガブリエルの四阿まで連れて行き、ラジエルが飛べるようならラジエルに先程のガブリエルの伝言を任せようと考えていた。



 エデンの「ヒト」は、訪ねるには遅い時間だったにも関わらず、いつものようにラファエルを歓待し、この先来るかもしれない危機についても素直に受け止めてくれたらしい。
 それに安心して「また近々顔を見せに来るので心配するな」と言い、彼等の住まいを出た所で、兵士達の少し慌てた声を聞きつけた。

 「何だ」と聞くと暫く言い淀んでいたが、不審な天使が侵入し、ガブリエルが来たかと思うと天界まで連れて行ったとしぶしぶ白状した。
 ラファエルは「此処は任せて良いんだな?」と確認し、エデンの門番ウリエルに詰問する。
 意気消沈していたウリエルは、侵入の経緯や拘束されたその天使をガブリエル一人で連れていった事を事細かにラファエルに話してみせた。

 それを聞き、急いで回廊を飛翔していくとそこに見えたのはルシフェルがガブリエルに馬乗りになり、首を絞めている姿だった。

 そして…。ルシフェルが去る前にガブリエルにした事…。あれは…何だったのだ…。

 ルシフェルは奔放な男で気軽に肩を組んだり抱きしめたりするのだが、ミカエル以外の天使に、しかも相手の唇に彼のそれを落とす事は決してなかった。
 それは、愛する相手にだけ捧げるものだとでもいうように。

 しかしガブリエルは望んでいたものが手に入ったようには見えない。むしろ、むしろ大切な何かを失くしたように見える。
 ラファエルは信頼していた男の有り得ない行動を目の当たりにして困惑し、同時にガブリエルの心中を想い、心が痛んだ。



 ラジエルが灯を燈しているのだろう。ガブリエルの四阿が見えてきた。相変わらずガブリエルは何も言おうとしない。

「さあ、小太郎さん、もうすぐですんでねィ?」

 殊更明るく声を掛けてみる。

「…総悟殿…」

 ポツリとガブリエルが言葉を発した。

「…退が灯りをつけてくれてやす。気ィきかせて何か食うもんでも作ってくれてるといいんですがねィ?」

「…総悟殿…」

 それを遮るように、もう一度ガブリエルはラファエルの名前を呼ぶ。

「…へい……」

 ラファエルは立ち止まったガブリエルに向き合い、いたわりのこもった瞳で続くだろう言葉を待つ。

「……退をな、十四郎殿の所へ連れていってやって欲しい。退が生きている事はもう、銀時は知っている。…銀時が…」

「……………」

「…十四郎殿の首を…取りに行くと…そう…言っていた…」

「―――えっ!!…まさか…」

「…冗談には思えなかった。…詳しい事は必ず伝える。お前達にも十四郎殿にも。だが今大事なのは、その事だ。…俺は、少々疲れた。頼めるか?」

 暫く黙ってガブリエルを見ていたラファエルは「わかりやした」と呟き四阿へ向かう。



 開いた扉からラジエルが飛び出して来るのを見て、良かったと心の内でガブリエルは呟いた。あれだけ勢い良く飛び出して来れるのだから、少なくとも身体の傷は良くなっているはずだ。
 ラファエルが何かをラジエルに伝えているのだろう。
はっきりとは聞こえないが、二人の声が聞こえてくる。

 そのまま見ていると、ラジエルが大きく頷き、翼をはためかせている。それを見たラファエルは口早に何か声をかけると、二人の羽ばたきで波のような風が吹き抜けた。
 二人の羽根は夜の闇にぼんやり輝き、そして次第に見えなくなっていった。



 もう、此処には誰もいない。

 そう確認した途端、堪えていた何かがこみ上げ、嗚咽が漏れる。
 涙腺は決壊し、止めるすべもないと悟ったガブリエルは、そのままその場にうずくまり慟哭した。


―第三章・終―





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