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追懐(HA)



忘れようとも、
忘れられない過去がある。



【追懐】



コイツの球をキャッチしている時は、嫌でも奴の球を思い出してしまう。

今のパートナー、三橋廉の球は、奴程のパワーとスピードはない。
骨の芯まで響くような投球はコイツにはまだ出来ないし、俺もそれを望んでいるわけではない。
まるでマシンの様に俺の指示する場所へ向かってくるこの投球が、
俺は好きだったし、何より気持ち良かったから。


前のパートナーが最低の投手だと思うのは、単に俺との性格が合わなかった為であって、才能は一頭地を抜くものであった。

だけど俺は、奴と居る時は常に焦燥感に駆られていた。
一球投げる毎に、一試合終える度に感じる、思い通りに行かない厭わしさ。
奴への信頼の欠乏。

俺は自分が奴の事を、大嫌いなのだと自覚していた。
否、大嫌いだと思わなければ、あまりにも救われなかった。

俺は心の奥底の感情を必死に隠しながら、奴を非難し続けた。
自分だけが報われないなんて許せなかった。



『嫌いならば、忘れようとする筈なんだ、』

『忘れられる筈なんだよ。』


思い出せば胸が熱さで焼ける様なあの思い出を、俺は今でも隠し続けている。






「隆也ッお前もう少しマシなキャッチ出来ねぇのかよ!」

そんな言葉を毎日の様に浴びせられて数ヵ月。
自分では当初よりだいぶ捕れているだろうと自負していたのに、一球でも捕り損なえばこれだ。
ここまでやれる様になるまでどれ程俺が努力したのか奴は知らないのだろうが…
まぁそれを押し付けがましく理解させたいとも思わない。

奴はきっと褒めるなどと言う行為を知らないのだろう、と自分を納得させていた。


「80球投げた。終わるぞ」

素っ気なく奴はグローブを外して俺の方に向かって来た。
あぁ、また80球全て捕る事が出来なかった、と沈んでいる俺の横を過ぎて、
ぼそりと呟いた。


「お前キャッチ向いてねーよ。辞めろ」



脳内を駆け巡る衝撃。
この時程、奴に憤慨した事は無かった。
掴み掛かりそうになる感情を抑えて、唇を震えが止まる位に噛んだ。
奴が去って行く足音が消えるまで、俺はただ立ち尽くしていた。


「ふざけんな…っふざけんな糞野郎…!」


土とマメと痣だらけの手の平でボロボロと流れて来る涙を拭う。
悔しくて悔しくて、それでも奴を見返してやる能力を持ち合わせていない自分が情けなくて。その時は目が真っ赤になる位泣いた。




「隆也、今から元希のピッチング練習、付きやってくれ」

次の日ストレッチを終えた俺に、監督が声をかけた。
後ろの方では奴があさっての方向を見つめながら、グローブをはめている。

「……、いやです…」
へ?と目を丸くしながら監督が聞き返した。


「俺今日は元希さんの球、捕りたくない…です」


下向き加減で話していても、奴がこちらをギロリと見て来るのが分かった。
どくり、どくり、と心臓が脈を打った。


「だがしかし…元希の球を捕れるのは…」

「いいっスよ。どーせコイツもろくに捕れねーんだし」


監督の言葉を遮った奴の台詞に、ピクリ、と指先が疼いた。
でも自分で決めた事だ。とにかく今は我慢をする。


「じゃ、じゃあ今日はとりあえず他の捕手を…」





それから一週間、俺は奴の球に触れる事は無かった。
それでも奴は何の変化も見せずに、毎日違う“的”をボロボロにしていった。
それらは皆口々に奴への不平を並べ立てていて、同時に俺を褒め称えた。


「隆也はすげーよ。今までずっとあんな球と投手我慢して受けてたんだから」

「でもありゃ辞退して正解だって!」


俺はそれを黙って聞いていたが、頭の中では疑問詞が浮かんでいた。


『我慢してた…?』


否、それは違う。





次の日の練習時間、榛名は壁の前に立っていた。マウンドからホームまでの距離を、そこから測っているようだ。
チーム内で奴の球を捕れる者は、最早誰もいなかった。



「つまんなくないですか、的当てなんて」


近付いてきた俺を、奴は睨み付けた。
出会ったばかりの頃は、その目を見て背筋が凍る思いをしていたのに、今はそうではない。


俺は帽子を取って、深く頭を下げた。


「お願いします!元希さんの球…また俺に捕らせて下さい」



奴は一瞬だけ驚いた様に目を見開いた。
だがすぐにくるりと背を向けて、歩いて行った。


「座れ。下手糞キャッチャー」




バシリ、バシリと奴の球が全身を震わせる。
一週間ぶりに受ける球は、また球威と重さが増した様に感じる。
10球、30球、60球と俺は捕った。

全神経を奮い立たせ、一球一球を噛み締めながら、奴の球を感じた。



そして俺は、一度も球を落とす事なく80球全てを捕った。


「やった…」


最後の球を俺はじっと見つめた。
最初の通過点を、俺は突破出来たのだ。

それが最高に嬉しくて、俺は暫く感傷に浸っていた。



すると奴がこちらに向かって歩いて来て、俺の目の前で止まった。


「うわっ」


ガシガシと頭を撫でられる感触。
何が起きたのか全く理解出来てない俺は顔を上げた。

そこには、俺より何倍も嬉しそうに笑う、榛名元希がいた。


「………」


込み上げて来る、一週間前とは違う熱い気持ち。

頑張ったな、とか
よくやった、とか
そんな褒め言葉、奴は一言も言わなかったけれど、


「……ぅ…っ、」


またボロボロと零れ落ちてくるものをまだ投球の感触の残る手で拭うと、榛名はまた楽しそうに笑った。





それは俺にとって、今でも忘れ難い思い出となった。

その後経験する最悪の思い出も忘れ難いもので、また俺は奴の事が大嫌いになった。



ただそれでも、奴は未だに俺の中の大きな存在で在り続けていて、
ふと思い出すあの笑顔で、俺の捕手としての自信を保たせてくれるのだった。





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