今日、アイツが泣いた。
心臓を握り潰されている様な感覚だった。
ぎりぎりと、聞こえない筈の音が煩い。
【心臓が痛い】
あの負け試合から月日は流れて、深緑は色褪せ、もう、秋が来ようとしている。
「先輩、お疲れ様でした!」
「高校行っても野球続けて下さいね!」
更衣室に響く声、啜り泣く音。
後輩達に声をかけられるチームメイト。
白いユニフォームを持って、いつもと変わらぬ帰り支度をする俺達。
本日をもって、このチームでの野球は、終わった。
後輩や同輩の様々な声を背に、俺はなるべく人目の付かない場所へ、逃げる様に向かった。
あんなに青々としていた木々が、あんなにじりじりと俺達の肌を焦がしていた日光が、今ではぼんやりと柔らかに、俺の体を包む。
このチームとももうお別れかと考えると、物寂しいと言うか、名残惜しいと言うか。
俺は胸の辺りに何かが込み上げてくるのを感じた。
「元希…さん」
一人虚無感に浸っている俺の所へ、まだユニフォーム姿のままの後輩が駆け寄って来た。
俺の前で立ち止まったそいつは、くいと頭を上げる。
怯えた様に縮んだ肩、遠慮がちに向けられる視線。
紛れもなく、阿部隆也だった。
「何?」
高揚する気持ちを押さえて、息の荒い隆也に声をかける。
隆也は帽子を深くかぶり直して、顔を隠した。
「あの、お疲れ、様…でした」
「あー…」
正直湿っぽいのは苦手だから一人になったのに、こいつは。
でもそんな奴の行動を、どこかで嬉しく思ってしまった。
「明日から元希さんがここに来ないって思うと…なんか変な感じ」
そう呟いた隆也の声には、いつものハキがない。
俺同様、こいつも寂しさを感じてくれているのだろうか。
「そーだなー」
「元希さんは、高校でも野球…続けるんですよね」
「当たり前だろ?プロ目指してんだから」
「そうっすよね…」
じゃあ高校でまた試合できるかも、と隆也が微笑む。
押し寄せる何かを堪えた様に、苦しそうな笑顔だった。
「俺、元希さんとバッテリー組めて、良かったっす」
「な…っ、マジで言ってんのかそれー!?練習してる時は…んなもん全然伝わって来なかったぞ!」
「でも…」
隆也は何か言いかけたけど、すぐに俯いてしばらく口を開かなかった。
「お前いっつも俺見て顔しかめてたもんなー。球捕る時もあんま楽しくなさそーでよ」
「……………」
「俺お前になんかしたんじゃねーかって……隆也?」
「…………ぅ、ッ」
「げ!何泣いてんの!?」
「ふ、…っ、ぅ…」
「〜ッんでお前が泣くんだよー!別に悲しかねーだろ!俺の事散々嫌いとかサイテーとかほざいてやがったんだから!」
「……ッ……ひっ、…」
「…………、泣くなって」
ぐしゃ、といつもみたいに髪を掻いて顔を上げさせると、涙と鼻水できったない顔の隆也がいた。
こんなマジに泣かれたのは、初めてだった。
「隆也らしくねぇ…泣くな」
「だっても…終わっ、たんだ……元希さんとの、や、きゅう…」
「終わってねーよ…」
「おわ、るんだ…」
「……………」
『なんだ、』
『隆也は俺との野球、ここで終わらす気なんだな』
俺はバックを漁って、萎れたハンドタオルを奴の顔に当てた。
乱暴にその顔を拭いてやると、隆也は苦しそうに首を振った。
「泣くなっつってんだろ、」
「い、いた…っ!元希さん痛い!」
「うるせぇ!……痛いのは…こっちなんだからな」
隆也がキョトンとした顔をする。
ぐぐ、と心臓を締め付けられる感覚。
漸く止まった涙まみれの顔を見て、それにつられてか、俺も思わず泣き出しそうになった。
一緒にいた時はあんだけ酷い事言って罵りまくったくせに、別れるとなったらこれなんて、反則だろ。
もっと清々しく見送れっつーの。最後、なんだから。
『そう、これで最後なんだよ』
ああ、
心臓が痛い。