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最低で大嫌いなエース(HA)


元希さんの球は、大嫌いで大好きだった。
恐怖であり憧れだった。

逃げたいのに、引き付けて離さない。悔しいけど、奴はそういう奴だった。


消えない痣と痛みが、奴を表す全てだった。


【最低で大嫌いなエース】



今日もまた、身体に濃い痣が出来た。
練習後チームメイトは早々に身支度を済ませてしまって、今更衣室に残っているのは俺だけだった。
一人残された狭い部屋の中で、ロッカーを静かに閉じて、その場にしゃがみこむ。
身体の節々が痛くて、思わず呻きそうになった。


俺は今日も何度も身体で元希さんの球を受けて、その度地面に踞った。
球がぶつかった部分を核にして、びりびりと痺れるような痛みが全身を駆け巡る。

たくさんの人間が心配そうに駆け寄ってくる中、奴は俺に見向きもしなかった。
冷たく鋭い目をしたまま、俺が構えるまで何処か遠くを見つめていた。

心配して欲しいなんて思うのは女々しいから、俺はそれを隠すためになんとか平静を装い、再び構えの姿勢を取る。

俺は元希さんが球を放つ時、アンタしか見ていないのに。
元希さんは、俺なんて何も見えていないようだった。



「元希さんなんて…」

縮まらない距離。触れる事すら拒まれる、閉ざされた心。


「大嫌いだ…」


こんな言葉、言いたくなんかないのに。

無人と化した部屋で、俺は小さく泣いた。
誰もいないのを良い事に、わざわざ溢れる涙を手で拭う事もなく、しばらく泣いていた。






「あ」

電気を点けて初めて、そこに人間がいる事を知った。
そいつは元々小さい上に、ロッカーに寄りかかって踞り、更に小さくなっていた。
しかし、小さいながらにえらく存在感があった。

肩にかけられただけのシャツから青い斑が見える。すぐに隆也だと分かった。

「なにしてんだ」

そう声をかけたけど、返事がない。無視してんのか、生意気だと思ったら、その肩が小さく浮き沈みしてるのに気づいた。

「…寝てんの」

また返事がないというのはまぁ、そういう事なんだろう。


着替え途中で寝るなんて変な奴、と思いながらそいつに歩み寄る。もう冬は近いと言うのに、こんな格好じゃすぐ風邪を引くだろう。

「………」

無理矢理起こそうかどうか考えて、やめた。
隆也の斑が俺の目にこびりついた。



今日、またボールがミットから逸れた。俺のコントロールが悪いのも中にはあったが、多くはそのせいじゃない。

このチームに来てからずっと拭いきれない、鮮烈な、過去とまでは遡れない、記憶。
野球をしていると、まるでフラッシュバックのようにその時の様子が脳内に飛び込んでくる。
俺はその度にじわじわ上り詰めてくる恐怖を払い、そしてそれによる苛立ちをぶつける。

一番手っ取り早い、目の前の奴に。
物質的な痛みとして。

「隆也」

しゃがみこんでその名を読んでも、奴は起きなかった。

「隆也、隆也…」

再三名前を読んでから、すぅと息を吸い込む。
直接言ってやる度胸は、生憎まだ無い。



「隆也…ごめん」



お前がいないと、俺はきっともう駄目なんだ。
なぁ隆也、お前がいるから俺は今野球が出来て、この恐怖心から逃げないでいられるのに。

それを知りつつも俺は、未だに変われずにいるんだ。






「ん…」

目が覚めて、重たい疲労感を感じる。
しばらく心地よい微睡みを味わってから、強ばった身体を思い切り伸ばした。

「…あれ」

ぱさり、と何かが落ちる。自分の学ランだった。
こんなもの掛けた覚えがないのに、と疑問に思いながら目線を横にやって、ぎょっとした。

「っ元希さん!?」

「あー?」

隣りに俺と同じく膝を抱えて顔を埋めていたのは、その図体から一目で分かる、元希さんだった。

「なっなんでここに…」

「ハァー?今日俺が鍵当番なんだよ!なのにどっかのチビが眠りこけてやがっから寝ながら待っててやったんだよ」

忌々しそうに毒づく彼は、本当に眠っていたらしい。目が開ききらずに、まだ眠そうな顔をしている。

「もしかして…これ、元希さんがかけてくれたんですか?」

俺は学ランを掲げて、そう、少し期待を込めて聞いてみた。

「んなわけねーだろ!知らねーよ」

半分予想通りで半分がっかりした答えに俺は俯いて、そのままそれを身につけた。
まぁこの元希さんがそんな気の利いた事するわけないか、とキャプテンか誰か、本当に気の利いた別のチームメイトに俺は胸中で礼を言った。

「おい、とっとと出ろよ。もう9時だぞ」

「え、そんなに待っててくれたんですか」

「うるせーな鍵当番っつってんだろ!」

「…はぁ……」

普段の彼ならそのままほっといてとっとと帰りそうなもんだが、以外と律儀な性格なんだろうか。
ホンットお前とろいよな、とぶつぶつ小言を言う元希さんの背中を見て、そんな事を思った。

「てか、顔」

「はい?」

「キタネーから洗って来い」

そう言われて自分の頬に手を当てた。
乾いた涙の筋が、感触として分かる。
泣いていた事気付かれたのか、と何だか恥ずかしくなった。




「…明日も」

元希さんが錆び付いて固い鍵を閉めるのを眺めながら、俺は呟いた。

「明日も明後日も、あんたの球は痛いんだろうな」

「はぁ?」

ガチャリ。重たげな音を立てて、鍵は閉まった。今日の野球もこれで終わりだ。

「そんで明日も明後日も、あんたのキャッチャーは俺なんだろうな」

「……うるせーな、早く帰るぞ」

独り言に反応してくれるのを待っていたけど、やっぱり流されてしまった。
多少を気を落としつつ、はい、と返事をしてからその人の背中を追う。

明日も明後日も、俺はこの最低で大嫌いなエースの球を受け続ける。








途中まで同じ方向の帰り道を、俺達は数歩の距離を空けて歩いた。



『なんだろうじゃなくて、そうなんだよ』


俺がそう思っている事を、きっと隆也は知らない。








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