揺れるような歓声が、俺の周りを取り囲んだ。
黒いタオルを掲げ黒いメガホンを手に、皆一様にたった一人の人物へ向けて声を張り上げる。
歓声の中心に立つその男には、すっかり黒のユニフォームが馴染んでいる。
俺は、知っている。
この大勢の人の中で、俺が誰よりもあの人を知っている。
あの投球フォームも、あの視線の鋭さも、あの球の速さも、重さも、痛みも、全て。
「んだよ阿部ぇ、盛り上がってねぇなぁ」
俺の隣りで頬杖をつきながら試合を観戦していた同僚が唸るように言った。
「それはお前もだろ」
試合真っ盛りの野球ドーム。
場内の熱気で額に汗が浮かび、それを腕で拭いながら俺は返した。
昨年無事四年生大学を卒業し、そこそこの外交企業へ入社を果たした俺は、仕事に明け暮れる日々を送っていた。
その会社の同期に当たるこいつとは、入社当日からの付き合いだ。
どちらかと言えば淡白で、あまり細やかな性格の奴ではないが、その分気疲れのない良さがありよく飲みにも行っている。
そんな同僚に誘われて来たのが、よりにもよってあの人の試合だとは。
高校の時、こんなデジャヴがあったなと感慨に耽る。
あの頃は俺も野球のユニフォーム姿だったが、今日は会社帰りの為二人共スーツを着崩た状態だった。
俺ももう、所謂「大人」になってしまった。
電光掲示板を見ながら、それをひしひしと感じた。
12月11日。
俺は今日、また一つ歳を重ねた。
「しかし、調子良いよなー。こうも打たれないと逆に盛り上がらねっつうか」
「……あー」
「まぁ立ってるだけで華あるし、やっぱ生で見ると迫力あるよな、榛名」
最後に付け加えられた名前に反応して、僅かに心臓が跳ねた。
まるで同じ職場の人間を評価するかのような口振りだが、フェンス越しに小さく見えるその人物は、最早本物には見えないくらい、遠い。
「すげぇよな、オーラっつか、気迫が。あれが俺らの一個上なんてなぁ」
しみじみと呟く同僚の声を半分程聞きながら、俺は“数えて”いた。
それは自然と身について、いつまで経ってもやめる事の出来ない癖だ。
とっくに数える必要なんて無くなっているのに。
どんなに数えた所で、俺の胸を焦がす想像の通りにはならないのに。
俺がいくら苦しくなっても、不安になっても、当然と言わんばかりにその時は訪れ、呆気なく流されていく。
いつまでもいつまでも、やめる事が出来ない。
あの人と出会ってから、一度も。
俺は遠くにいるあの人が投げた球の数を、今日もただ静かに数えている。
→「次は、52球目」
→「もう帰らねぇ?」