「なぁ……もう帰らねぇ?」
「ハァ?何言ってんだ、まだこれからじゃねーか」
「いやさ、俺元々この試合興味ねーんだ。最近どうも疲れ溜まってるし」
「んだよーそりゃねぇだろ」
俺の身勝手な提案に、同僚は大きく口を曲げた。
なのでわざとらしく肩を叩く素振りを見せると、同じ職場にいる人間として、無視は出来ないのだろう。
「じゃあこの回終わったらな」と不満気に呟き、同僚はまた頬杖をつきながら試合を観戦した。
仕事帰り、野球の試合を観に行こうと誘われた時、俺は対戦チーム名までは聞いていなかった。
就職して野球をするのは辞めたけれど、観戦するのは変わらず好きだ。
元々試合の考察や選手の分析が趣味だった俺は、実際に自分がプレイしていなくとも、充分に野球を楽しめる。
今日はそんな“息抜き”に来たはずだった。
今日、こんな日くらいは。
しかし俺の考えが浅はかだった。
これじゃ野球の試合展開なんか全く頭に入ってこない。
広い会場の中でただ一人、俺は押し寄せる感情に潰されそうになりながら、あの人を見守っている。
「あーあ、榛名呆気なく3アウト取っちまったな。で、帰んの?」
あっさりと打者は空振り、黒いユニフォームの選手達はベンチへと帰っていく。
俺は立ち上がって畳んでいた上着を羽織った。
「うん、流れ出来上がってるしな。お前は残ってていーよ」
せっかく来たんだからさ、と別れの挨拶に手を振りかける。
しかしその前に「じゃあ俺も帰ろ」と同僚は立ち上がった。
「……いいの」
「うん。だって榛名が勝つだろ?」
ニィッと意味深な笑みを向けられて、俺は腹の内を見透かされた気がした。
会場を出ると、耳の奥に未だ歓声とメガホンの音が残っていた。
冷たい空気に触れてツンとする鼻を啜り、あ゛ぁーとおっさんじみた声を上げた。
「さみぃなぁ」
「あー本当になぁ」
他愛もない会話を交えながら、電光のちらつく街頭を歩いた。
街はクリスマス色に彩られ、普段関心の薄い俺も、今日ばかりは少し得をした気分になった。
逆に同僚は、先程まで球場にいた事をすっかり忘れたかのように、街行くカップルへの不平不満を述べたりしていた。
おかげで、俺も頭に浮かんでは消える榛名の残像をあまり意識せずにすんだ。
そして最寄りの駅近くまで辿り着くと、同僚は唐突に俺に手を振ってきた。
「じゃ、俺バスで帰るから。また明日な」
てっきり一緒の電車で帰るものと思っていた俺は、「あーそうなのか」と反射的に手を振り返した。
「……なぁ阿部」
「ん?」
「もし何かあったんなら、悪かったな。今度はチーム名先に言って誘うから」
「……はぁ」
「そんじゃ、お疲れー」
同僚は意味深な言葉を残し、踵を返してバスセンターへ向かった。
なんとなく、彼は意外に気の回る人間なんじゃないかと思った。
独りきりになった俺は、身震いをして駅のホームへと足早に進んだ。
駅前ビルの大画面では、幸い野球中継でなく一日のニュースが流れていた。
あの人は試合に勝っただろうか。気がつけばそんな事ばかり考えている。
振るい落としたいと思い続けて、思い続けているから、忘れられないあの頃。
俺も無理にでも、同僚と同じバスで帰れば良かった。
一人は、考え事しか出来なくなるから駄目だ。
→とっとと帰ってしまおう