「あっ隆也!あのさー明日のこ…」
「あ゛ー…元希さん…ゲホ」
「……?たか…」
「ずびません、熱出たんで、その…明日は無理っぽくて…あの、また今度に…」
「………」
「…元希、さん…?」
【熱に浮かされる】
『待ってろ隆也、すぐ行くから』
先程元希さんとの電話を終え、俺はベッドの中でもぞりと寝返りをうった。
あの後真剣な声色でそう言った元希さんに、不覚ながら少しドキリとしてしまった。
今日は土曜日で、家族全員仕事やら部活やらに出掛けている。
本当は俺も部活だったんだけど、昨日から38度の熱があってずっと寝込んでいる。
この風邪はシュンからもらったものだ。
アイツが家ん中でお構い無しにゲホゲホやるもんだから、うつって当然だろう。
そんで、菌を俺に全て受け渡したようにアイツは今日ピンピンして部活に行ってしまって、俺は今まさにこのザマである。
明日元希さんと会う約束をしていただけに、結構な打撃だ。
朝母親が作っていった梅粥はもう冷えきってしまって、シュンが使い残した薬の袋が、机の上に放り投げてある。漢方らしく、シュンがあれを口にしてゲーゲー言ってた理由がよく分かった。
頭がガンガンして、寝ときたくもないのに身体がだるくて指を動かす事すら億劫だ。
お腹は結構空いてるんだけど、頭痛が吐き気に繋がって喉元が受け付けない感じだし、何より起き上がる気力がない。
情けねぇ、と思いながら瞳を閉じる。正午すぎ、熱が上がってきた。出来る事なら眠ってしまいたい。早く時間が過ぎれば良いのに。
その時、ピーンポーンと呑気な音が家中に響いた。元希さんだ。
同時に携帯の着信音が鳴る。
枕元に置いてあった携帯を掴み、着信ボタンを押した。
「も゛しもし、元希さん…」
「隆也?着いたぞ」
「はい…鍵、開いてますか?」
玄関からガチャッとドアノブに手が掛けられる音がした。
「開いてる」
「な゛ら、どうぞ…うちだれもいないし…俺部屋にいるんで」
呼吸に乗せた弱々しい声で、俺はゼィゼィ言いながら話した。
段々足音が近づいてくる。そしてガチャッと、すぐ傍のドアが開く音がした。
「隆也」
元希さんを見ようと、ギシギシ痛む身体を仰向けにする。
髪を乱して、少し肩で呼吸している元希さんがいた。
走って来てくれたんだろうか。それならちょっと、嬉しい。
「隆也大丈夫か?熱は何度?昼は…食ってねーか」
机の上に置いてある土鍋の蓋を開けながら、心なしか優しい口調で元希さんが言う。
「これ、途中で買ってきたから。えーと、アクエリアスと冷えぴたとのど飴と、あとヨーグルトとゼリーとプリン」
何が家にあるのか分かんなかったからよ、と付け加えて元希さんがレジ袋を土鍋の横に置いた。
ちなみに一応全部うちにあるけど、好意を汲んで言わない事にした。
「大丈夫か?」
ひやりとした手が額に当てられる。きっと外は寒かったんだろう。
冷たい左手が熱を吸いとってくれて、気持ち良かった。
頬が一層火照り出す。
「でも食わなきゃ駄目だぞ。これ温めてくっからよ。あ、冷えぴた貼っとくか」
今しがた買ってきた箱をばりばりと開けて中から一枚取り出し、元希さんはそれを俺の額に貼った。
「隆也、似合う」
っていつものイタズラっぽい笑顔を向けて、元希さんは土鍋を持って出て行った。
静かな部屋に、時計の秒針の音と共に取り残される。
なんとなく頭痛は引き始めたようだ。
暫くぼーっと時を過ごしていると、今度は鍋掴みで鍋を持った元希さんが部屋に入ってきた。
体力を振り絞って起き上がる。背中がじっとりと湿っていた。
「めっちゃうまそー。ほら隆也、あーん」
口元に差し出されたスプーンを見て、俺は躊躇った。
しかしこの状況を拒絶する術がないのと、至極嬉しそうな元希さんの顔と、色々な疲労感とで俺は大人しく口を開けた。
甘い米の味とすっぱい梅の味が舌の上を滑って、すんなり食道を通っていく。美味しかった。
「ん、じゃあもう一口」
なんでもない行為なのに、何故か心臓がばくばくと忙しく脈を打つ。
視界が蕩けて、頭がぼうっとする。また熱が上がってきたんだろうか。顔に熱が集中する。
そんな事には気づかないまま、元希さんは飽きもせず何度もスプーンを差し出して来た。俺は大人しくそれを口に含む。
「隆也、結構食えるじゃん。全部食える?」
残り半分くらいになったお粥を見て、俺は小さく首を横に降った。
「そっか。じゃーこれどれか食う?ヨーグルトとゼリーとプリン、どれが良い?」
「…ゼリー」
「ん。…なんか今日の隆也、弱々しくて可愛いな」
元希さんがゼリーのビニールを剥がしながらはにかんだ。
柔らかい表情に心が満たされていく。
ふいに頭を撫でられて、目を閉じた。瞼の奥がじんじんと沁みた。
熱い頬にキスをされる。抱き締められて、引き寄せられて、両頬に、瞼に、眉間に、首筋にキスされる。
「ん…う、」
最後に口内に舌をねじ込められて、力なく声を漏らした。
自分の口の中はかなり熱くって、こんな事したらうつってしまうと思いながらも、元希さんから逃れる術も力もなく、ただ流されてゆく。
「隆也…」
潤んだ目からは今にも涙が零れ落ちそうだった。
指先まで熱くなって、頭が眩んで、目の前の元希さんしか見えない。
いつも鋭い目が、笑うとこんなにも優しい。
愛しむ気持ちが伝わってくる。俺とおんなじ気持ちだ。
元希さんのこの表情は、俺だけが見れるものだと良い。
貪欲に我儘に欲する。
この人が好きだ。
「じゃー俺帰るから。また何かあったら言えよ」
日が傾き、そろそろ家族が帰る頃になって、元希さんは立ち上がった。
「はい…今日はその、ありがとうございました」
ケホケホと乾いた咳を付け加えて、俺は元希さんを見上げた。
あのマズイ薬のお陰か、熱はだいぶ引いていた。
「その…すみません、明日の事とか…今日も部活…」
「あーいーよ。また今度な。部活はまぁ…こんな時だし。逆に集中出来ねーよ」
またゲホゲホと咳を始めた俺に、元希さんはしゃがんで目線を合わせた。
「それに今日は、良いモン見れたしな」
ニイッと笑われて、いつもならシネ!とか言って蹴りでも入れる所なのだが、やはり残念ながらそんな体力は残っていなかった。
元希さんが満足気に笑いかけて、また髪の毛をくしゃくしゃと乱し、すぐに手で鋤いて整えた。
「んじゃ、またな隆也」
見送ろうと身を捩った俺を手で制して、元希さんは出て行った。
まだぼんやりしたままの頭で、今日の自分の醜態をとことん責めた。今度会う時、ネタにされるのは確実だ。
でも今は、溢れ出る思いが身体中を満たし、心地好い微睡みを誘っていた。
家族が帰って来る前に、眠りにつけそうだ。
そうすればきっと、夜にも熱は冷めているだろう。
今日仕返しが出来なかったから、今頃元希さんが家で微かな頭痛でも感じていれば良いのに。
そんな意地悪を思いながら、元希さんが置いていったアクエリアスのペットボトルを最後視界に入れて、俺はゆっくり瞳を閉じた。