もしもし、おはようございます元希さん。まだ寝てますか?ちょっと急な仕事が入っちゃって、今から出ます。何時になるか分かりませんが、帰ったら連絡します。それとあの、今日は――…ピーッ、メッセージを再生しました。
【5月24日】
「うそだろ……」
朝一番、ベッドの上でそのメッセージを聞いた俺は、予想だにしない展開に愕然としていた。
携帯の右端に表示された5/24という日付と、8:54の時刻。
「タカヤ メッセージ再生中」の上には、今から二時間以上前の時刻が表示されていた。
あんまりだろ、ともう一度ベッドの上に横たわり、何度か携帯の中の隆也の声を聞いた。
話の途中で隆也の言葉は遮られるが、留守番メモはその一件しか入っていない。
何を言いかけたんだよ、最後まで言えよ、と悪態をつき眠くもないのに瞳を閉じた。
瞼の裏側に映る隆也が、申し訳なさそうな顔で先程のメッセージを喋っている。
とても機械的な声で。
今日は、俺が生まれて24回目の誕生日だ。
丁度隆也と出会って十年の年となり、お互い仕事の予定を調整して、今日は一日中一緒にいようと決めていた。
俺は仕事の休みを取って、隆也も溜め込んでいた有休を使うつもりでいた。
なのに、結局これかよ。
仕方ない事だし、こんな事で不機嫌になっているような歳でもない。
それでも、嫌なもんは嫌だし寂しいもんは寂しい。
すぐに電話をかけ直したかったけど、誕生日にそんなこだわりを持っているのかと呆れられるのも癪なので思い留まった。
もう一度隆也の声を再生する。
虚しいなぁ、オイ。早く帰って来いよ隆也。
それから昼まで、俺は一切隆也に連絡を取らないまま一人淡々と休日を過ごした。
こうなると俺の意地と隆也の放置の闘いだな、なんて考えてみたりする。
昼休憩にでもなれば隆也から連絡が来るだろうと踏んでいたが、一向に携帯は鳴らなかった。
……隆也も俺が怒ってると思って連絡しづらいのかな。
そう思うと少し悪い気がしたけど、今回はどちらかと言えば隆也の方が悪いはずだ。
普段俺達の些細な喧嘩では俺の方が悪い場合が多いので、今回は気兼ねなく怒ってやるとする。
だから、早く謝りに帰って来い、隆也。
そんな感じで気づけば夕方になっていた。
既に俺の携帯には何通かの誕生日祝いメールが入っていたが、肝心の人物からは何の連絡もない。
日が傾き陰り始めた空があっさりと一日の終わりを告げていた。
ここまでくると怒りや苛立ちは不安に変わってきて、携帯を握る手は限界を感じていた。
もう一切のプライドを捨てて電話を掛けた方が早いんじゃないだろうか。
今度は俺の中で葛藤が始まった。
ずっと前から決めていた今日の約束を、俺は誰にも悟られないように密やかにひたすらに楽しみにしてきた。
お互い社会人になってからは何かと忙しく、一日中一緒にいられる事なんてほとんどなかった。
俺はそれでも隆也が短い合間を縫って俺に会いに来てくれるだけで充分だったし、仕事については理解があるつもりでいた。
誕生日なんて大体メールで済ませて来たし、行事ごとも意識せずにいた。
でも、だから、今まで我慢してきたその分を、今日という日で補おうとしていたんだ。
今日は一日天気も良かったし、キャッチボールでもドライブでも何でも出来た。
いっそ二人で昼寝してたって良い。
なのに、なのに――…。
すっかり塞ぎ込んで机に突っ伏していたその時、
ピンポーン。
余りにも呑気で平和な音が、俺の耳に聞こえてきた。
誰だよ、こんな時に。新聞屋とかだったら怒るぞ。
そう思い一時出るか出まいか迷って、やむなく重たい腰を持ち上げた。
「はーい……」
無気力に返事をしながら玄関のドアを開く。
するとそこには、この場にいるのに一番違和感がなく、けれども予想だにしなかった人物が立っていた。
「隆也…!?」
「遅くなってすみません、元希さん」
そこにいたのは、仕事帰りのスーツ姿の隆也だった。
走って来たのだろうか。
小さく肩を上下させながら、息を弾ませて隆也は笑った。
俺はそんな隆也が家に一歩踏み入れる前に、反射的に隆也に飛びついた。
「わっ、ちょ、元希さん!?」
体勢を崩しかけて、隆也は慌てて俺の背中にしがみつく形を取った。
やたら荷物を抱えているらしく、ビニールや紙の袋がガサガサと音を立てて俺の背中に当たった。
なんで連絡しなかったんだよ、ふざけんな、とか。
俺がどんな思いで待ってたと思ってんだ、馬鹿、とか。
本当は隆也と今日一日一緒に過ごすの、すげぇ楽しみだったのに、とか。
色んな感情や怒りが込み上げてきたのに、そのどれもが喉元に重たく引っ掛かって出て行かなかった。
ただ隆也に会えた事が何よりも嬉しくて、さっき見た隆也の笑顔でもう全てが許せてしまえて、俺はただただ強く隆也を抱き締めていた。
「お前さぁ、なんで連絡しねぇんだよ」
隆也を部屋の奥に通しながら、俺はようやく自分の不満を口にした。
仕事が入ったのはまぁ仕方がないとして、留守電以外に簡単なメールなりなんなりしてくれれば、俺も今日一日をこんなにやきもきした思いで過ごさずに済んだはずだ。
怒った表情を向ける俺に対し、隆也は手荷物をテーブルの上に置きながら、至極あっさりとした口調で言った。
「良いじゃないですか、ちゃんとこうして会えたんだし」
お前なぁ、と俺が喧嘩に発展しそうな言葉を呟く前に、隆也は続けた。
「帰りにケーキ買って来たから食べましょう。あ、その前にどこか晩ご飯食べに行きますか」
ここまで平然とした態度を取られると、俺の日中の苦悩はなんだったんだとも思えてきたが、あまり深くは考えない事にした。
そうだな、ここは豪華に中華かな、とか晩飯について話して、座る間もなく出掛ける準備に取り掛かる。
隆也は買ってきたケーキを冷蔵庫にしまって、俺は財布を掴み再び玄関へと歩き出す。
あ、いやでもたまには回らない寿司でも食いに行くか、なんて付け加えた時。
俺の背中に、突然重みと熱さが広がった。
包まれた、という表現の方が正しいのだろう。
自分の腹部に絡まった腕を見て、俺は隆也に後ろから抱きつかれているのだと気が付いた。
「一回しか言いませんよ」
先程までの平淡な口調とはまるで違い、言い淀むように隆也は呟く。
その言葉といい口調といい、これから隆也が大事な事を言うんだと直感して俺は口を噤んだ。
背筋に隆也の息がかかって、背骨を伝い全身を痺れさせた。
隆也の息はとても近くて、鼻先が強く背中に押し当てられる距離だった。
俺は静かに息を呑んで、隆也の言葉を待った。
「今日、一緒に居られなくてごめんなさい。連絡もしなくて、良い誕生日にしてあげられなくてごめんなさい。でも、元希さんの声聞いたら、俺が絶対元希さんと一緒に居たくて堪らなくなるから、我慢してました。今、本当は、会えてすごく嬉しい」
震えた声で隆也は言う。
それが伝染して、喉に焼けるような熱を感じながら俺は隆也の言葉を聞く。
隆也の腕が強く、優しく、熱く、一回り大きい俺の身体を包み込んだ。
「好きです。好きです。好きです。元希さん、誕生日おめでとう」
隆也がそう言い終わってすぐに、俺は絡み付いた隆也の手を取って正面に隆也を抱き寄せ、深く深くキスをした。
隆也はそのまま素直に受け入れて、それから想いを返す。
それだけで良かった。
今日という日は、もうそれだけで。
「中華かな、寿司かな、もしくは焼き肉とか」
隆也と並んで夜の街を歩きながら、俺はまだ晩飯を決め兼ねていた。
「もううどんとかで良いですよ」
からかった口調で隆也は言う。
「誕生日にうどんかよー。でもま、さっさと食って家帰ってケーキ食ったり色々やる事あっからな!えーと、もうその辺の店で……」
「あ、ラーメンの屋台ならありますよ」
「はは、なんだそれ。行くか!」
「行くんですね」
赤い暖簾の掛かる屋台まで、たった数十メートル。
そんな短い距離を、俺は顔を綻ばせ、隆也の手を引いて走って行った。
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