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魔法の呪文(HA+S)


まだ俺が、自分の名前すらろくに書けなかったガキの頃。
当時アホのようにやんちゃだった俺は、色んな所をアホのように駆け回って何もないのにゲラゲラ笑ってくるくる回りながらいきなり盛大にすっ転んで大泣きする事が日常茶飯事だった。

俺は学習しない奴だったから、傷口から血が染み出している間中はわんわん泣くんだけど、薄いかさぶたが出来ればすぐに元気を満タンにしてふりだしに戻ってしまう。

でも怪我をするとやっぱり痛い。俺が地べたに座り込んで鼻をすすっていると、決まって魔法使いが現れた。

「シュン、泣くなよ」

彼はそう言って、俺の傷口に手を翳して、今振り返ればものすごくベタな呪文を唱えた。
それは多分母から受け継がれたもので、だけど、語り継がれるだけの事はある。
その呪文は効果てきめんだった。

「元気出たか?」

そう尋ねられて、俺は涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔をめいいっぱい緩ませて、笑った。



あれからもう、10年程の年月が流れた。



【魔法の呪文】



「おじゃましまース」

男らしくもどこか抜けた声で、奴はやってきた。
せっかく兄チャンの帰りを出迎えに玄関まで降りてきたっていうのに、そんな兄チャンの背後に毎度の男がいるのを確認して、俺は少しがっくりきた。

「シュン、ただいま」

「おかえり、兄チャン。いらっしゃい、ハルナサン」

「おー。相変わらず、隆也そっくりだな!」

ニカッと屈託のない笑顔を見せられて、なんとなくムッとした。お前いっつも言う事同じじゃん。

「母さんは?」

「まだ。多分もうすぐ帰ってくる」

「そっか」

簡単に会話をしながら、兄チャンの部屋へ向かっていく2人を目で追った。
俺と会話をしながら、兄チャンはハルナサンとも会話をしていた。相変わらず、ハルナサンはニカニカしながら兄チャンをからかい、それに対して兄チャンはちょっと怒る。なんでいつも一緒にいるんだろうって、ちょっと疑問。

「俺、お茶沸かそうか?」

「ん、いーよ。さっきジュース買って来たから」

…そう、と返事をしようとしたら、兄チャン達は階段の上へ消えた。ぽつんと取り残された俺はのけ者みたいだ。ちょっと、ムカッときた。



ハルナサンがいる時の兄チャンの部屋はまるで聖域だ。どんな理由をこじつけようが、兄チャンは絶対俺を中にいれない。いつもやんわり断る。
中で何をしてるとか詳しくは知らないけど、実は俺、こっそり覗いた事あるんだ。どっかの日本昔話みたいに。

もう、何故か相当どきどきした。ぶっちゃけ、とんでもない状況を何パターンも想像した。んで、どんな真実を目の当たりにしようと、平静を装っていられるように息を整えた。


一先ず兄チャンの部屋のドアに耳を押し当ててみる。無音。
良い…かな?開けてみるとする。

ギィ、という音も立てる事なくドアを開け、中を覗いた俺は、びっくり。

びっくりする程2人は普通だった。

ハルナサンはベッドに横たわって、兄チャンは胡座をかいて、普通に単なるビデオを観てる。しかも、野球の。



もう拍子抜けってもんじゃないよ。安堵って言うか期待ハズレってくらいのレベルだよ。
でも、良かったって思ったのは確かで。

俺それまで、兄チャンとハルナサンって実は陰でコソコソ隠れて付き合っちゃってるんじゃないかって疑っちゃってたわけ。
男同士なんだけどさ、常識的にはありえないんだけどさ、それを感じさせない怪しいっぷり。
だから兄チャンはいつも部屋でハルナサンとやましい事をしてるんじゃってハラハラしてた。だって、嫌じゃない?兄弟がホモだったら。ショックだよ、俺は。

でも違った。良かった、兄チャンは普通だ。



そう思ってた。その後わずか1週間くらいは。



そしてそのわずか1週間後、俺は台所でじっと何かを見つめる兄チャンを見つけた。

「なにしてんの?」

そう声を掛けると、兄チャンは少しビクッとしてこっちを振り返った。

「なんだ、シュンか」

…なんだってなんだよ。

「それ何?マグカップ?…って、ぶはっナニソレすげー変な絵!それ兄チャンが買ったの!?」

兄チャンが持っていたのはちょっと大きめのマグカップだった。しかもすげー変っつーか、へたくそな絵が描かれてあるやつ。
ライオン?多分。目が釣り上がって歯が剥き出しで、とりあえずヘッタクソ。そんで下の方に走り書きみたいな、これまたヘタックソな字で「Lion」って書いてある。
まんまじゃん。

「ちげーよ。もらったんだよ」

「え?誕生日でもないのに?」

「うん。…変だよな、これ。思わず笑っちまうよ」

俺はすぐに「誰からもらったの?」と聞こうとした。
けど、やめた。
なんとなく、すぐ、生憎、残念な事に、分かっちゃったから。



「少しあの人に似てるんだよな、こいつ」



兄チャンはもう一度しっかりライオンを見て、それから大事そうにそっと、マグカップを元の箱に戻した。あ、使わないんだ。と思った。


兄チャン、あんた今、タダナラヌ顔をしてたよ。俺その顔知ってる。クラスの女子とかが、バレンタインのチョコとかを持って、ふっとする表情だよ。
優しくて甘い、とろんとした顔だよ。



兄チャン、俺、もう直ちに分かっちゃった。

兄チャンは、ハルナサンの事が好きなんだ…




その晩、俺は最低最悪の夢を見た。
どっか西の国で、狭くて白い教会。牧師さんの前に、白いタキシードを着た男が二人。
ハルナサンと、兄チャンだった。

ものすごく偏屈で、だけど全く笑えないその光景を、俺はぽかんと口を開けて眺めていた。
光の反射で何かが光った。指輪だった。ハルナサンの左手薬指と、兄チャンの左手薬指。兄チャンが幸せそうに笑った。
死にたくなった。
そこで目が覚めた。




漫画とかじゃ悪夢を見た後はガバッと勢いよく飛び起きるのがベタなんだけど、俺は非常にじんわりと夢から覚めた。
瞼をごしごし擦ってみたけど、どうも泣いてはいないようだ。
うん。悲しさよりは絶望って感じだったな、あの夢は。




顔を洗った後も俺の気持ちはさっぱり晴れなかった。複雑だった。

兄弟がホモなんて気持ち悪いって、漠然に考えていた時はそう思った。
けど、昨日の兄チャンの顔を見たら、そんな簡単で中傷的な言葉じゃ片付けられないなと思っちゃったよ。

かと言って同性故の悩みとか、禁断の愛みたいな雰囲気も、特には感じなかった。


兄チャンの顔はそんなんじゃなくて。
ただ普通に恋してる人の顔。
いやむしろ普通の男女恋愛よりもっと柔らかで暖かくて、心地好い。愛情で満ち溢れた顔。

人間ってあんなに優しい顔出来るんだ、ってちょっと意外。



ハルナサンの事は、好きか嫌いかって聞かれたらどちらかというと嫌い寄り。
普段の態度とか、幾度となく聞かされた兄チャンによる悪口とか、色々掛け合わせての嫌い寄り。
でもカッコいいのは充分分かる。モノスゴクカッコいい、あの人。
身体とか態度とか夢とか、とりあえず色々なものが大きいし。あと、野球が上手い。上手すぎる。
男でも女でもあの球みたら思っちゃうよ。素直にさ。カッコいいよ。

でも、だからって、兄チャンがどこにでもいる女の子全部ほったらかしでハルナサンを好きになったのは、やっぱりいまいち納得いかない。
理屈じゃないんだろうけどさ。なんか…別に他の人でもいいじゃんって。

兄チャンいつも、ハルナサンの悪いとこばっか言ってるじゃん。
わけわかんねぇよ。矛盾だよ矛盾。




ぐるぐる考えていた俺は、なんだか一人で勝手にムカついてきちゃって、もう勢いに任せて兄チャンにストレートに聞いてみた。
やめときゃ良いのに。馬鹿な俺。

「兄チャンはハルナサンの事が好きなんでしょ」

「………は?」

雑誌を読んでいた兄チャンは、顔を上げて5秒くらい目ェ見開いて俺を見ていた。5秒後はおかしいくらいに目がふよふよ泳いだ。…バレバレ。

「兄チャンハルナサンが好きなんだよ。皆に内緒で付き合ってるんだ」

あー、これ以上はだめだ。俺知ってんのに。ハルナサンと兄チャンは真剣に恋愛してるって事。そんでもって、ものすごく幸せそうなのに。
今の俺の言葉は、兄チャンを傷つけるだけだ。

分かってるのに、止まらない。

「兄チャンがホモとか、知らなかった。わけわかんないよ、ハルナサンのどこが良いの?サイテーなんでしょ?なんで好きなの?他にも色々いんじゃん。普通に女の子でいいじゃん。兄チャン小学生ん頃とか、普通に女の子が好きだったじゃん」

あーもうやだ。何言ってんの。
俺、必死にハルナサンと兄チャンの仲引き裂こうとしちゃってんじゃん。最悪。
兄チャンの顔、見れないや。まだ込み上げてくる。止まんない。やだ。こうなったら兄チャン俺の頬思いっきりビンタしてくんないかな。そしたら止まる。
お願い。早く、早く止めて。

「兄チャンは」

「シュン」



俺を止めたのは、兄チャンのビンタでも、怒鳴り声でも、ましてやハルナサンの乱入でもなかった。
ふっと顔を上げようとした。
あまりにも、兄チャンの声が優しかったから。
びっくりする程、穏やかだったから。



でも俺は兄チャンの顔を見れなかった。代わりに、ぐしゃぐしゃと頭を掻き回すように撫でられた。
大人が子供にするように、少し乱暴に。愛情をすり込むように。

「シュン、いいんだよ」

兄チャンの声は優しい。切ないくらいに優しい。

「俺は元希さんの事が好きで、たくさん悩んだけど、…でも、やっぱり好きだから。男だしサイテーだし悪い所いっぱいあるけど、でもどうしようもなく好きなんだ」

ふっと温かい手が離れていった。兄チャンの顔が見えた。
…笑ってた。

「シュンが嫌ならもう元希さんの話はしないし、家にも連れてこないから。ごめんな、嫌な思いさせて」

その笑った顔を見て、俺は突然に泣き出した。涙をぼろぼろ溢して鼻を啜って、ガキみたいに。

そんで大きくしゃくり上げながら、兄チャンごめん、と小さく言った。
兄チャンは聞き取ってくれたらしく、今度はイタズラっぽく笑って、お構いなしに俺の頭を掻き回した。



俺は多分、ハルナサンに嫉妬していた。心の底から妬んでいた。
俺、今までの人生ずっと兄チャンと一緒に過ごして来たんだよ?なのにさ、ハルナサンが知ってて俺が知らない兄チャンがいるとかさ、嫌だよ。めちゃくちゃ悔しいよ。

でも兄チャン幸せそうなんだ。
こっちまで幸せになるくらい、うんと幸せそうなんだ。

ハルナサンはムカつくけどさ、兄チャンはハルナサンに逢って良かったよ。
本当にありがとうって思っちゃうよ。



あぁ、なんか苦しいなぁ。
なんでって言われてもよく分かんないけど。こう、心臓が固くて重たくなったような気分。





久しぶりにあれ、やってくれないかなぁ、兄チャン。
あれは傷口っていうか、心に効く薬って感じなんだ。不思議なくらいによく効くんだよね。
子供の頃何度も唱えられた、魔法の呪文。



「いたいのいたいの、とんでけ!」



なんてね。
自分で言ってちゃ意味ないや。







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