For real?
Y
銀時が出て行った扉を暫くの間ぼんやりみつめていた。
一人になりたいと言った俺の気持ちを汲んで、何も言わず出て行ってくれた事に感謝していたが、同時に傍に居て欲しいと相反する気持ちが込み上げて、自嘲した。
気持ちの奥底に仕舞っていた記憶を、惹かれている相手に引き出されるとは思っていなかった。
本当に記憶から消えたわけではなかったが、あれから時間を懸けて「過去にあった出来事」のひとつにしてきたつもりだった。
けれど、何気なく見ていたドラマで女が襲われるシーンを観れば、その後ケロリとしているその女性キャラの設定を、わかってないと腹立たしく思ったし、「女だって本当は男に襲われてーんじゃねーか?」なんて笑って話す男友達に嫌気がさし、「男は強引な方がいい」と騒ぐ女子を軽蔑していた。
あれは…、経験してなければわからない。俺のように男がされる事は稀かもしれないが。
自分を嫌悪し、他者へ憎しみを覚える事の怖さを知るのがどんな事なのか…。
世の中俺より辛い思いをしてるヤツはごまんと居るのは分かってるつもりだ。どんなに強気な性格だろうが、被害者が女だとしたら、性別が男だというだけでその後好きになった相手すら拒否してしまう娘だっているだろう。男と女じゃ力がそもそも違うんだから。
でもだからこそ、俺は余計に自分が嫌だった。同じ男なのに、簡単に組み敷かれ、いいなりになってた自分は、なんて情けないんだろうと。
級友達は、俺のそんな気持ちに気付くことはなかったと思う。周りが本格的に「恋」に浮かれ騒ぐようになる頃には、暗い感情を覚える度に笑うことが、板についていたから。
「…どうしよう……」
すっかり暗くなった部屋で、膝を抱えたまま言葉が洩れた。
シャワーに入った時に脱いだままのジーンズから携帯がはみ出しているのが見え、着信とメールを知らせるランプが点滅していた。
さっき銀時が、帰りがけに「入れておいて」と言って鳴らした時のものだろう。
連絡するからとアイツは言ってたが、もし来たら何て言えばいいんだ。メールが来たら何て返事をすればいい?
俺の態度が明らかにおかしい事は気付いていたはずで、だからこそ一人にしてくれたのだとわかってる。でも、だから…。「あれは何だったの?」と聞かれたら何て答えれば良いのだろう。
…本当の事を?…言えるわけがない。
アイツも追及しなかったじゃないか、だったらこのまま無かった事に……。
いいのか?それで俺は本当に満足だろうか。
あれから初めて惹かれた相手を困惑させたまま、優しい気持ちだけ受け取って、何事もなかった顔をして、平穏を保てればそれで俺は納得できるだろうか。 でも総悟だって、あの日の翌日からしばらくを除いて、ずっと何も聞かずにいるじゃないか。時間が経てば銀時だって総悟みたいに…。
「なぁにやってんですかィ、土方さん」
部屋の灯りが燈ったのと同時に声がして、その声の主を見上げると、まだベットの上に居る俺を総悟は興味無さそうに眺めていた。
しかしそのまま、俺の近くまで来ると、微かにアルコールの匂いがした。
どこかで飲んで来たんだろうと思いながら、何を言われたのか漸く気が付いた。
「…あっ……」
「あっ、じゃねェですゼ?鍵も掛かってねェ上に、こんな暗い中、一人で何やってんです?俺が知らねェ間に、失恋でもして、黄昏てんですかィ?」
「………………」
反論もしない俺に、総悟は「はぁ〜」と大袈裟に溜息をつき、部屋の真ん中に無造作に置かれたままの教科書を一瞥すると、
「…旦那と、何かあったんですかィ?」
と此方を見ずに聞いた。
「…何もねェ…」
「何もねェことねェでしょう?」
「何もねェよ」
「何かあったんでしょう?」
「ねェよ」
「………あったはずですゼ?アンタ、また一人で抱え込んで一人で苦しむつもりなんですかィ?」
そう言った総悟の顔は、腹立たし気にも泣きそうにも見えて、俺は目を見開いた。
「…総悟?……」
「…アン時、ホントに全てを隠しきれてる。アンタそう思ってやしたでしょう?そりゃ、アンタが話してくれなきゃ、ホントのところはわかりやせんよ。けど、俺ァどんだけアンタの隣に居たと思ってるんです?腫れた顔、脅えた目、柄にもなく俺に謝りまくるアンタ、突然消えたかと思うと憔悴しきって現れて、でも何でもない顔をするアンタをどんな気持ちで見てたか、アンタわかってねェでしょう?」
「…お前……」
「言ってくれりゃっ…話してくれりゃ…アンタに出来ねェなら……つかね、ほんと腹立つな、アンタ」
知ってたのか?何故?見られていたのか?どこまで知ってたんだ?知ってて黙っていたのか、今まで?
「…安心して下せェよ。俺は点と点を繋げて、多分こうだろうと推測してるだけで、他の奴らは俺の知る限り、アンタの話をしてた事はねェし、俺も、んな話あちこちでするような真似はしちゃいやせん」
「…だとしても、お前……」
情けなく洩れた俺の言葉に、総悟は悲しそうな顔で笑い、
「余計なお世話だと、わかっちゃいやすがねィ、もう楽になってもいいでしょう?だって、あれからはじめて、アンタの気持ちが揺れる相手が現れたんですからねィ?アンタ、バレバレですゼ?…旦那はきっと、アンタが言わなきゃ何も言わねェと思いやすけど、話してみてもいいんじゃねェんですかィ?俺に話せなくても、旦那には」
「………………」
「まあ、意外っちゃ意外でしたがね、考えてみりゃアンタは女相手に気持ちをさらけ出すなんて出来ねェだろうし、かえって良かったのかもしれねェと思ってるんでさァ」
同性である事など何でもないだろう?と続けた。
「……………」
「…たらればの話なんざ、したって仕方ねェけど、俺ァもし神楽がアンタと同じような過去があったとしても気持ちは変わらねェ自信がありますゼ?むしろ今のアンタみてェに黙って脅えた目で見られた方が傷つきやすね。…すぐとは言いやせん。簡単な事じゃねェのは理解出来るつもりですからねィ。けど、避けて通るわけにもいかねェんじゃねェんですかい?アンタ自覚してねェかもしれねェけど、旦那に惚れてるんじゃねェんですかィ?」
「……総悟……」
言葉を失う俺に、ひょいと片眉を上げ、「しっかり食って、しっかり寝て下せェよ」そう言って総悟は俺の部屋から出て行った。
部屋に残された俺は、未だ点滅している携帯をみつめる他なかった。
*****
翌日、大学に土方の姿は見えなかった。まあ、そんな気はしていたが。
昨日の沖田くんの話を聞いて、一晩中考えていた。連絡をすると言った手前もあったし、何より心配で何度も携帯を手にしたが、結局何も出来ずに朝を迎えてしまった。
土方の計算された態度は、俺も沖田くんに聞いていなければわからなかったほど、完璧だったと思う。
聞いていたからこそ、そのギャップの虜になったんだろうが、昨日の豹変ぶりを見なければ、その奥底に隠れているものを見る事は多分無かったような気がする。
女馴れしているようで、実は色恋に疎い。そのくらいだったんじゃねぇかな。
ひとつひとつ教えていくのはきっと楽しかっただろうし、その過程で仲良くなれれば俺は嬉しかったに違いない。本音はそれ以上を求めている事を昨日自覚してしまったわけだけれど。でもって、俺の馬鹿な一言で、予想外の展開になってしまったわけだけど。
随分軽く考えていたが、実はとても根が深い問題を抱えていた沖田くんと土方の姿は、学校の女の子が騒ぐ彼等とは全く別の顔で、半分は俺の意思で、その渦中に嵌り込んでしまった事に今更気が付いた。
問い正すにはまだ距離があり過ぎ、沖田くんも黙る他無かった事を俺が聞くのはどうなんだろうと答えは出なかった。
かといって、気持ちを自覚した今、無かったことにする事は出来たとしても、アイツとの間がぎくしゃくしてしまうだろう。二人とも表向きは、昨日以前のように振舞えたとしても。
そんな事を考えながら、大学の校舎の外れにある喫煙所を兼ねたベンチでぼんやりしていると、携帯が鳴った。
(…あっ…)
ディスプレイには「十四郎」と出ている。馬鹿みてぇに心臓が跳ねたのがわかった。
「…土方くん…?」
『……………』
「…今日、学校来なかったの?」
『……………』
「…土方くんの姿、見なかったから…。あのさ、俺…」
『…昨日は…悪かった…』
漸く聞こえた土方の声にホッとしたものの、どう応えていいかわからず、焦りだけが募る。
「…いや、俺さ…」
『…お前は悪くねェから…ほんとに』
「…なぁ?土方くん、今何処にいんの?」
『……………』
「部屋にいんの?お前飯食った?きちんと昨日寝た?風邪ひいちゃってねぇ?」
『…部屋にいる…』
「…もしさ、身体の調子悪くねぇなら、俺んとこ来る?何か飯作るし。あ、ほんと、飯食うだけだから、あっいや、変な意味じゃねーから。あっ…」
…俺は一体何言っちゃってんだっ!!せっかく土方が電話くれたってぇのに、何をテンパっちゃってんのよ、俺…。
『…総悟も一緒なら…』
「えっ、あっ沖田くん?ああ、いいよ?つか、今日沖田くんも見てねぇけど、神楽んとこでゴロゴロしてんの?アイツ。連絡してみっから、大丈夫なら来いよ。身体は大丈夫なんだよな?無理させてねぇよな?お前何が好きなの?俺こう見えて結構料理上手いんだぜ?お前の好物作ってやるから、沖田くんと来いよ、な?」
『…銀時……』
電話の向こうの思い詰めた声が、俺の胸を締め付ける。本当はきっと俺が悪かったはずなんだ。なのに、事情を土方から聞かねぇ限り、俺は自分の失言を謝る事すらできねぇ。
あれからきっと、一人で考え込んでいたに違いない土方が、電話をしてくるのに、どんなに勇気を振り絞った事だろう。勿論沖田くんの仮定が本当ならば、だけれど。
『…聞いて欲しい事があるんだ。お前と総悟に…』
「……………」
『…迷惑かも…しれねェけど…』
「…迷惑なんてこと…ねぇよ?旨いもん食べて、ちょこっと酒とか飲んでよ、沖田くんと話そう。な?連絡とれたらメールすっから…」
何の話かは想像がついた。けれど、これだけ長い間沈黙を貫いていたアイツが、話す事が何であれ、俺は受け止めるつもりでいた。
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