嘘は罪だと誰かが言った。
嘘は人を不幸にすると誰かが言った。
嘘をつく人も、嘘をつかれる人も、その嘘一つで傷つくのだと。
世の中には、色んな嘘がある。
しかしそれが美しくとも、冷たくとも、それが人を傷つけるのに、変わりはないのだ。
【優しい嘘】
「別れましょう」
隆也からそう切り出されたのは、桜が蕾をつけ始めた春先の事だった。
高校を卒業し、一人暮らしを始めたばかりの俺は、その日唐突に隆也から別れ話を切り出された。
まだちらほらと段ボールの残っている部屋で、俺は俯く隆也を呆然と見ていた。
隆也はそれ以上何も言わなかった。
「なんだよ……それ」
「………」
「隆也」
「……すみません」
蚊の鳴くような声で隆也は言った。
「好きな人が、出来たんです」
「は……?」
「女の子、です。俺、もともとは普通の男だし……好きになるのは異性です。だから、もう会えません」
「ふざけんなよ、だってお前は」
「すみません」
すっと立ち上がり、隆也は玄関の方へと歩いて行った。
俯いたまま、顔は見えない。
俺は状況が把握出来ないまま、慌てて隆也を追いかけた。
「待てって!」
玄関のドアに手を突き、強引に隆也を引き寄せた。
弱々しい背中がドアに叩きつけられ、隆也が噎せ込む。
乱暴に顎を引き、その顔を瞳に映した。
怯えた隆也の目が、俺を見ていた。
息が、止まった。
「元希さん」
「………」
「アンタなら、分かるはずでしょう」
「………」
「すみません……元希さん。さようなら」
玄関を出る隆也を、今度は引き止めなかった。
隆也のいなくなった空間に、ドアの閉まる音だけが虚しく響く。
隆也の声が脳をぐるぐる反響していた。
別れましょう、さようなら、すみません、好きな人が出来ました、分かるはずでしょう、元希さん、すみません………
反響する。
隆也の震えた「さようなら」の声が、俺の頭を占領する。
本当は分かっている答えを、遠回りして避けている。
気づかないふりをして、受け入れてしまうのがきっと正解なのだと思い込む。
それは隆也の、精一杯の優しい嘘だった。
靴箱の上に置きっぱなしにしておいた新聞の中の俺が笑っている。
俺はその場にうずくまって、隆也の声が消えるのをひたすら待った。
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