[携帯モード] [URL送信]
ハルアベ同棲SS(完)



「――…、元希さん」

とんとん、と肩を叩かれる感触と、瞼の向こう側に感じる日の光。
これ以上ない位優しい起こし方をしてくれる俺の目覚ましは、薄く開いた目に温かい笑顔を見せてくれた。

「……おはよ」

「おはようございます」

少しからかうような言い方をして、隆也は俺から身を離す。
開け放たれたカーテンが朝の訪れを告げていた。
休日であるならばもう一度布団をかぶり直す所だが、俺はすぐに起き上がってひとまず手元のジーパンを履き、寝室を出た。
通勤用の服には、また後で着替えるとしよう。

リビングは朝の匂いと新鮮な空気に包まれていた。
半分ほど開かれた窓から今の時期特有の爽やかな風が滑り込み、カーテンを揺らす。
コーヒーとパンとベーコンの匂いに食欲を掻き立てられる。
今日は特別天気が良くて、朝から洗濯機の回る音がしていた。

「なんか、改めて……ご苦労さんだな隆也」

「もう慣れました」

余りに理想的な状況に、どこか夢見心地なまま、俺は幸せを噛みしめる。
新婚の花嫁でさえも、ここまでの演出は出来やしないだろう。
それを隆也が全部やってくれているのだから、感謝せずにどうする。


――昨日、朝から晩、日付が変わるまで休日を満喫した俺達に、再び平日がやって来る。
昨日はただ家にいただけなのに、俺は昨日以上の幸福を、他に思いつかない。



『俺達はお互い男なんだからさ、そんな気遣わなくていいんだよ。俺は晩飯が毎回カップラーメンでもコンビニ弁当でも、お前がいたらそれでいい』


隆也に同棲の話を持ちかけた時に、俺はそんな事を言った。
それは見栄でも妥協でもなんでもなく、只の単なる本音だったのだが――今思えば、隆也に対して失礼な言葉だった。
なんとか俺にちゃんとした食事を、生活を与えようと努力し、実際隆也はそれを実行してくれた。

いつか改めて、ちゃんと言わなくちゃいけない。
隆也の事見くびってて、ごめんと。
そして、ありがとうと。


「今日は何時くらいに帰って来るんですか?」

「んー、まぁ、なるべく早く。てか電話する」

「え、良いですよ別に」

俺の提案をあっさり断って、隆也はジューサーをかける。
騒音に会話の邪魔をされた俺は、なんだよーとふてくされながら洗面所へと向かう。
でも昨日の今日で、そんな隆也の様子から倦怠期を連想される事はもうない。
たちまち昨日の記憶が蘇ってきて、俺は一人忍び笑いをする。


顔を洗って食事をして、歯を磨いて着替えをする。
朝の勤めを果たしながらも、俺の傍らには常に幸せの形が寄り添う。
外に出たら、誰も実情を知らない俺達の「同居」生活だ。



「んじゃ、行ってきまーす」

「はい、いってらっしゃい」

玄関先で洗濯籠を手にした隆也に見送られ、ドアノブに手を掛ける。
そしてふと思い立って、ほんの冗談を言ってみた。

「なあ、新婚の場合なら、ここでお約束のあれだよな」

「え?」

隆也は僅かに考える素振りを見せて……やがて悟ったのか、呆れたように肩を落とし、それから俺の頬をつねった。

「あんたはホントそんなんばっかだな」

「いってて、や、だってさ……」

俺が言い訳の言葉を続けようとした、その時。
隆也がそのまま俺の顔を引き寄せて、柔らかい唇を押し当てた。
ふわりとまた、洗剤の香りがした。

「―――ッ」

「はい、じゃあ今日も元気にいってらっしゃい」

だがそれはたった一瞬の事で、その嬉しすぎる事態に浸る余裕もなく、俺は引き離されて背中を押される。

「た、かや……」

続きは、と言いかけた所でその言葉をぐっと飲み込む。
何故なら隆也はいつもの照れを見せず、ただ自然に、平気な顔をして笑っていたからだ。
もしかしたら、隆也の方が、いつの間にか俺より上手になっていたのかもしれない。


「いってきます」


隆也はずっと、笑顔を返す。
俺は家を出て、エレベーターに乗り込み、真っ赤になった顔を拭った。


続きなど、聞かなくても分かるんだ。
帰ればそこに、当たり前のように隆也はいる。
今日も、明日も。



やがて落ち着きを取り戻した頃に、エレベーターの扉は再び開く。
今日も、一日が始まる。
朝に感じた時と同じ、柔らかくも温かい光を差し込みながら。






あきゅろす。
無料HPエムペ!